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【ネモ選手インタビュー】社会人プロゲーマーだったからこそわかる、プロを目指す人にネモがいま伝えたいこと
ほんの数年前までのプロゲーマーは「プロゲーマー? ゲームでお金を稼げるの?」と首を傾げる人も多い職業だった。しかし2022年現在では、プロゲーマーたちの活動がTVで取り上げられることもあるほど認知度は高まり、子供たちが将来なりたい職業の上位にランキングされることも珍しくなくなっている。
今回インタビューを行ったネモ選手は、2016年にAlienwareと契約を結びプロゲーマーとなった人物だ。現在は「ウェルプレイド・ライゼスト」に所属し専業プロゲーマーとして活躍しているネモ選手だが、約1年前までは、会社勤めとゲーマー生活を両立した兼業プロゲーマーとして活動を行っていた。
専業プロゲーマーが増加する中、なぜネモ選手は兼業を続けていたのか。社会人として豊富な経験を持つネモ選手から見た、プロゲーマーの問題点とは何か。リーダーを務めるeスポーツチーム「Saishunkan Sol 熊本」を通じて果たそうとしている役割とは何か。そしてネモ選手自身の今後への展望とは何か。
ネモ:自分は2015年ごろからスポンサー獲得のためにいろんな企業へ営業に行っていたんですけど、どの企業からも「ウチでは前例がないからやれない」と全然相手にしてもらえなかったんです。でも、Alienwareさんはプレゼンをしたときに「資料はもっとこうしたほうが良いね」とアドバイスをしてくれたりと、他の会社ではまったくなかった手ごたえを感じたんです。
当時のAlienware担当者はeスポーツにかなりの熱量を持っている方だったんですが、ちょうどデル本社からも、「そろそろ日本でもeスポーツをやっていきなよ」と打診があったそうで、そこに自分が現れてアタックしていたんですね。Alienwareが無かったら、今こうして自分がプロゲーマーとして活動できていませんでした。とても感謝しています。
▲Alienware Zoneでは2016年の開設から2018年まで、ネモ選手のコラムを連載していた
――印象に残っている出来事はありますか?
ネモ:自分が「こういうことをやりたい」と提案すると、すぐに一緒になって考えてくれるほど、担当者がとても熱心でした。当時、オフラインでの対戦に困っていた時期が結構あったんですよ。対戦できる場所は秋葉原の「e-sports SQUARE」くらいしかなくて、それも曜日が決まっていました。
どうすればいいのかと相談したら、AlienwareさんがPCを貸し出してくれて対戦会を開けたこともありました。2017年に「Red Bull Kumite 2017」で優勝したときも、「祝勝会をやりたいです」と申し出たら秋葉原の店舗を貸し切りにしてくれて、本当にいろんなことをしてくれましたね。
▲Alienware ASTORE AKIBAにて行った祝勝会の様子(2017年6月4日)
ネモ:家庭の事情もあり、専業プロゲーマーは親の理解を得られなかったんです。しかし会社員をやりながらプロゲーマーとして活動する形なら許してくれたので、兼業でやることになったんです。
――2018年にはスクウェア・エニックスに入社しています。どのような業務を担当されていたのでしょうか。
ネモ:おもにスマホアプリの運営に携わっていました。最初は対戦型カードバトルを担当していたので、配信動画の制作などをやりつつ、バトルバランスの調整をしていました。でもしばらくしてサービスが終了してしまったので、その後はQA業務の最適化やマーケティング、Twitterの施策やイベント周りなど、それほど重くはない作業を行っていました。
――スクエニさんからは軽めの業務を割り振られていたのでしょうか?
ネモ:その側面はもちろんありました。自分がTeam Liquidに所属していた時代には海外大会をかなり回っていたので、どうしても他の人の助けが必要だったんです。
――新型コロナウイルスの影響が出る前の時期は、『ストV』のCAPCOM Pro Tour(以下、CPT)の予選が毎週のように海外で開催されていました。体力的には厳しかったのでは?
ネモ:そのころは夢中になって仕事とゲームに打ち込んでいました。会社には午前中だけ出て仕事をして、その日の夕方に海外に行って、週末は大会に出て帰国してそのまま出社したこともありましたね。そのスケジュールを繰り替えすことが当然になっていて、休む暇はぜんぜんありませんでした。
2年くらいそのような形で活動をしていたんですけど、やはり体がきついと思う瞬間もあったんですよ。ギリギリでやりくりしていたので、いつ体調を崩してもおかしくない状態でした。「もしかしたら来年は今ほど回れなくなるかもしれない」とチームにも相談していたんですが、そこにコロナが来たんです。
今回インタビューを行ったネモ選手は、2016年にAlienwareと契約を結びプロゲーマーとなった人物だ。現在は「ウェルプレイド・ライゼスト」に所属し専業プロゲーマーとして活躍しているネモ選手だが、約1年前までは、会社勤めとゲーマー生活を両立した兼業プロゲーマーとして活動を行っていた。
専業プロゲーマーが増加する中、なぜネモ選手は兼業を続けていたのか。社会人として豊富な経験を持つネモ選手から見た、プロゲーマーの問題点とは何か。リーダーを務めるeスポーツチーム「Saishunkan Sol 熊本」を通じて果たそうとしている役割とは何か。そしてネモ選手自身の今後への展望とは何か。
ネモ選手は「Alienware」と共に始まった
――ネモ選手は、2016年7月にデルのゲーミングPCブランド「Alienware」と契約してプロゲーマー生活をスタートしました。当時の話をお聞かせください。ネモ:自分は2015年ごろからスポンサー獲得のためにいろんな企業へ営業に行っていたんですけど、どの企業からも「ウチでは前例がないからやれない」と全然相手にしてもらえなかったんです。でも、Alienwareさんはプレゼンをしたときに「資料はもっとこうしたほうが良いね」とアドバイスをしてくれたりと、他の会社ではまったくなかった手ごたえを感じたんです。
当時のAlienware担当者はeスポーツにかなりの熱量を持っている方だったんですが、ちょうどデル本社からも、「そろそろ日本でもeスポーツをやっていきなよ」と打診があったそうで、そこに自分が現れてアタックしていたんですね。Alienwareが無かったら、今こうして自分がプロゲーマーとして活動できていませんでした。とても感謝しています。
▲Alienware Zoneでは2016年の開設から2018年まで、ネモ選手のコラムを連載していた
――印象に残っている出来事はありますか?
ネモ:自分が「こういうことをやりたい」と提案すると、すぐに一緒になって考えてくれるほど、担当者がとても熱心でした。当時、オフラインでの対戦に困っていた時期が結構あったんですよ。対戦できる場所は秋葉原の「e-sports SQUARE」くらいしかなくて、それも曜日が決まっていました。
どうすればいいのかと相談したら、AlienwareさんがPCを貸し出してくれて対戦会を開けたこともありました。2017年に「Red Bull Kumite 2017」で優勝したときも、「祝勝会をやりたいです」と申し出たら秋葉原の店舗を貸し切りにしてくれて、本当にいろんなことをしてくれましたね。
▲Alienware ASTORE AKIBAにて行った祝勝会の様子(2017年6月4日)
兼業時代の働き方
――ネモ選手は2021年から専業プロゲーマーとして活動していますが、Alienwareとの契約時やその後のTeam Liquid時代は、大半の時期を社会人との兼業ゲーマーとして過ごしています。なぜ、兼業を選択したのでしょうか。ネモ:家庭の事情もあり、専業プロゲーマーは親の理解を得られなかったんです。しかし会社員をやりながらプロゲーマーとして活動する形なら許してくれたので、兼業でやることになったんです。
――2018年にはスクウェア・エニックスに入社しています。どのような業務を担当されていたのでしょうか。
ネモ:おもにスマホアプリの運営に携わっていました。最初は対戦型カードバトルを担当していたので、配信動画の制作などをやりつつ、バトルバランスの調整をしていました。でもしばらくしてサービスが終了してしまったので、その後はQA業務の最適化やマーケティング、Twitterの施策やイベント周りなど、それほど重くはない作業を行っていました。
▲スクエニスマホタイトルの配信番組にも出演していた【サヴァスロ攻略配信「マゴ×ネモ! サヴァスロアカデミー」】
— サーヴァント オブ スローンズ公式 (@SoT_PR) August 15, 2018
この後19:00から放送!
▼ご視聴はこちら▼https://t.co/Ga8BKyrHT2
〈出演〉
マゴ(@magotto3)
Team Liquid ネモ(@GOOD_NEMO)
三浦優奈(@miurayuna)#サヴァスロ pic.twitter.com/70wuce0mXp
――スクエニさんからは軽めの業務を割り振られていたのでしょうか?
ネモ:その側面はもちろんありました。自分がTeam Liquidに所属していた時代には海外大会をかなり回っていたので、どうしても他の人の助けが必要だったんです。
――新型コロナウイルスの影響が出る前の時期は、『ストV』のCAPCOM Pro Tour(以下、CPT)の予選が毎週のように海外で開催されていました。体力的には厳しかったのでは?
ネモ:そのころは夢中になって仕事とゲームに打ち込んでいました。会社には午前中だけ出て仕事をして、その日の夕方に海外に行って、週末は大会に出て帰国してそのまま出社したこともありましたね。そのスケジュールを繰り替えすことが当然になっていて、休む暇はぜんぜんありませんでした。
2年くらいそのような形で活動をしていたんですけど、やはり体がきついと思う瞬間もあったんですよ。ギリギリでやりくりしていたので、いつ体調を崩してもおかしくない状態でした。「もしかしたら来年は今ほど回れなくなるかもしれない」とチームにも相談していたんですが、そこにコロナが来たんです。
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