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趣味の実況解説者が「LJL」キャスターになるまで【LJLキャスター・eyesの「ここだけのハナシ」FILE.02】
『リーグ・オブ・レジェンド』(LoL)の日本リーグ「LJL」キャスターを務めているeyesです。
いよいよ「LJL 2021 Spring Split」もBo3のプレーオフに突入し、激戦が繰り広げられていますね。どのチームが勝ち上がって、アイスランドの「Mid-Season Invitational」に出場するのか、いまから楽しみです。
さて、今回からは日本の『LoL』の歴史を振り返りながら、僕がただのゲーム好きから「LJL」キャスターになるまでの話をしてみたいと思います。
子どもの頃はファミコンで、基本的に兄が『ドラゴンクエスト』などのRPG、僕がアクションの『スーパーマリオブラザーズ』や『ロックマン』を遊んでいました。スーパーファミコン時代は『三國志』が好きでしたね。
高校生になると、インターネットが爆発的に流行りました。通っていた高校が「BASIC」とか「C+」とかのプログラム言語を学ぶ情報専門の学校だったので、親もパソコンを買ってくれて、ここからパソコンゲームに傾倒していきます。高校1年生の頃は3.5インチのフロッピー2枚だったゲームが、高3にもなるとCD-ROMに。CD-ROM版の『三國志』が進化しまくっていて驚いた記憶があります。
この時代に友達から勧められたのが、現在もeスポーツタイトルとして世界中で愛されている『カウンターストライク1.6』(CS)です。僕が初めて遊んだFPSでもあります。当時は難しすぎて一度やめてしまったんですが、大学に入ってから『バトルフィールド1942』にハマり、『BF』から再び『CS』へ戻っていきました。
オンラインゲームって味方も敵もプレイヤーなんですよね。その「リアルに人と戦っている感覚」が当時の僕には斬新で面白さを感じました。どれだけやっても飽きることがなく、うまい人を真似て自分も同じプレイができるという、成長する喜びもある。そういうところでオンラインゲームにハマった感じです。
元々はプログラマーを目指して大学に行ったはずなんですが、正直なところ、将来どういう進路や企業に就職したいかは当時はあまり考えていなかったんです。単にプログラミングが面白かったから選んだだけでした。
で、大学卒業と同時に、ひょんなことから介護士の道へ。そして『LoL』と出会うことになります。
家に帰ってからは相変わらずオンラインゲームを遊んでいたある日、『CS』のクラン仲間がアメリカで『リーグ・オブ・レジェンド』というゲームが流行っていると聞いてきて「一緒にやらない?」と誘われたんです。最初はなんだか面白くなさそうで(笑)、あまりやろうと思えなかったんですが、もともとMOBAというジャンルにも興味はあったので始めてみたところ見事にハマりましたね。それがシーズン1の終わりです。
この頃の『LoL』は明らかな洋ゲーテイストでしたが、当時人気のPCゲームも『ディアブロ』とか『World of Warcraft』でしたから、『LoL』はまだキャラクターやグラフィックが日本のプレイヤー寄りな印象ではありました。
▲シーズン1のキャラクターたち。今とはだいぶ違うグラフィックでした
ただ……当時の『LoL』は無法地帯でした。
みんなどういうふうにゲームをすればいいかもわかっていないし、AP(魔法ダメージ)を伸ばすチャンピオンがAD(物理ダメージ)アイテムを積んでいたり、ボットレーンをタンク2人で戦ったり……。「テレポート」なんて誰も持たなかったですからね。この頃はRPGとアクションが融合したゲーム、みたいな感じで。
でも、『CS』はお金で武器を買うことしかできませんが、『LoL』はアイテムに加えて経験値で自分のキャラを強化できるRPGの感覚があって、めっちゃ面白かったですね。
いよいよ「LJL 2021 Spring Split」もBo3のプレーオフに突入し、激戦が繰り広げられていますね。どのチームが勝ち上がって、アイスランドの「Mid-Season Invitational」に出場するのか、いまから楽しみです。
さて、今回からは日本の『LoL』の歴史を振り返りながら、僕がただのゲーム好きから「LJL」キャスターになるまでの話をしてみたいと思います。
『カウンターストライク』で知ったオンラインゲームの楽しさ
もともと僕は、幼い頃からゲーマーでした。子どもの頃はファミコンで、基本的に兄が『ドラゴンクエスト』などのRPG、僕がアクションの『スーパーマリオブラザーズ』や『ロックマン』を遊んでいました。スーパーファミコン時代は『三國志』が好きでしたね。
高校生になると、インターネットが爆発的に流行りました。通っていた高校が「BASIC」とか「C+」とかのプログラム言語を学ぶ情報専門の学校だったので、親もパソコンを買ってくれて、ここからパソコンゲームに傾倒していきます。高校1年生の頃は3.5インチのフロッピー2枚だったゲームが、高3にもなるとCD-ROMに。CD-ROM版の『三國志』が進化しまくっていて驚いた記憶があります。
この時代に友達から勧められたのが、現在もeスポーツタイトルとして世界中で愛されている『カウンターストライク1.6』(CS)です。僕が初めて遊んだFPSでもあります。当時は難しすぎて一度やめてしまったんですが、大学に入ってから『バトルフィールド1942』にハマり、『BF』から再び『CS』へ戻っていきました。
オンラインゲームって味方も敵もプレイヤーなんですよね。その「リアルに人と戦っている感覚」が当時の僕には斬新で面白さを感じました。どれだけやっても飽きることがなく、うまい人を真似て自分も同じプレイができるという、成長する喜びもある。そういうところでオンラインゲームにハマった感じです。
元々はプログラマーを目指して大学に行ったはずなんですが、正直なところ、将来どういう進路や企業に就職したいかは当時はあまり考えていなかったんです。単にプログラミングが面白かったから選んだだけでした。
で、大学卒業と同時に、ひょんなことから介護士の道へ。そして『LoL』と出会うことになります。
荒れ放題だった『LoL』シーズン1
学生時代はガソリンスタンドでアルバイトをしていて、「ちゃんと働かないとな……」と思いながらも、4年生の頃もうだうだしていたんです。そんなときにおばあちゃんから「介護の仕事が合ってるんじゃない?」と言われたのが、介護施設に就職したきっかけでした。ホームヘルパーの資格なども取り、そこから8年間、介護の仕事を続けました。大変だけど楽しかったですね。家に帰ってからは相変わらずオンラインゲームを遊んでいたある日、『CS』のクラン仲間がアメリカで『リーグ・オブ・レジェンド』というゲームが流行っていると聞いてきて「一緒にやらない?」と誘われたんです。最初はなんだか面白くなさそうで(笑)、あまりやろうと思えなかったんですが、もともとMOBAというジャンルにも興味はあったので始めてみたところ見事にハマりましたね。それがシーズン1の終わりです。
この頃の『LoL』は明らかな洋ゲーテイストでしたが、当時人気のPCゲームも『ディアブロ』とか『World of Warcraft』でしたから、『LoL』はまだキャラクターやグラフィックが日本のプレイヤー寄りな印象ではありました。
▲シーズン1のキャラクターたち。今とはだいぶ違うグラフィックでした
ただ……当時の『LoL』は無法地帯でした。
みんなどういうふうにゲームをすればいいかもわかっていないし、AP(魔法ダメージ)を伸ばすチャンピオンがAD(物理ダメージ)アイテムを積んでいたり、ボットレーンをタンク2人で戦ったり……。「テレポート」なんて誰も持たなかったですからね。この頃はRPGとアクションが融合したゲーム、みたいな感じで。
でも、『CS』はお金で武器を買うことしかできませんが、『LoL』はアイテムに加えて経験値で自分のキャラを強化できるRPGの感覚があって、めっちゃ面白かったですね。
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