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生粋の『アルカナハート』勢が『レインボーシックス シージ』実況になるまで【『R6S』キャスター ふり~だ氏インタビュー前編】
2015年にユービーアイソフトより発売された『レインボーシックス シージ』(以下『R6S』)。本作の競技シーンにおいて、試合で激戦を繰り広げる選手と同じく、忘れてはならない重要人物がいる。そう、メーカー公式キャスターとして数々の試合を盛り上げてきた「ふり~だ」氏だ。
かつては生粋の対戦格闘ゲーマーとして牙を振るった彼は現在、キャッチーに響き渡る声で幾つもの試合を実況し、『R6S』コミュニティで確固たる支持を得ている。
今回は様々な格ゲータイトルで名を馳せ、『R6S』公式キャスターとして活躍するふり~だ氏にインタビューを実施。前編となる本稿では、氏が初めてビデオゲームと出会った経緯をはじめ、現役プレーヤーとして「闘劇」や「EVO」に参加した思い出、そして一人の選手からキャスター業へ移行したキッカケについてお届けする。
――最初にパーソナルな部分から聞かせてください。ゲームとはどのように出会ったのでしょうか?
ふり~だ:僕の父親がゲームセンターをやっていたんですよ。今は別の方に引き継ぎましたが、一時は志木にある「ゲームデイトナ志木」は親父がやってました。そこの系列でしたね。クラールという会社が東武東上線界隈にゲームセンターを展開していて、朝霞の「ゴジラ」や志木の「キング」も系列だったんです。だから志木ガイルさん(『スーパーストリートファイターIIX』などでガイルやバイソンを得意としていた伝説的プレイヤー)とも僕は「お疲れっす!」みたいに話せる関係で。
――じゃあ割と幼少期からゲームとは付き合いが長いんですね。
ふり~だ:そうです。「初めてプレイしたゲームは?」って聞かれると、たぶんALIENWARE ZONEの中でもかなり古いと思います。最初はカプコンのアーケードゲーム『ウィロー』というゲームを親父の店で遊んでました。その後4歳ぐらいのときに『ストリートファイターII』が出ました。当時って対戦格闘ゲーム全盛期というか、ドカッと勢いがありまして。お店のアルバイトの人が僕に昇龍拳や波動拳の出し方を教えてくれて、4歳から昇龍拳を出してましたね。それで英才教育みたいな(笑)。
――じゃあ、基本的にゲームセンターでずっと遊んでいた感じでしょうか?
ふり~だ:そうですね。家庭用ゲームも触っていましたけど、友達と遊んだゲームよりはアーケードゲームのほうがゆかりが古いというか。
小学生ぐらいのときには、吉祥寺にウチがお店を構えていたんです。だから学校が終わったらお店に行ってガッツリ練習。そのおかげなのか、ある程度のコンボはできるようになっていました。それで、お客さんが連勝していると、父親が僕を送り込んで連勝を止めてインカムを稼ぐという……用心棒みたいですよね(笑)。結局、ゲームセンターは不況にあえいでいたのもあって、最終的に父親もキャリアチェンジしちゃいましたけど、今の自分の仕事に対しては理解があったと思います。
――その対戦していたときって何歳ぐらいですか?
ふり~だ:4歳からずっとですね。小学校から中学校までの期間は変わらずにのめり込んでいました。『THE KING OF FIGHTERS '98』までずっとやってて、当時の『餓狼伝説 SPECIAL』とか『スーパーストリートファイターII』も、リアルタイムで父親の店で眺めていましたね。ゲームセンター専門雑誌「ゲーメスト」も「アルカディア」も読み込んだり。おそらくゲーム年齢で言うとめちゃくちゃ親父なんですよ、"ゲー歴"的には。
――確かに『ストII』が出たときから数えると長いですね。
ふり~だ:ただ、大会に出ている人は周りにいなかったです。なので基本操作は習得しましたが、リスク管理とか何フレーム硬直といったところまで意識は向いていなかったと思います。
その後の高校時代はまったくゲームに触れていませんでしたが、卒業後のある日、自分の父親の店に『超ドラゴンボールZ』が入って、たまたまプレイしたんですよ。ウチの店には"かずのこ"とかをはじめとした強いプレイヤーがやって来ていて、レベルが高かったんです。「強いプレイヤーに勝つにために何をしたらいいんだろう」と向き合うキッカケになりました。
向き合ったときに自分が勝てるのか試したくなり、腕試しに池袋の「サファリ」とか色んなゲーセンを回ったんです。そうすると巡礼の先々で勝率が良くて……。全国大会も近かったし、予選大会に出場してチケットを勝ち取り、池袋のサンシャインシティで行われた『超ドラゴンボールZ』の全国大会に出てみました。当時はまだ"eスポーツ"なんて言葉はなかったですけどね。
――本当にゲーム大会ですよね。
ふり~だ:「俺、けっこう行けるよな!」と密かに自信があったんですけど、決勝がフリーザ同士の対決になりまして……。僕は同キャラ対策が緩くて負けてしまったんです。なのでそのときは準優勝の2位でした。そこで「とりあえず1位の選手をぶっ倒そう」と火がついて(笑)。
優勝したプレイヤーにネットの掲示板に「次、いつ東京に来ます? 対戦しましょう!」と送って。リベンジマッチに向けて練習しました。その方は「アルカディア」が開催していたアーケード向け格闘ゲーム大会「闘劇」の『北斗の拳』部門へシフトしていましたが、リベンジマッチは付き合ってくれました。結果は僕が勝ちましたけど、自分を負かした人が闘劇に出ているって聞いて、そこから競技シーンに興味が湧いたんです。
「じゃあ次は『闘劇』に出てみたい!」とターゲティングして、『アルカナハート』(以下『アルカナ』)を始めました。けど、最初は『アルカナ』をやりたいと思っていなくて。
かつては生粋の対戦格闘ゲーマーとして牙を振るった彼は現在、キャッチーに響き渡る声で幾つもの試合を実況し、『R6S』コミュニティで確固たる支持を得ている。
今回は様々な格ゲータイトルで名を馳せ、『R6S』公式キャスターとして活躍するふり~だ氏にインタビューを実施。前編となる本稿では、氏が初めてビデオゲームと出会った経緯をはじめ、現役プレーヤーとして「闘劇」や「EVO」に参加した思い出、そして一人の選手からキャスター業へ移行したキッカケについてお届けする。
「4歳で昇龍拳」格ゲーに夢中だった幼少期
――最初にパーソナルな部分から聞かせてください。ゲームとはどのように出会ったのでしょうか?
ふり~だ:僕の父親がゲームセンターをやっていたんですよ。今は別の方に引き継ぎましたが、一時は志木にある「ゲームデイトナ志木」は親父がやってました。そこの系列でしたね。クラールという会社が東武東上線界隈にゲームセンターを展開していて、朝霞の「ゴジラ」や志木の「キング」も系列だったんです。だから志木ガイルさん(『スーパーストリートファイターIIX』などでガイルやバイソンを得意としていた伝説的プレイヤー)とも僕は「お疲れっす!」みたいに話せる関係で。
――じゃあ割と幼少期からゲームとは付き合いが長いんですね。
ふり~だ:そうです。「初めてプレイしたゲームは?」って聞かれると、たぶんALIENWARE ZONEの中でもかなり古いと思います。最初はカプコンのアーケードゲーム『ウィロー』というゲームを親父の店で遊んでました。その後4歳ぐらいのときに『ストリートファイターII』が出ました。当時って対戦格闘ゲーム全盛期というか、ドカッと勢いがありまして。お店のアルバイトの人が僕に昇龍拳や波動拳の出し方を教えてくれて、4歳から昇龍拳を出してましたね。それで英才教育みたいな(笑)。
――じゃあ、基本的にゲームセンターでずっと遊んでいた感じでしょうか?
ふり~だ:そうですね。家庭用ゲームも触っていましたけど、友達と遊んだゲームよりはアーケードゲームのほうがゆかりが古いというか。
小学生ぐらいのときには、吉祥寺にウチがお店を構えていたんです。だから学校が終わったらお店に行ってガッツリ練習。そのおかげなのか、ある程度のコンボはできるようになっていました。それで、お客さんが連勝していると、父親が僕を送り込んで連勝を止めてインカムを稼ぐという……用心棒みたいですよね(笑)。結局、ゲームセンターは不況にあえいでいたのもあって、最終的に父親もキャリアチェンジしちゃいましたけど、今の自分の仕事に対しては理解があったと思います。
――その対戦していたときって何歳ぐらいですか?
ふり~だ:4歳からずっとですね。小学校から中学校までの期間は変わらずにのめり込んでいました。『THE KING OF FIGHTERS '98』までずっとやってて、当時の『餓狼伝説 SPECIAL』とか『スーパーストリートファイターII』も、リアルタイムで父親の店で眺めていましたね。ゲームセンター専門雑誌「ゲーメスト」も「アルカディア」も読み込んだり。おそらくゲーム年齢で言うとめちゃくちゃ親父なんですよ、"ゲー歴"的には。
――確かに『ストII』が出たときから数えると長いですね。
ふり~だ:ただ、大会に出ている人は周りにいなかったです。なので基本操作は習得しましたが、リスク管理とか何フレーム硬直といったところまで意識は向いていなかったと思います。
その後の高校時代はまったくゲームに触れていませんでしたが、卒業後のある日、自分の父親の店に『超ドラゴンボールZ』が入って、たまたまプレイしたんですよ。ウチの店には"かずのこ"とかをはじめとした強いプレイヤーがやって来ていて、レベルが高かったんです。「強いプレイヤーに勝つにために何をしたらいいんだろう」と向き合うキッカケになりました。
向き合ったときに自分が勝てるのか試したくなり、腕試しに池袋の「サファリ」とか色んなゲーセンを回ったんです。そうすると巡礼の先々で勝率が良くて……。全国大会も近かったし、予選大会に出場してチケットを勝ち取り、池袋のサンシャインシティで行われた『超ドラゴンボールZ』の全国大会に出てみました。当時はまだ"eスポーツ"なんて言葉はなかったですけどね。
――本当にゲーム大会ですよね。
ふり~だ:「俺、けっこう行けるよな!」と密かに自信があったんですけど、決勝がフリーザ同士の対決になりまして……。僕は同キャラ対策が緩くて負けてしまったんです。なのでそのときは準優勝の2位でした。そこで「とりあえず1位の選手をぶっ倒そう」と火がついて(笑)。
優勝したプレイヤーにネットの掲示板に「次、いつ東京に来ます? 対戦しましょう!」と送って。リベンジマッチに向けて練習しました。その方は「アルカディア」が開催していたアーケード向け格闘ゲーム大会「闘劇」の『北斗の拳』部門へシフトしていましたが、リベンジマッチは付き合ってくれました。結果は僕が勝ちましたけど、自分を負かした人が闘劇に出ているって聞いて、そこから競技シーンに興味が湧いたんです。
「じゃあ次は『闘劇』に出てみたい!」とターゲティングして、『アルカナハート』(以下『アルカナ』)を始めました。けど、最初は『アルカナ』をやりたいと思っていなくて。
”勝ちたい一心”で大会に挑んだプレーヤー時代
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