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「シージには撃ち合いだけではない、作戦を考える楽しさがあった」FAV gaming『R6S』部門ShiN選手インタビュー<前編>
日本国内のPC版『レインボーシックス シージ(R6S)』を牽引してきたチームのひとつにeiNsがあるのは異論のないところだろう。2018年12月よりチームごとFAV gamingに合流し、アマチュアチームからプロチームとして活動することになった。
その中心人物であるShiN選手には、ALIENWARE ZONEでも『R6S』の連載を執筆していただいている。そもそもShiN選手はどんなゲーム歴で『R6S』にたどり着き、どんな理念でチームメンバーを引っ張ってきているのか。
前編となる今回は、小学生時代からのテレビゲーム歴、PCゲーム、そしてFPSや『R6S』との出会いから競技シーンに飛び込むまでを聞いた。
――まずゲーム歴から伺います。初めてゲームを遊んだのはいつ頃だったのでしょうか?
ShiN 小学2年生くらい(2002年頃)のとき、任天堂の携帯ゲーム機が最初だったと思います。小学校5年生でパソコンゲームに初めて触りました。いわゆるFLASHで動くタイプのゲームで、こういうのが学校でけっこう流行っていたんです。
そのゲームを遊んでいたら、広告でMMORPGのオンラインゲーム広告が出てきて、何となく気になって始めてみました。そうしたら今度はそのゲームにFPSの広告が出てきたんです。もともとFPSは家庭用ゲーム機でも全然遊んだことはなくて、気になっていたのでちょっとやってみた……というのが、FPSとの出会いでした。
――そのFPSのタイトルは?
ShiN 『WarRock』です。でも、中学・高校と勉強や部活が忙しくて、あんまりゲームにのめり込めなかったんです。大学に入ってからPCをハイスペックなものに買い換えて、また何かゲームをやってみるか……というときに遊んだのが、『ARMA3』でした。
ミリタリー色が強く、サバイバルゲームを遊んでいるような感覚で、ここで一気にのめり込みました。ボイスチャットもこのゲームで初めてやりましたし、ネット上でたくさんの人と知り合うきっかけにもなりました。
『ARMA3』を一緒に遊んでいた仲間に、「この前発売された『レインボーシックス シージ(R6S)』が面白いから一緒に遊ぼうよ」と誘われたんです。それが発売されてすぐだったので……。
――2015年末から2016年1月頃ですね。
ShiN そうです。リリースされて1カ月以内くらいで遊び始めていました。最初はその仲間うちで遊んでいたんですが、だんたん物足りなくなってしまって、もっと手強い相手がいるであろう競技シーンに手を出してみることにしました。JCGのチームメンバー募集掲示板で募集してみたんですよ。そこで、今は野良連合にいるReyCyil選手に出会って、彼がいるチームに入れてもらったんです。
でも、PC版『R6S』の国内大会がすぐなくなってしまったんです。当時は日本のPC版プレイヤー人口が少なくて……。アジア全体で考えるとPC版大会は大規模だったので、ESLのアジア大会に向けて頑張ってみることにしたんです。
メンバーがどんどん辞めていく中、自分なりの考えでクランを運用していきたいという気持ちもあり、そこでまたメンバーを集めて「eiNs」を結成しました。
ちなみにeiNsとはドイツ語で「1」という意味です。1位を目指したい、という意味を込めました。
――2017年1月末頃に一度解散してしまいますよね?
ShiN はい、いろいろな問題がありまして……。日本で大会がないのでこれ以上やっても仕方ないという雰囲気になってしまったんです。
そんな中、2017年2月に世界大会の「Six Invitational 2017」がありました。それまではNA(北米)とEU(欧州)、LATAM(中南米)の3地域しかなかったんですけど、初めてAPAC(アジア太平洋)地域が加わって、今のAerowolf(当時はTeam Envy)がAPAC代表として、世界大会に出場していました。
Aerowolfはクラン戦とかでよく戦っていたチームだったので配信を見たんです。1回戦でeRa Eternity(Rogueの前身チーム)に2-1で負けはしたんですが、最初の1マップ目では勝っていました。
僕たちもAerowolfと戦って勝ったこともあったので、「自分たちも世界とも渡り合えてるじゃん」って思ったんですよ。あとは単純に僕が世界大会に出てみたいという理由から、eiNsをもう一度結成しました。
――「世界を目指したい!」という気持ちはどこから出てきたのでしょう?
ShiN 単純に『R6S』というゲームが好きだった、というのが大きいです。『R6S』を始める前に、「このゲームって撃ち合いだけじゃない面白さがあるよ」っていうのはいろんな方面から聞いていて、遊び始めてから本当にそれは感じました。
そして、世界大会に出場するチームがどんなことを考えてやっているのか、どういう作戦を取っているのか……なんてことを世界大会の配信を見ながら考えているうちに、自分でもやってみたくなっていきました。
ShiN 2017年3月にPC版の国内大会が復活したんです。NVIDIA JAPAN主催で行われている「GeForce Cup」のタイトルとして『R6S』が選ばれて、優勝賞金は30万円でした。
「すごいじゃん! これ出てみよう!」ということになってeiNsとして出場しました。当時は強豪チームが4~5つくらいだったのですが、それがみんな同じグループに入ってしまったんですよ。いわゆる“死のグループ”というやつですね。父ノ背中も同じグループでした。
そこを僕らは3勝0敗で勝ち抜けたんです。もちろん決勝トーナメントでも優勝しました。日本ではまだプロリーグはなかったのですが、風の噂でどうやらできるらしいということを耳にしていたので、それをモチベーションにとにかくがんばりました。
▲NVIDIA CUP 2017のリザルト 出典:NVIDIA CUP 2017公式(https://www.nvidia.co.jp/content/apac/event/jp/geforce-cup-r6s/teams.html)
――失礼ですが、当時はまだ有名チーム、というわけでもなかったですよね?
ShiN はい、僕もチームもまだ知名度はありませんでした。ここで優勝してから、少しずつ知れ渡っていきましたね。
その後、国内大会を何回か経験するんですけど、6~7月連続で優勝したり、着実に結果を出していきました。国内では安定して上位をキープできるようになったんです。
そんなとき、8月にアジア地域でプロリーグがスタートするということが、公式にアナウンスされました。参加する8チームを決める予選があって、シーズン6から日本でのプロリーグがスタート。Sengoku Gamingの前身のExtasyや野良連合、父ノ背中や僕たちeiNsが集まってスタートしました。
ShiN そうですね。APACで優勝したとき、トントン拍子で勝っていたので、「アジアも余裕だから世界でも勝てるだろう」というすごい自信しかなかったですね。
自信満々でサンパウロのシーズン6 ファイナルに出場したんですが、でもそこでFaze Clan(当時はTeam Fontt)にコテンパンにやられて。俺ら今まで何を練習してきたんだろうって、そこで1回挫折を味わいました。
▲2018年2月「Six Invitational 2018」Day1
――まったく歯が立たなかった?
ShiN 最初のマップ「銀行」は惜しいシーンもあったんです。チームメイトとのコミュニケーションエラーで自滅したような感じでした。だからこの段階ではまだ「いける!」と思っていました。
その次のマップ「オレゴン」で本当に歯が立たなくて……。SIX invitationalでの再戦でも歯が立ちませんでした。
でもグループステージは2回負けるまでチャンスがあるので、次のeRa Eternity戦に向けて気持ちを切り替えました。これは2-1で勝ったんです。このままイケるかも! と、次のENCE esports戦に挑み、1マップ先行して取ったんですが、その後2本取られて負けました。
このグループステージを通して世界との差を感じましたが、同時に世界への可能性も感じました。ただ、今の自分たちの練習では世界と戦うのは難しい、とも思いました。僕自身もこのあと就職活動を控えていたので、チームとしてどうなるか不透明な部分もあったためか、結果的にこのあと何人かチームから離れました。この大会での経験を活かして、他のチームに所属したいならそれでもいい、と話したんです。
――ご自身としてはどうするつもりだったのでしょう?
ShiN 当時、日本から世界大会に出たチームは僕らだけだったじゃないですか。この経験を、コミュニティの活性化や次の世代につなげていかなければ、と思ったんです。だからここで止めるわけにはいかないな、と。
それで新しくメンバーを募集して、今のチームにいるたいぽん選手とか、Afro選手とかを入れて再始動しました。
このときの自分のスタンスは、「世界大会に出て勝ちたい!」とガムシャラにやっていた時期とは違います。僕自身が世界大会に行きたいというよりは、みんなを連れて行ってあげたいという思いが強くなって、それがeiNsの活動方針になりました。
――実際に新生eiNsで活動してみていかがでしたか?
ShiN 初めてクラン活動をするメンバーとか、なかなか思いをしゃべってくれないとか、そういった苦労はずっとありました。この頃はもう「eiNs」という名前も日本の『R6S』界隈ではそれなりに知れ渡っていたので、そういう強豪チームはどういう練習をしているんだろう? という思いがあって入ったメンバーもいたようです。他のチームでの練習法がちょっと合わなかったみたいで。
ただ、eiNsも世界大会に出ていた頃とは違う練習方法になっていたんですけどね。
――メンバーやレベルが違えば、そこに合わせる形になりますよね。
ShiN そうですね、以前は何も考えず常に練習しろ、という千本ノックみたいな練習でした。ただそれは効率的じゃないし、時間もムダに使うから、そうじゃなくて効率のいいやり方であったり、さらにみんなに見てもらって面白いと思えるような作戦とか、そういった方向にシフトしました。
これが2018年3月頃の話です。
ShiN そのシーズンのオフラインファイナルを決める大会で、僕たちeiNsとSengoku Gamingの試合があったんです。そこで最初のマップ「領事館」で1本取ったものの、結局2-1で負けました。
3月に再結成したので、自分が求める完成形にはほど遠い状態でした。段階を踏みながら練習していきました。オフラインファイナルにも絶対出てやるみたいな感じでもなくて。
――ShiNさん自身、野良連合にレンタル移籍された時期もありましたよね?
ShiN はい、野良連合は2018年5月にアメリカ・アトランティックシティで開催されたプロリーグ シーズン7グローバルファイナルに出場していたんですが、オフラインの世界大会は初めての経験だったこともあってうまく戦えなかったみたいで。
「何が自分たちに足りないんだろう」と考えたとき、世界大会経験者であったり自分の言葉で発信できるプレイヤーとかを求めていたみたいで、それで僕に依頼がきたようです。あくまで僕が感じた印象なので、実際のところはわかりませんが……。
ただ、僕はeiNsを抜ける気はなかったのでずっと断っていたんです。他の人探してくださいって。でも何日か経って改めてお願いがきたので、レンタル移籍という形で合流しました。2018年8月開催の「Six Major Paris」出場メンバーとして、ですね。
――日本のeスポーツ界隈ではレンタル移籍というのはまだ馴染みがないと思うんですが、野良連合はどうでしたか?
ShiN 考え方が違うチームでしたが、自分にはない新しい刺激になりました。他のプレイヤーと意見交換とか反省会をする中で、自分のためになるものは取り入れましたし、求められれば自分からも意見をしました。せっかく自分を選んでくださったこともあるので、こうした舞台での戦い方を伝えたりもしました。
後編では、FAV gamingに加入した経緯を中心に話を聞く。
■関連リンク
FAV gamingのTwitter
https://twitter.com/fav_gaming
ShiN選手のTwitter
https://twitter.com/shinr609
レインボーシックス シージ
http://www.ubisoft.co.jp/r6s/
その中心人物であるShiN選手には、ALIENWARE ZONEでも『R6S』の連載を執筆していただいている。そもそもShiN選手はどんなゲーム歴で『R6S』にたどり着き、どんな理念でチームメンバーを引っ張ってきているのか。
前編となる今回は、小学生時代からのテレビゲーム歴、PCゲーム、そしてFPSや『R6S』との出会いから競技シーンに飛び込むまでを聞いた。
▲FAV gaming 『R6S』部門ShiN選手
きっかけは『ARMA3』の友達からの「シージ、一緒に遊ぼうよ」
――まずゲーム歴から伺います。初めてゲームを遊んだのはいつ頃だったのでしょうか?
ShiN 小学2年生くらい(2002年頃)のとき、任天堂の携帯ゲーム機が最初だったと思います。小学校5年生でパソコンゲームに初めて触りました。いわゆるFLASHで動くタイプのゲームで、こういうのが学校でけっこう流行っていたんです。
そのゲームを遊んでいたら、広告でMMORPGのオンラインゲーム広告が出てきて、何となく気になって始めてみました。そうしたら今度はそのゲームにFPSの広告が出てきたんです。もともとFPSは家庭用ゲーム機でも全然遊んだことはなくて、気になっていたのでちょっとやってみた……というのが、FPSとの出会いでした。
――そのFPSのタイトルは?
ShiN 『WarRock』です。でも、中学・高校と勉強や部活が忙しくて、あんまりゲームにのめり込めなかったんです。大学に入ってからPCをハイスペックなものに買い換えて、また何かゲームをやってみるか……というときに遊んだのが、『ARMA3』でした。
ミリタリー色が強く、サバイバルゲームを遊んでいるような感覚で、ここで一気にのめり込みました。ボイスチャットもこのゲームで初めてやりましたし、ネット上でたくさんの人と知り合うきっかけにもなりました。
『ARMA3』を一緒に遊んでいた仲間に、「この前発売された『レインボーシックス シージ(R6S)』が面白いから一緒に遊ぼうよ」と誘われたんです。それが発売されてすぐだったので……。
――2015年末から2016年1月頃ですね。
ShiN そうです。リリースされて1カ月以内くらいで遊び始めていました。最初はその仲間うちで遊んでいたんですが、だんたん物足りなくなってしまって、もっと手強い相手がいるであろう競技シーンに手を出してみることにしました。JCGのチームメンバー募集掲示板で募集してみたんですよ。そこで、今は野良連合にいるReyCyil選手に出会って、彼がいるチームに入れてもらったんです。
でも、PC版『R6S』の国内大会がすぐなくなってしまったんです。当時は日本のPC版プレイヤー人口が少なくて……。アジア全体で考えるとPC版大会は大規模だったので、ESLのアジア大会に向けて頑張ってみることにしたんです。
メンバーがどんどん辞めていく中、自分なりの考えでクランを運用していきたいという気持ちもあり、そこでまたメンバーを集めて「eiNs」を結成しました。
ちなみにeiNsとはドイツ語で「1」という意味です。1位を目指したい、という意味を込めました。
――2017年1月末頃に一度解散してしまいますよね?
ShiN はい、いろいろな問題がありまして……。日本で大会がないのでこれ以上やっても仕方ないという雰囲気になってしまったんです。
そんな中、2017年2月に世界大会の「Six Invitational 2017」がありました。それまではNA(北米)とEU(欧州)、LATAM(中南米)の3地域しかなかったんですけど、初めてAPAC(アジア太平洋)地域が加わって、今のAerowolf(当時はTeam Envy)がAPAC代表として、世界大会に出場していました。
Aerowolfはクラン戦とかでよく戦っていたチームだったので配信を見たんです。1回戦でeRa Eternity(Rogueの前身チーム)に2-1で負けはしたんですが、最初の1マップ目では勝っていました。
僕たちもAerowolfと戦って勝ったこともあったので、「自分たちも世界とも渡り合えてるじゃん」って思ったんですよ。あとは単純に僕が世界大会に出てみたいという理由から、eiNsをもう一度結成しました。
――「世界を目指したい!」という気持ちはどこから出てきたのでしょう?
ShiN 単純に『R6S』というゲームが好きだった、というのが大きいです。『R6S』を始める前に、「このゲームって撃ち合いだけじゃない面白さがあるよ」っていうのはいろんな方面から聞いていて、遊び始めてから本当にそれは感じました。
そして、世界大会に出場するチームがどんなことを考えてやっているのか、どういう作戦を取っているのか……なんてことを世界大会の配信を見ながら考えているうちに、自分でもやってみたくなっていきました。
eiNs再結成後、強豪を破り無敗で世界大会へ
――「Six Invitational 2017」を見てeiNsを再結成したわけですが、そこからどういう活動を?ShiN 2017年3月にPC版の国内大会が復活したんです。NVIDIA JAPAN主催で行われている「GeForce Cup」のタイトルとして『R6S』が選ばれて、優勝賞金は30万円でした。
「すごいじゃん! これ出てみよう!」ということになってeiNsとして出場しました。当時は強豪チームが4~5つくらいだったのですが、それがみんな同じグループに入ってしまったんですよ。いわゆる“死のグループ”というやつですね。父ノ背中も同じグループでした。
そこを僕らは3勝0敗で勝ち抜けたんです。もちろん決勝トーナメントでも優勝しました。日本ではまだプロリーグはなかったのですが、風の噂でどうやらできるらしいということを耳にしていたので、それをモチベーションにとにかくがんばりました。
▲NVIDIA CUP 2017のリザルト 出典:NVIDIA CUP 2017公式(https://www.nvidia.co.jp/content/apac/event/jp/geforce-cup-r6s/teams.html)
――失礼ですが、当時はまだ有名チーム、というわけでもなかったですよね?
ShiN はい、僕もチームもまだ知名度はありませんでした。ここで優勝してから、少しずつ知れ渡っていきましたね。
その後、国内大会を何回か経験するんですけど、6~7月連続で優勝したり、着実に結果を出していきました。国内では安定して上位をキープできるようになったんです。
そんなとき、8月にアジア地域でプロリーグがスタートするということが、公式にアナウンスされました。参加する8チームを決める予選があって、シーズン6から日本でのプロリーグがスタート。Sengoku Gamingの前身のExtasyや野良連合、父ノ背中や僕たちeiNsが集まってスタートしました。
初のSix Invitationalで感じた、世界との差と世界への可能性
――そこを勝ち抜けてAPACファイナルへの切符を手に入れて、そこも勝利して世界大会となる「Six Invitational 2018」に出場、という流れですね。ShiN そうですね。APACで優勝したとき、トントン拍子で勝っていたので、「アジアも余裕だから世界でも勝てるだろう」というすごい自信しかなかったですね。
自信満々でサンパウロのシーズン6 ファイナルに出場したんですが、でもそこでFaze Clan(当時はTeam Fontt)にコテンパンにやられて。俺ら今まで何を練習してきたんだろうって、そこで1回挫折を味わいました。
▲2018年2月「Six Invitational 2018」Day1
――まったく歯が立たなかった?
ShiN 最初のマップ「銀行」は惜しいシーンもあったんです。チームメイトとのコミュニケーションエラーで自滅したような感じでした。だからこの段階ではまだ「いける!」と思っていました。
その次のマップ「オレゴン」で本当に歯が立たなくて……。SIX invitationalでの再戦でも歯が立ちませんでした。
でもグループステージは2回負けるまでチャンスがあるので、次のeRa Eternity戦に向けて気持ちを切り替えました。これは2-1で勝ったんです。このままイケるかも! と、次のENCE esports戦に挑み、1マップ先行して取ったんですが、その後2本取られて負けました。
このグループステージを通して世界との差を感じましたが、同時に世界への可能性も感じました。ただ、今の自分たちの練習では世界と戦うのは難しい、とも思いました。僕自身もこのあと就職活動を控えていたので、チームとしてどうなるか不透明な部分もあったためか、結果的にこのあと何人かチームから離れました。この大会での経験を活かして、他のチームに所属したいならそれでもいい、と話したんです。
――ご自身としてはどうするつもりだったのでしょう?
ShiN 当時、日本から世界大会に出たチームは僕らだけだったじゃないですか。この経験を、コミュニティの活性化や次の世代につなげていかなければ、と思ったんです。だからここで止めるわけにはいかないな、と。
それで新しくメンバーを募集して、今のチームにいるたいぽん選手とか、Afro選手とかを入れて再始動しました。
このときの自分のスタンスは、「世界大会に出て勝ちたい!」とガムシャラにやっていた時期とは違います。僕自身が世界大会に行きたいというよりは、みんなを連れて行ってあげたいという思いが強くなって、それがeiNsの活動方針になりました。
――実際に新生eiNsで活動してみていかがでしたか?
ShiN 初めてクラン活動をするメンバーとか、なかなか思いをしゃべってくれないとか、そういった苦労はずっとありました。この頃はもう「eiNs」という名前も日本の『R6S』界隈ではそれなりに知れ渡っていたので、そういう強豪チームはどういう練習をしているんだろう? という思いがあって入ったメンバーもいたようです。他のチームでの練習法がちょっと合わなかったみたいで。
ただ、eiNsも世界大会に出ていた頃とは違う練習方法になっていたんですけどね。
――メンバーやレベルが違えば、そこに合わせる形になりますよね。
ShiN そうですね、以前は何も考えず常に練習しろ、という千本ノックみたいな練習でした。ただそれは効率的じゃないし、時間もムダに使うから、そうじゃなくて効率のいいやり方であったり、さらにみんなに見てもらって面白いと思えるような作戦とか、そういった方向にシフトしました。
これが2018年3月頃の話です。
eiNsはそのままにレンタル移籍で野良連合に合流
――2018年のeiNsは必ずしも勝ち上がれたチームではなかったと思います。そのあたり、ShiN選手の手応えとしてはどうだったでしょう?ShiN そのシーズンのオフラインファイナルを決める大会で、僕たちeiNsとSengoku Gamingの試合があったんです。そこで最初のマップ「領事館」で1本取ったものの、結局2-1で負けました。
▲2018年4月 ジャパンプロリーグ シーズン7 日本代表決定戦
3月に再結成したので、自分が求める完成形にはほど遠い状態でした。段階を踏みながら練習していきました。オフラインファイナルにも絶対出てやるみたいな感じでもなくて。
――ShiNさん自身、野良連合にレンタル移籍された時期もありましたよね?
ShiN はい、野良連合は2018年5月にアメリカ・アトランティックシティで開催されたプロリーグ シーズン7グローバルファイナルに出場していたんですが、オフラインの世界大会は初めての経験だったこともあってうまく戦えなかったみたいで。
「何が自分たちに足りないんだろう」と考えたとき、世界大会経験者であったり自分の言葉で発信できるプレイヤーとかを求めていたみたいで、それで僕に依頼がきたようです。あくまで僕が感じた印象なので、実際のところはわかりませんが……。
ただ、僕はeiNsを抜ける気はなかったのでずっと断っていたんです。他の人探してくださいって。でも何日か経って改めてお願いがきたので、レンタル移籍という形で合流しました。2018年8月開催の「Six Major Paris」出場メンバーとして、ですね。
▲2018年8月 「Six Major Paris」 Day1
――日本のeスポーツ界隈ではレンタル移籍というのはまだ馴染みがないと思うんですが、野良連合はどうでしたか?
ShiN 考え方が違うチームでしたが、自分にはない新しい刺激になりました。他のプレイヤーと意見交換とか反省会をする中で、自分のためになるものは取り入れましたし、求められれば自分からも意見をしました。せっかく自分を選んでくださったこともあるので、こうした舞台での戦い方を伝えたりもしました。
* * * * * * *
後編では、FAV gamingに加入した経緯を中心に話を聞く。
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