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【プロゲーマー ふ〜ど選手インタビュー・前編】知らない情報は人に聞き、知っている情報は人に教える、という才能
『ストリートファイターⅤ アーケードエディション』のトッププレイヤーとして活躍するプロゲーマー・ふ〜ど選手(本名:阿井慶太)。『ストⅤ』での彼の活躍を応援するファンの中には、彼がプロゲーマーになる以前、『ストリートファイター』とはまったく異なるゲーム性を持つ『バーチャファイター』の世界でトッププレイヤーだったことを知らない人も多いのではないだろうか。
2D・3D格闘ゲームのみならず、TPSやトレーディングカードゲーム等、あらゆるゲームで実力を発揮するマルチゲーマーでありながら、配信やSNSでは泰然自若として自己流に人生を楽しむ生き様の達人としての表情を見せる。
折しも、10月12日(土)にシンガポールで開催された「South East Asia Major 2019」にて、悲願のCPTメジャー大会優勝を成し遂げたばかり。その優勝につながるまでの彼の生き方・考え方に迫るロングインタビュー、今回は前編をお届けする。
ふ〜ど:そうです。僕の世代はゲームの全盛期っていうか、物心ついた時からゲームが当たり前に溢れている時代なんですよ。家庭用ゲーム機もPlayStationとかニンテンドー64の世代なんですけど、ファミコンやスーパーファミコンもお古でもらって持ってたり。そんな時代でした。
――小さいころからゲーム少年だったんですね。
ふ〜ど:そうですね、ゲームは好きでした。『THE KING OF FIGHTERS '94』とか『メタルスラッグ』とか、駄菓子屋の筐体に入っていたゲームは全部プレイして。
――その頃からマルチゲーマーの片鱗があった、と。
ふ〜ど: 100円とか50円でプレイできるから、見たことないゲームがあったらとりあえず全部遊んでいましたね。団地の駄菓子屋が廃業した後は近所のららぽーとにあるゲーセンに行くようになったんですけど、やっぱりその店に入ったゲームも全部やっていました。アクション、シューティングや格闘ゲームだけじゃなくて、『BEATMANIA』や『DanceDanceRevolution』といったリズムゲームや、それこそビデオゲームだけじゃなくてメダルゲームもすごくやっていたんですよ。
――遊んでいたゲーセンはそこだけだったんですか?
ふ〜ど:そうです。だから「自分が一番ゲームうまい!」と思っていました。外の世界のことは考えたこともないから、日本一とか世界一とかっていう単位はなく、単純に「自分が一番じゃないか」って。
でも中学生のときに初めて船橋フジ(ゲームフジ船橋。船橋のゲームセンター。現在は閉店)に行ったら、もの凄く高いレベルの人がいるんだな、って驚きましたよ。
――昔から格闘ゲームが好きな人からすると、ふ〜ど選手は『バーチャファイター』勢という印象だと思うんですけど、ファミリーゲーセンでキャッキャしてたエンジョイ勢が『バーチャ』で名を挙げるまでのあいだ、何があったのでしょう?
ふ〜ど:僕が対戦ゲームで他のゲーセンまで対戦しに行くようになったのは、『機動戦士ガンダム 連邦vsジオンDX』(以下『連ジ』)が最初なんですよ。たぶん僕の世代って『連ジ』にハマっている人はとても多かったと思います。
その頃の僕の家の近所だと、さっきも言った船橋フジと津田沼エース(アミューズメントエース津田沼)というゲーセンがチャリンコで通える圏内だったんですけど、津田沼で初対面の人と一緒にチームを組んでいたら何かにキレたのか台蹴りされて「怖っ!」って思って。それで自然と船橋フジがホームになりました(苦笑)。なので、基本的に僕は出身ゲームで言うなら『ガンダム』勢なんです。
――『バーチャ』からじゃなかったんですね。
ふ〜ど:その当時の船橋フジは2階に『バーチャ』と『ガンダム』が置いてあったんですけど、『ガンダム』勢の僕は基本的に『ガンダム』をやりつつ、カードシステムが凄く面白かったから、カジュアルな感じで『バーチャ』をやっていたんですよ。
――カードシステムがあるということは『バーチャファイター4』ですよね。タイトル的に2001~2002年ごろ?
ふ〜ど:『バーチャ4』の中でもバージョンCとか『バーチャファイター4 Evolution』とか、かなり後期バージョンの時期で……2002年ごろでした。『バーチャ4』からシリーズを始めた新規勢の中でも遅いほうだったんです。
『ガンダム』をやりながらも『バーチャ4』をやるっていう時期が半年ぐらい続いたころ、船橋フジで『バーチャ4』大会がありまして、何となくホームゲーセンの大会に出たら優勝できたってだけだったんですけど、じつはその大会は全国大会の予選だったんですね。で、さらにそれで出場権を獲得した県大会にも優勝して「格闘新世紀」(セガ公式の全国大会)の本戦に出られることになっちゃったんです。
――強豪が集まるゲーセンでならした『バーチャ』勢というよりは、地方大会を勝ち抜いた無所属新人みたいな感じで全国大会に参加したんですね。
ふ〜ど:全国大会に出られることになったときに僕の周りは「やばい! すげえじゃん!」って盛り上がったんですけど、僕自身は半年くらいしかやっていなかったので、『バーチャ』業界とか有名プレイヤーも全然知らないから「それ何?」みたいな。大会では強い人に1回戦で負けて、誰とも会話せずに、その日一言もしゃべらないまま帰りました(笑)。
――個人的にはふ〜ど選手が『バーチャ』で頭角を現したときって、いきなりすごく強い子が現れたな、みたいなイメージがありました。
ふ〜ど:最初のメジャー大会デビューはその一回戦負けだったんですけど、全国大会に出るようになると近所の強いプレイヤーに名前を憶えてもらったり、話しかけてもらったりするようになるんですよ。それで徐々にコミュニティに入っていった感じです。
『バーチャ』業界には「VFR」(VirtuaFighter Relationship。全国のバーチャが盛り上がっている店舗同士で連携して運営している、ユーザー主導のイベント団体。当時より活発さは低下しているものの健在)という団体が運営している大会がたくさんあって、加盟店の大会結果が常にサイト上で管理されていたのも大きかったですね。
VFR加盟店であれば、千葉の奥地にあるようなゲーセンの大会でもランキングポイントが溜まったり、上位入賞者の名前が掲載されていくので、そうなると僕が東京に行かなくてもどんどん『バーチャ』業界内に名前が知れ渡っていったんです。そうしてコミュニティに知られていって、強い人のいる環境に足を伸ばすようになったんです。
ふ〜ど:毎週、土曜と日曜で2大会あって、それに毎週のように出てたから、年間100大会くらい行っていたんじゃないかな。東京、千葉はもちろん、埼玉とか茨城とか、車で行ける範囲内の大会には必ず。誰よりも大会には参加してたと思います。当時免許を持っていなかったので友達に送ってもらって(笑)。
――ランキング大会の参加者となると、強豪プレイヤーも多かったと思いますが、そこでいきなり勝てたのにはどんな理由があるんですか?
ふ〜ど:そのころ、千葉にバーチャプレイヤーが集まってルームシェアしているみたいな場所があって、そこに入り浸るようになったんです。トッププレイヤーの練習場所になっていたから、都心部や関西からも強い人が集まって来たりしていて、板橋ザンギエフさんと会ったのもそこが最初ですね。僕は生粋のゲーセン族なんですけど、強くなった理由を言うならばその環境にいたことかもしれないです。
――家庭用ゲーム機版の『バーチャファイター』シリーズをやり込める練習所があったんですね。
ふ〜ど:大会にいきなり強い人が出て来た、という印象を持たれたのであれば、練習環境がそこでの家ゲー(家での対戦)だったからですね。その環境で日常的に虎龍さん(関西出身のラウやパイのトッププレイヤー)とかと対戦していたので、いざゲーセンに出て連勝している人と対戦してみても、あれ? たいしたことないぞ? ってなるわけです。
――ああ、なるほど。
ふ〜ど:その頃もゲーセンは行ってはいるんですけど、ゲーセンは実践の場であって、研究して強くなっていくのは家でやっている時間というか。仲間としゃべりながら、そこはこうしたらいいんじゃないか、それを試してみよう、って研究しながらやるのって、もうぜんぜん成長速度が違うんです。
現在の格ゲーのプロプレイヤーも、オンラインじゃなくてオフライン環境にみんなで集まって内容を言い合うのが当たり前になっているんですけど、そういう練習のスタンスをその頃に学ばせてもらったことは大きいと思います。
――格ゲーコミュニティに入ってからは『バーチャ』一本に絞ってプレイしてたんですか?
ふ〜ど:そうですね。全国大会に出てみんなに知ってもらうと、せっかくならみんなに知ってもらっているゲームをやったほうが僕も周りも嬉しいので、この頃は『バーチャ』一本でした。ガンダムも『機動戦士ガンダムSEED 連合vs Z.A.F.T.』まではめっちゃやっていたんですけど。その次からはやらなくなりました。
――そんな『バーチャ』プレイヤーとして知られたふ〜ど選手が、『ストリートファイターIV アーケードエディション』(以下『ストIV AE』)で「EVO 2011」で優勝したときは驚きました。
ふ〜ど:世間的にはあんまりそういうイメージはなかったかもしれないですけど、実は『ストIV AE』はかなりやってはいたんです。ネット上で『ストIV AE』の観戦文化が盛り上がり始めたのは、家庭用ゲーム機版が『スーパーストリートファイターIV』にバージョンアップされて、GODSGARDENが開催されて、ウメハラさんとかsakoさんみたいなスタープレイヤーの対戦がネットで見られるようになったタイミングなんですよね。
人と話すのが好きな僕は、一人でゲームをやらないんですよ。なので最初は家庭用ゲーム機版だけだった『スーパーストリートファイターIV』はまったくやっていなかった。その代わり、ゲーセンには通い詰めていましたから、ゲーセンで『ストIV AE』をやっているような人だけ、僕が『ストIV AE』をやり込んでいることは知っていたんです(笑)。
――それでもゲーセンに『スーパーストリートファイターIV アーケードエディション』が出るやいなや、「EVO2011」で優勝してしまうからスゴいですよね。
ふ〜ど:そのときは「こんなにゲームに身を捧げているんだから、一回くらい海外のお祭りみたいな大会に行ってみてもいいだろう」くらいの気持ちで出ていました。あくまでも大会好き、お祭り好きの延長だったんで、そこまで意気込んで「優勝するぞ!」って参加したわけじゃなかったんですよね。
――優勝の可能性はまったく考えていなかったんですか?
ふ〜ど:当時の格ゲーの世界は今と違って日本のレベルが他の国よりはるかに高くて、さらに日本国内のゲーセンで言うと新宿のタイステ(タイトーステーション新宿南口ゲームワールド店)にトッププレイヤーが集まっていて、一番強いゲーセンだったんですよ。僕はタイステでそこそこ勝てていたので、内心では優勝してもおかしくないだろうとは思ってました。
――結果的には、その「EVO」制覇がきっかけでプロゲーマーになりました。
ふ〜ど:前の年にウメハラさんが米国のゲーム周辺機器企業と契約して初のプロゲーマーになったばかりのころだったので、「EVO」くらいの大きい大会で結果を残せばワンチャンあるんじゃないか、みたいなタイミングではあったんですよね。なので、せっかくだからプロゲーマーになれたらいいなとは思っていたんですけど、少なくともそれを目的にしてはいなかったです。
――声をかけて来たのはRazerだけだったんですか?
ふ〜ど:いえ、他のところからも声はかけてもらえました。でも僕は格ゲー以外もやりたくなるほうだし、スポンサードしてもらうことで自由がなくなるのは嫌だったので、僕個人の意思を尊重してくれる姿勢を見せてくれたRazerさんに決めました。
他のゲームジャンルはどうだったか覚えていないですが、Razerさんと契約した日本の格闘ゲーマーでは僕が最初ですね。それで板橋ザンギエフさんを紹介する機会を得て、一緒にRazerのプロになりました。
――プロになってからは順風満帆ですか?
ふ〜ど:成績面で言ったらそうですね。やっぱりプロゲーマーって、出てきたばかりの職業なので、2012年にプロになってから7年間もやって来られたのは、自分で言うのもなんですがすごいことだと思います。
――7年続くなら、今の社会のスタンスならそこそこの安定ですよね。
ふ〜ど:僕は今のプロゲーマーの仕事って、街灯を点ける作業だと思ってるんです。今この業界はまだほとんど明かりがなくて、ウメハラさんみたいな先人が、少しずつ街灯を点けてそこを通るとまっすぐ歩けますよ、みたいな感じで。街頭のないところは通れないわけじゃなくて、誰も通っていないから明かりがないってだけ。その「暗闇」っていうのが「多様性」なんですよ。
だから、王道的なルートもあれば、何やってもいい。賞金の出る大会で勝ちまくるだけじゃなくて、配信をとおして影響力を高めて、きちんと企業のスポンサードを受けられるような活動をしていくのもアリじゃないですか。
僕がプロゲーマーになるときは、そういう街灯のない場所を歩いて道を灯していけるっていうのが魅力的でしたね。人によっては不安だと思うんですけど、何を試してもいいんだ、って言えるのはすごく楽しい。
――そもそも第一人者のウメハラ選手からして、いろんな方向を試していますよね。
ふ〜ど:そうですね。でも、ひとつの方向だけに進んでいったら、そっちしかないと定義が固められてしまう危険性もある。僕は勝手にそう解釈していて、「こういう手もあるんですよ」って言っていけたら面白いなと思うんです。
ふ〜ど:そうですね、あれも公式大会を連覇したり、ポイントランキングで1位になったりしました。
――プロゲーマーと呼ばれる人の中にも、ふ〜ど選手ほど幅広いジャンルでトッププレイヤーになる人も少ないと思います。何かこう、秘訣みたいなものはあるんですか?
ふ〜ど:僕はとにかく“環境”を重視します。『ガンスト』は特にそういう部分が大きかったゲームなんですけど、いろいろな場所に行って見たことのない戦略とか、それをやっているうまい人を探すのが超重要なんです。
自分より強い人がいる場所を見つけて、その人と話したり、チームを組んだり、戦略を見たり。逆に、自分が一番うまいなとか、自分が一番上だなって思えているときは、あまり遠征しないで身内で研究を続けています。で、また自分が戦略的に劣っているなって思ったら、強い人のいる環境を見て回る。
――ふ〜ど選手が何のゲームやっても強くなれるのって、センスとか才能ではなくて、情報戦の部分が大きいんですね?
ふ〜ど:センスあるね、なんてよく言われますけど、ゲームの才能ってわからないんですよ。運動みたいに筋量とかも関係ないし。「反応がいい」って言われても、それも曖昧でよくわかんないじゃないですか。
――お聞きしてみたかったんですけど、ふ〜ど選手自身はゲームをやる上での自分の才能は何だと考えているんでしょう。
ふ〜ど:今言ったように、“才能”っていう言葉は曖昧でよくわからないので、考えないようにしています。わからないことを考えても仕方ないじゃないですか。例えばウメハラさんも「才能はなんですか」って聞かれたら、「俺は努力の人だから」と答えると思うんですよ。
自分の場合はなんだろうな……「すぐコミュニティに入り込んで人の話を聞く」とか、そういう感じなんですかね。もちろん自分で考えてプレイするのは前提として、ひとりで考えるよりみんなで効率良くやったほうが早いじゃないか、って思います。知っている人がいれば聞いたほうが良いし、僕は知らない人にも教えるし。そういうことをどのゲームでもすぐやるから、いろいろなゲームで効率良く結果が出ているのかもしれません。
――けっこうご自分で連係のネタ開発とかされていますよね。
ふ〜ど:ああ、そうですね。でもそれはいろんな人の情報を集めて素材を持っているから、それを組み合わせているんじゃないですかね。知識が広い方がネタに気づきやすいっていうのはあると思うんですよね。
そもそも今時のゲームプレイヤーは、自分の色を出したいって人が少なくなりました。昔はプレイに自分の色を出す人が多かったんです。僕はその頃からいろんな人の情報を元に組み上げていたから、自分の色が薄い側のプレイヤーでした。
――昔のプレイヤーは自分の色を出していたっていうのは面白いですね。
ふ〜ど:昔話で言えば、『バーチャ』で“バーチャ神”って呼ばれていたちび太さんは、ずっと僕と同じリオンってキャラを使っていたんですけど、キャラも独特なら戦い方も個性的で、僕が使っていたリオンと全然違うんです。僕はと言えば、割と真正面から反応と択で勝負する感じだったので、ずっと「リオンじゃないほうが強い」って言われていました。
――真っ向勝負をするなら、変則的なキャラを使う必要はないですもんね。
ふ〜ど:ですね。なので僕はこの局面ではこれが最適、この局面ではこれとこれで二択をかける、っていうのを正しく実行する、あんまり色がないプレイだったんですよ。これは世代かもしれないですね。
――最適化していくことがゲームプレイである、みたいな世代ということですかね。
ふ〜ど:そうですね。ゲームをちゃんと攻略するっていうか。昔だったら闇よだれさん(※カゲ使いのトッププレイヤー)とかもやっていたと思うんですけど、本当に一部しかやっていなかったですね。現代はみんなそのスタンスです。
プレイヤーの配信でも「これが正しいよ、この局面はこの択とこの択とこの択しかないから、その中の3つ選んでね」みたいな感じで最適解が議論されて広まるから、みんなそれをやるようになる。ゲームの最適解が広まる情報が早まったおかげで、結果、プレイヤーごとの色がなくなったというか。人の話を聞きまくる僕は、たぶんそれを昔からやっていたことになるんじゃないですかね。
――たしかにふ〜ど選手のプレイは、センスに依らず質実剛健な択をかけていくイメージはあるかもしれません。
ふ〜ど:たぶんすごく攻略思考なんですよ。「この局面ではコレとコレが択になる」というのはいかなるセンスをもってしても避けられない明確な事実じゃないですか。そういうものをバッとゲームでやってきたのかな。「センスありますね」とか「才能すごいね」って言われてもなんにも実態がわかんないから、もういいやと思いますよ。考えないですね。
――よく言われることではありますけどね。
ふ〜ど:センスと言われているものも、動きで紐解けるじゃないですか。あえてロマンを排除した言い方をしてしまうなら、センスあるねって言われても「ちゃんとやっているだけだよ」って思いますね。強いて言うなら、センスって“偏り”くらいのイメージですかね。
――圧力とか雰囲気とかいうものの正体も、言ってみれば選択肢ですもんね。
ふ〜ど:そうなんです。ビデオゲームなんでやれることは決まってるわけじゃないですか。明日新しい技が増えるとかもないし、今日はしゃがみ中キックの伸びが良い、とかもない。例えば『ストⅤ』で言うなら、ボタン6個で必殺技も決まってて、選択肢は超少ない。
――たとえ遠距離で歩いているときでも、意識する選択肢は無数ではないというのはわかります。『ストⅤ』のアンチの人はそういったジャンケンが好きではない空気はありますよね。
ふ〜ど:究極的にはどのゲームもそうなんですけどね。じゃあそれがつまらないのかって言ったら僕はそうは思えなくて。今のゲームはプロシーンがあって、すごい数のプレイヤーが真剣にゲームをやって、最適解にたどり着いて、みんなSNSで共有したり議論するんで、たしかに消耗が早いように見えるんです。
それでも海外のプレイヤーが急に、予想もしていなかったようなプレイでこっちを崩してくる。もちろんその局面の知識に差があっただけの“わからん殺し”の場合もあるんですけど、そうじゃなくて、予想もしていなかったようなその動きが最適解のひとつであるケースもあって。そうなると、それに関連するほかの局面の最適解も変わってきたりして。
――最適解が更新される可能性があるわけですね。
ふ〜ど:そうなんです。それを実現するのが何かって言ったら、自分以外の多勢のプレイヤーの脳味噌なんで、だから流行ってる、プレイヤー人数が多いゲームは正義だと思うんです。
僕にとってはゲームって“人間を楽しむこと”なんですよ。一人用ゲームはあんまり好きじゃないです。答えがすぐ出ちゃうし、それを更新してくれる人がいないから。
――子供のころやっていた一人用ゲームでも、つねに最適解を求めるようなプレイスタイルだったんですか?
ふ〜ど:『ドラゴンクエスト』をやっても鎧とかすぐ売ってましたもんね。それでブーメランを買って投げれば、結局ダメージ食らわないじゃん、って。
――“武器と防具は揃えるもの”っていうイメージに捉われない小学生は偉すぎます(笑)。
ふ〜ど:あと、レベル上げもしなかったですね。レベル上げしたら倒せるのはわかっているので好きじゃなくて。「楽して勝ちたい」より「工夫して勝つ」ほうが好きなんです。
――子供のころから最適化を意識していたんですね。
ふ〜ど:最適化というより、工夫したいんですよね。本当の最適化はもっとも効率のいい進め方を事前に調べたり、メタルスライムでレベル上げしたりして進むことだと思うんですけど、そうではなくて工夫で行けるところまで超ガンガン進むことを楽しんでいました。
ということで前編では、ふ〜ど選手のゲーマーとしての生い立ちからゲームにハマるきっかけ、格闘ゲーマーとして力をつけた場所などをみっちりうかがった。後編では普段の練習生活や、eスポーツ全般について語ってもらっている。
■関連リンク
ふ〜ど選手 Twitter
https://twitter.com/TheFuudo
TOPANGA TV(勝ちたがりTV) OPENREC.tv
https://www.openrec.tv/user/topangatv
2D・3D格闘ゲームのみならず、TPSやトレーディングカードゲーム等、あらゆるゲームで実力を発揮するマルチゲーマーでありながら、配信やSNSでは泰然自若として自己流に人生を楽しむ生き様の達人としての表情を見せる。
折しも、10月12日(土)にシンガポールで開催された「South East Asia Major 2019」にて、悲願のCPTメジャー大会優勝を成し遂げたばかり。その優勝につながるまでの彼の生き方・考え方に迫るロングインタビュー、今回は前編をお届けする。
生い立ち編 ふ~どはこうして作られた
――まず、子供時代からここまでのお話しをお聞きできればと思います。いま(2019年8月現在)は33歳ですよね?ふ〜ど:そうです。僕の世代はゲームの全盛期っていうか、物心ついた時からゲームが当たり前に溢れている時代なんですよ。家庭用ゲーム機もPlayStationとかニンテンドー64の世代なんですけど、ファミコンやスーパーファミコンもお古でもらって持ってたり。そんな時代でした。
――小さいころからゲーム少年だったんですね。
ふ〜ど:そうですね、ゲームは好きでした。『THE KING OF FIGHTERS '94』とか『メタルスラッグ』とか、駄菓子屋の筐体に入っていたゲームは全部プレイして。
――その頃からマルチゲーマーの片鱗があった、と。
ふ〜ど: 100円とか50円でプレイできるから、見たことないゲームがあったらとりあえず全部遊んでいましたね。団地の駄菓子屋が廃業した後は近所のららぽーとにあるゲーセンに行くようになったんですけど、やっぱりその店に入ったゲームも全部やっていました。アクション、シューティングや格闘ゲームだけじゃなくて、『BEATMANIA』や『DanceDanceRevolution』といったリズムゲームや、それこそビデオゲームだけじゃなくてメダルゲームもすごくやっていたんですよ。
――遊んでいたゲーセンはそこだけだったんですか?
ふ〜ど:そうです。だから「自分が一番ゲームうまい!」と思っていました。外の世界のことは考えたこともないから、日本一とか世界一とかっていう単位はなく、単純に「自分が一番じゃないか」って。
でも中学生のときに初めて船橋フジ(ゲームフジ船橋。船橋のゲームセンター。現在は閉店)に行ったら、もの凄く高いレベルの人がいるんだな、って驚きましたよ。
――昔から格闘ゲームが好きな人からすると、ふ〜ど選手は『バーチャファイター』勢という印象だと思うんですけど、ファミリーゲーセンでキャッキャしてたエンジョイ勢が『バーチャ』で名を挙げるまでのあいだ、何があったのでしょう?
ふ〜ど:僕が対戦ゲームで他のゲーセンまで対戦しに行くようになったのは、『機動戦士ガンダム 連邦vsジオンDX』(以下『連ジ』)が最初なんですよ。たぶん僕の世代って『連ジ』にハマっている人はとても多かったと思います。
その頃の僕の家の近所だと、さっきも言った船橋フジと津田沼エース(アミューズメントエース津田沼)というゲーセンがチャリンコで通える圏内だったんですけど、津田沼で初対面の人と一緒にチームを組んでいたら何かにキレたのか台蹴りされて「怖っ!」って思って。それで自然と船橋フジがホームになりました(苦笑)。なので、基本的に僕は出身ゲームで言うなら『ガンダム』勢なんです。
――『バーチャ』からじゃなかったんですね。
ふ〜ど:その当時の船橋フジは2階に『バーチャ』と『ガンダム』が置いてあったんですけど、『ガンダム』勢の僕は基本的に『ガンダム』をやりつつ、カードシステムが凄く面白かったから、カジュアルな感じで『バーチャ』をやっていたんですよ。
――カードシステムがあるということは『バーチャファイター4』ですよね。タイトル的に2001~2002年ごろ?
ふ〜ど:『バーチャ4』の中でもバージョンCとか『バーチャファイター4 Evolution』とか、かなり後期バージョンの時期で……2002年ごろでした。『バーチャ4』からシリーズを始めた新規勢の中でも遅いほうだったんです。
『ガンダム』をやりながらも『バーチャ4』をやるっていう時期が半年ぐらい続いたころ、船橋フジで『バーチャ4』大会がありまして、何となくホームゲーセンの大会に出たら優勝できたってだけだったんですけど、じつはその大会は全国大会の予選だったんですね。で、さらにそれで出場権を獲得した県大会にも優勝して「格闘新世紀」(セガ公式の全国大会)の本戦に出られることになっちゃったんです。
――強豪が集まるゲーセンでならした『バーチャ』勢というよりは、地方大会を勝ち抜いた無所属新人みたいな感じで全国大会に参加したんですね。
ふ〜ど:全国大会に出られることになったときに僕の周りは「やばい! すげえじゃん!」って盛り上がったんですけど、僕自身は半年くらいしかやっていなかったので、『バーチャ』業界とか有名プレイヤーも全然知らないから「それ何?」みたいな。大会では強い人に1回戦で負けて、誰とも会話せずに、その日一言もしゃべらないまま帰りました(笑)。
――個人的にはふ〜ど選手が『バーチャ』で頭角を現したときって、いきなりすごく強い子が現れたな、みたいなイメージがありました。
ふ〜ど:最初のメジャー大会デビューはその一回戦負けだったんですけど、全国大会に出るようになると近所の強いプレイヤーに名前を憶えてもらったり、話しかけてもらったりするようになるんですよ。それで徐々にコミュニティに入っていった感じです。
『バーチャ』業界には「VFR」(VirtuaFighter Relationship。全国のバーチャが盛り上がっている店舗同士で連携して運営している、ユーザー主導のイベント団体。当時より活発さは低下しているものの健在)という団体が運営している大会がたくさんあって、加盟店の大会結果が常にサイト上で管理されていたのも大きかったですね。
VFR加盟店であれば、千葉の奥地にあるようなゲーセンの大会でもランキングポイントが溜まったり、上位入賞者の名前が掲載されていくので、そうなると僕が東京に行かなくてもどんどん『バーチャ』業界内に名前が知れ渡っていったんです。そうしてコミュニティに知られていって、強い人のいる環境に足を伸ばすようになったんです。
勝ちたがる男、ふ〜ど爆誕
――セガ公式ではない大会、ものすごくたくさんありましたもんね。ふ〜ど:毎週、土曜と日曜で2大会あって、それに毎週のように出てたから、年間100大会くらい行っていたんじゃないかな。東京、千葉はもちろん、埼玉とか茨城とか、車で行ける範囲内の大会には必ず。誰よりも大会には参加してたと思います。当時免許を持っていなかったので友達に送ってもらって(笑)。
――ランキング大会の参加者となると、強豪プレイヤーも多かったと思いますが、そこでいきなり勝てたのにはどんな理由があるんですか?
ふ〜ど:そのころ、千葉にバーチャプレイヤーが集まってルームシェアしているみたいな場所があって、そこに入り浸るようになったんです。トッププレイヤーの練習場所になっていたから、都心部や関西からも強い人が集まって来たりしていて、板橋ザンギエフさんと会ったのもそこが最初ですね。僕は生粋のゲーセン族なんですけど、強くなった理由を言うならばその環境にいたことかもしれないです。
――家庭用ゲーム機版の『バーチャファイター』シリーズをやり込める練習所があったんですね。
ふ〜ど:大会にいきなり強い人が出て来た、という印象を持たれたのであれば、練習環境がそこでの家ゲー(家での対戦)だったからですね。その環境で日常的に虎龍さん(関西出身のラウやパイのトッププレイヤー)とかと対戦していたので、いざゲーセンに出て連勝している人と対戦してみても、あれ? たいしたことないぞ? ってなるわけです。
――ああ、なるほど。
ふ〜ど:その頃もゲーセンは行ってはいるんですけど、ゲーセンは実践の場であって、研究して強くなっていくのは家でやっている時間というか。仲間としゃべりながら、そこはこうしたらいいんじゃないか、それを試してみよう、って研究しながらやるのって、もうぜんぜん成長速度が違うんです。
現在の格ゲーのプロプレイヤーも、オンラインじゃなくてオフライン環境にみんなで集まって内容を言い合うのが当たり前になっているんですけど、そういう練習のスタンスをその頃に学ばせてもらったことは大きいと思います。
――格ゲーコミュニティに入ってからは『バーチャ』一本に絞ってプレイしてたんですか?
ふ〜ど:そうですね。全国大会に出てみんなに知ってもらうと、せっかくならみんなに知ってもらっているゲームをやったほうが僕も周りも嬉しいので、この頃は『バーチャ』一本でした。ガンダムも『機動戦士ガンダムSEED 連合vs Z.A.F.T.』まではめっちゃやっていたんですけど。その次からはやらなくなりました。
――そんな『バーチャ』プレイヤーとして知られたふ〜ど選手が、『ストリートファイターIV アーケードエディション』(以下『ストIV AE』)で「EVO 2011」で優勝したときは驚きました。
ふ〜ど:世間的にはあんまりそういうイメージはなかったかもしれないですけど、実は『ストIV AE』はかなりやってはいたんです。ネット上で『ストIV AE』の観戦文化が盛り上がり始めたのは、家庭用ゲーム機版が『スーパーストリートファイターIV』にバージョンアップされて、GODSGARDENが開催されて、ウメハラさんとかsakoさんみたいなスタープレイヤーの対戦がネットで見られるようになったタイミングなんですよね。
人と話すのが好きな僕は、一人でゲームをやらないんですよ。なので最初は家庭用ゲーム機版だけだった『スーパーストリートファイターIV』はまったくやっていなかった。その代わり、ゲーセンには通い詰めていましたから、ゲーセンで『ストIV AE』をやっているような人だけ、僕が『ストIV AE』をやり込んでいることは知っていたんです(笑)。
――それでもゲーセンに『スーパーストリートファイターIV アーケードエディション』が出るやいなや、「EVO2011」で優勝してしまうからスゴいですよね。
ふ〜ど:そのときは「こんなにゲームに身を捧げているんだから、一回くらい海外のお祭りみたいな大会に行ってみてもいいだろう」くらいの気持ちで出ていました。あくまでも大会好き、お祭り好きの延長だったんで、そこまで意気込んで「優勝するぞ!」って参加したわけじゃなかったんですよね。
――優勝の可能性はまったく考えていなかったんですか?
ふ〜ど:当時の格ゲーの世界は今と違って日本のレベルが他の国よりはるかに高くて、さらに日本国内のゲーセンで言うと新宿のタイステ(タイトーステーション新宿南口ゲームワールド店)にトッププレイヤーが集まっていて、一番強いゲーセンだったんですよ。僕はタイステでそこそこ勝てていたので、内心では優勝してもおかしくないだろうとは思ってました。
――結果的には、その「EVO」制覇がきっかけでプロゲーマーになりました。
ふ〜ど:前の年にウメハラさんが米国のゲーム周辺機器企業と契約して初のプロゲーマーになったばかりのころだったので、「EVO」くらいの大きい大会で結果を残せばワンチャンあるんじゃないか、みたいなタイミングではあったんですよね。なので、せっかくだからプロゲーマーになれたらいいなとは思っていたんですけど、少なくともそれを目的にしてはいなかったです。
――声をかけて来たのはRazerだけだったんですか?
ふ〜ど:いえ、他のところからも声はかけてもらえました。でも僕は格ゲー以外もやりたくなるほうだし、スポンサードしてもらうことで自由がなくなるのは嫌だったので、僕個人の意思を尊重してくれる姿勢を見せてくれたRazerさんに決めました。
他のゲームジャンルはどうだったか覚えていないですが、Razerさんと契約した日本の格闘ゲーマーでは僕が最初ですね。それで板橋ザンギエフさんを紹介する機会を得て、一緒にRazerのプロになりました。
――プロになってからは順風満帆ですか?
ふ〜ど:成績面で言ったらそうですね。やっぱりプロゲーマーって、出てきたばかりの職業なので、2012年にプロになってから7年間もやって来られたのは、自分で言うのもなんですがすごいことだと思います。
――7年続くなら、今の社会のスタンスならそこそこの安定ですよね。
ふ〜ど:僕は今のプロゲーマーの仕事って、街灯を点ける作業だと思ってるんです。今この業界はまだほとんど明かりがなくて、ウメハラさんみたいな先人が、少しずつ街灯を点けてそこを通るとまっすぐ歩けますよ、みたいな感じで。街頭のないところは通れないわけじゃなくて、誰も通っていないから明かりがないってだけ。その「暗闇」っていうのが「多様性」なんですよ。
だから、王道的なルートもあれば、何やってもいい。賞金の出る大会で勝ちまくるだけじゃなくて、配信をとおして影響力を高めて、きちんと企業のスポンサードを受けられるような活動をしていくのもアリじゃないですか。
僕がプロゲーマーになるときは、そういう街灯のない場所を歩いて道を灯していけるっていうのが魅力的でしたね。人によっては不安だと思うんですけど、何を試してもいいんだ、って言えるのはすごく楽しい。
――そもそも第一人者のウメハラ選手からして、いろんな方向を試していますよね。
ふ〜ど:そうですね。でも、ひとつの方向だけに進んでいったら、そっちしかないと定義が固められてしまう危険性もある。僕は勝手にそう解釈していて、「こういう手もあるんですよ」って言っていけたら面白いなと思うんです。
マルチゲーマーのセンスの正体
――そういえば、プロゲーマーになってからもアーケードゲーム『ガンスリンガーストラトス』(ガンスト)とか、かなりプレイされていましたよね。ふ〜ど:そうですね、あれも公式大会を連覇したり、ポイントランキングで1位になったりしました。
――プロゲーマーと呼ばれる人の中にも、ふ〜ど選手ほど幅広いジャンルでトッププレイヤーになる人も少ないと思います。何かこう、秘訣みたいなものはあるんですか?
ふ〜ど:僕はとにかく“環境”を重視します。『ガンスト』は特にそういう部分が大きかったゲームなんですけど、いろいろな場所に行って見たことのない戦略とか、それをやっているうまい人を探すのが超重要なんです。
自分より強い人がいる場所を見つけて、その人と話したり、チームを組んだり、戦略を見たり。逆に、自分が一番うまいなとか、自分が一番上だなって思えているときは、あまり遠征しないで身内で研究を続けています。で、また自分が戦略的に劣っているなって思ったら、強い人のいる環境を見て回る。
――ふ〜ど選手が何のゲームやっても強くなれるのって、センスとか才能ではなくて、情報戦の部分が大きいんですね?
ふ〜ど:センスあるね、なんてよく言われますけど、ゲームの才能ってわからないんですよ。運動みたいに筋量とかも関係ないし。「反応がいい」って言われても、それも曖昧でよくわかんないじゃないですか。
――お聞きしてみたかったんですけど、ふ〜ど選手自身はゲームをやる上での自分の才能は何だと考えているんでしょう。
ふ〜ど:今言ったように、“才能”っていう言葉は曖昧でよくわからないので、考えないようにしています。わからないことを考えても仕方ないじゃないですか。例えばウメハラさんも「才能はなんですか」って聞かれたら、「俺は努力の人だから」と答えると思うんですよ。
自分の場合はなんだろうな……「すぐコミュニティに入り込んで人の話を聞く」とか、そういう感じなんですかね。もちろん自分で考えてプレイするのは前提として、ひとりで考えるよりみんなで効率良くやったほうが早いじゃないか、って思います。知っている人がいれば聞いたほうが良いし、僕は知らない人にも教えるし。そういうことをどのゲームでもすぐやるから、いろいろなゲームで効率良く結果が出ているのかもしれません。
――けっこうご自分で連係のネタ開発とかされていますよね。
ふ〜ど:ああ、そうですね。でもそれはいろんな人の情報を集めて素材を持っているから、それを組み合わせているんじゃないですかね。知識が広い方がネタに気づきやすいっていうのはあると思うんですよね。
そもそも今時のゲームプレイヤーは、自分の色を出したいって人が少なくなりました。昔はプレイに自分の色を出す人が多かったんです。僕はその頃からいろんな人の情報を元に組み上げていたから、自分の色が薄い側のプレイヤーでした。
――昔のプレイヤーは自分の色を出していたっていうのは面白いですね。
ふ〜ど:昔話で言えば、『バーチャ』で“バーチャ神”って呼ばれていたちび太さんは、ずっと僕と同じリオンってキャラを使っていたんですけど、キャラも独特なら戦い方も個性的で、僕が使っていたリオンと全然違うんです。僕はと言えば、割と真正面から反応と択で勝負する感じだったので、ずっと「リオンじゃないほうが強い」って言われていました。
――真っ向勝負をするなら、変則的なキャラを使う必要はないですもんね。
ふ〜ど:ですね。なので僕はこの局面ではこれが最適、この局面ではこれとこれで二択をかける、っていうのを正しく実行する、あんまり色がないプレイだったんですよ。これは世代かもしれないですね。
――最適化していくことがゲームプレイである、みたいな世代ということですかね。
ふ〜ど:そうですね。ゲームをちゃんと攻略するっていうか。昔だったら闇よだれさん(※カゲ使いのトッププレイヤー)とかもやっていたと思うんですけど、本当に一部しかやっていなかったですね。現代はみんなそのスタンスです。
プレイヤーの配信でも「これが正しいよ、この局面はこの択とこの択とこの択しかないから、その中の3つ選んでね」みたいな感じで最適解が議論されて広まるから、みんなそれをやるようになる。ゲームの最適解が広まる情報が早まったおかげで、結果、プレイヤーごとの色がなくなったというか。人の話を聞きまくる僕は、たぶんそれを昔からやっていたことになるんじゃないですかね。
――たしかにふ〜ど選手のプレイは、センスに依らず質実剛健な択をかけていくイメージはあるかもしれません。
ふ〜ど:たぶんすごく攻略思考なんですよ。「この局面ではコレとコレが択になる」というのはいかなるセンスをもってしても避けられない明確な事実じゃないですか。そういうものをバッとゲームでやってきたのかな。「センスありますね」とか「才能すごいね」って言われてもなんにも実態がわかんないから、もういいやと思いますよ。考えないですね。
――よく言われることではありますけどね。
ふ〜ど:センスと言われているものも、動きで紐解けるじゃないですか。あえてロマンを排除した言い方をしてしまうなら、センスあるねって言われても「ちゃんとやっているだけだよ」って思いますね。強いて言うなら、センスって“偏り”くらいのイメージですかね。
――圧力とか雰囲気とかいうものの正体も、言ってみれば選択肢ですもんね。
ふ〜ど:そうなんです。ビデオゲームなんでやれることは決まってるわけじゃないですか。明日新しい技が増えるとかもないし、今日はしゃがみ中キックの伸びが良い、とかもない。例えば『ストⅤ』で言うなら、ボタン6個で必殺技も決まってて、選択肢は超少ない。
――たとえ遠距離で歩いているときでも、意識する選択肢は無数ではないというのはわかります。『ストⅤ』のアンチの人はそういったジャンケンが好きではない空気はありますよね。
ふ〜ど:究極的にはどのゲームもそうなんですけどね。じゃあそれがつまらないのかって言ったら僕はそうは思えなくて。今のゲームはプロシーンがあって、すごい数のプレイヤーが真剣にゲームをやって、最適解にたどり着いて、みんなSNSで共有したり議論するんで、たしかに消耗が早いように見えるんです。
それでも海外のプレイヤーが急に、予想もしていなかったようなプレイでこっちを崩してくる。もちろんその局面の知識に差があっただけの“わからん殺し”の場合もあるんですけど、そうじゃなくて、予想もしていなかったようなその動きが最適解のひとつであるケースもあって。そうなると、それに関連するほかの局面の最適解も変わってきたりして。
――最適解が更新される可能性があるわけですね。
ふ〜ど:そうなんです。それを実現するのが何かって言ったら、自分以外の多勢のプレイヤーの脳味噌なんで、だから流行ってる、プレイヤー人数が多いゲームは正義だと思うんです。
僕にとってはゲームって“人間を楽しむこと”なんですよ。一人用ゲームはあんまり好きじゃないです。答えがすぐ出ちゃうし、それを更新してくれる人がいないから。
――子供のころやっていた一人用ゲームでも、つねに最適解を求めるようなプレイスタイルだったんですか?
ふ〜ど:『ドラゴンクエスト』をやっても鎧とかすぐ売ってましたもんね。それでブーメランを買って投げれば、結局ダメージ食らわないじゃん、って。
――“武器と防具は揃えるもの”っていうイメージに捉われない小学生は偉すぎます(笑)。
ふ〜ど:あと、レベル上げもしなかったですね。レベル上げしたら倒せるのはわかっているので好きじゃなくて。「楽して勝ちたい」より「工夫して勝つ」ほうが好きなんです。
――子供のころから最適化を意識していたんですね。
ふ〜ど:最適化というより、工夫したいんですよね。本当の最適化はもっとも効率のいい進め方を事前に調べたり、メタルスライムでレベル上げしたりして進むことだと思うんですけど、そうではなくて工夫で行けるところまで超ガンガン進むことを楽しんでいました。
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ということで前編では、ふ〜ど選手のゲーマーとしての生い立ちからゲームにハマるきっかけ、格闘ゲーマーとして力をつけた場所などをみっちりうかがった。後編では普段の練習生活や、eスポーツ全般について語ってもらっている。
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