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「僕はウメハラさんになろうとしていたんだと思います。でも……」【ももち選手インタビュー 後編】
『ストリートファイターV』で活躍するプロゲーマー・ももち選手のインタビュー。前編では少年時代のゲーム遍歴、格闘ゲームとの出会い、『ストIII 3rd』競技シーンからプロゲーマーになるまでを語っていただいた。
後編では、会社設立や結婚、昨今のeスポーツシーンについてなど、より深いところまで話を伺っているので、じっくりとお読みいただきたい。
ももち:そうです。『ストIV』が出たくらいのタイミングですね。チョコが大学の友人と一緒になんとなく『ストIV』をプレイしたらハマったらしいんですよ。チョコは名前のとおりブランカを使っていたのですが、ローリングアタックを出していれば初心者相手ならかなり強かったので、それでハマってしまったようで。好きすぎてそのままゲーセンの店員になってしまいました。で、僕がそのゲーセン主催の大会に出場したのがきっかけで出会いました。
――突っ込んだこと聞きますが(笑)、ゲーセンに行っているうちに仲良くなってお付き合いに発展、みたいな流れですか?
ももち:まあ、そうですね。割とすんなりでしたね。ご飯1回食べに行って、もう気づいたら付き合っていたぐらいです。
――ビビッとくる瞬間があった、みたいな感じなんですか。
ももち:いやー、そんなロマンチックなものでもなく(笑)。共通の趣味があって、親しく話してるうちに、お互いこういう人間だよねってわかっていって、みたいな。何がきっかけなんですかね?(笑)
付き合って半年で自分が住んでいたマンションで同棲していたんですが……向こうの親はもう……ブチギレてましたよね……。チョコは学生のうちにマツダのディーラーとして内定を決めてちゃんと就職したのに、そこを半年で辞めて僕のところに転がり込んできたので。どこのウマの骨ともわからなくて、ゲームしかやらん男に捕まった、みたいな。ホント、認めてもらえたのもゴリ押しでしたからね。かなりストロングスタイルでガチって。
――上京してくる前に結婚はされていたんですか?
ももち:いえ、していないです。「これで駄目だったら引退してちゃんと働いて、お前を食わしていくから。ただ、この1年はちょっと一緒に来てくれ」ってちゃんと約束をして、2014年にふたりで上京しました。
ももち:そうですね。上京した年の2014年12月に「カプコンカップ」で優勝、2015年の「EVO」で優勝して、11月に「忍ism」を立ち上げました。で、翌月の12月に『ストIV』シリーズではラストとなる『ウルトラストリートファイターIV』での「カプコンカップ」があって、そこでは負けてしまったんですが、その後にプロポーズして婚姻届、という流れです。
――会社設立はどちらが言い出したのでしょう?
ももち:お互いに「将来どうしよう」という漠然とした不安を話し合って出てきた案ですね。2014年に、もう最後になるかもしれないけど結果が出るかどうか挑戦してみようとガムシャラに出てきたんですけど、どうにか結果が出てしまって。「あ、生き残っちゃったね。じゃあ、2015年以降はどうしようか?」と話し合いました。
なんとなく自分たちの地位も築けて方向性も見えて、どうにか仕事としてやっていけそうな流れにはなったんです。でもプロゲーマーはいつまで出来るんだろう? と。世間的にもまだ「eスポーツ」という言葉もなかったですしね。「そもそもプロゲーマーって何? 職業なの?」という感じの中で。
――なるほど。何だかわからない肩書きでは仕事の話がしにくいから法人化しよう、みたいな感じなんですかね。
ももち:そうです。チョコがイベントを企画するのが好きだったこともあって、もともと自分たちでいろいろやっていたんです。ただメーカーと許諾の話をすると、個人よりも法人のほうがやりやすいんですよね。それが理由のひとつです。
ゲーム業界の中なのか、それ以外でも通用するのかはわからないですけど、セカンドキャリアを考えたときに、今の内から会社を作って企業間のやり取りとかいろいろな経験をして、自分たちの糧になる種をまいておいたほうがいいだろう、というのもありましたし。
あとは、プロゲーマーとしてのブランディングの意味合いもあります。ずっとプロ活動をしていく中で、他との差別化というのは大事になってくるなと感じていたので、現役をやりながら法人を立ち上げることのブランド価値というのはあるんじゃないかなと。
――弟子を取ったりもしましたよね。
ももち:『ストリートファイターV』発売前に弟子を募集しました。『ストV』は2016年2月に発売されますが、その前の1月くらいに弟子面接してますね。「TOPANGA TV」の番組内企画などでは弟子企画もありましたけど、プロゲーマーとして弟子をとって育成する、というのはまだ誰も手をつけていないところだと思ったので。
――そうですね。その頃は格ゲーシーンを長期的に捉えている人は、今より全然少なかったと思います。採用時は何を見て採用したんですか?
ももち:人間性ですね、真面目そうな子。そこで取ったのが「ヤマグチ」、「ジョニィ」、「ハク」(現在のプレイヤーネームは「ひぐち」)の3人です。最終の候補には「はつめ」ちゃんや「竹内ジョン」くんとかもいたんですけど「この2人はうちじゃなくても絶対伸びるな」と思って見送りました。
――「ウチじゃなくても伸びるな」ですか。すごい採用基準ですね!?
ももち:ジョニィはうちで面倒みないと……僕らが見捨てるとこの子はそのまま格ゲーからいなくなるんじゃないかと思いましたから(笑)。ヤマグチとハクはすぐ決まったんですよ。当時14歳で、ライバル関係になるから切磋琢磨して高め合えて、理想じゃないですか。当初は4人にしようと思ったんです。ヤマグチ、ハクに加えて、ジョニィ、ジョンだったんです。でも4人は面倒見きれない気がしたので、2人か3人かで悩みました。ジョンはどこでもやっていけるだろうと判断し、ジョニィを取りましたね。
――忍ismには欠かせないキャラになりましたね。
ももち:その他にも女子部とか、いろいろ挑戦したり畳んだりしながらです。まだまだぜんぜん、試行錯誤中ですね。
ももち:それこそ、会社がいよいよヤバいな、というタイミングもありましたよ。基本的に最初の1年はすべて持ち出しで、「カプコンカップ」や「EVO」で優勝した賞金も会社の活動費として当てられていたんですが、対戦イベントも赤字だったり、弟子にしても月謝とかをもらっているわけではないので。むしろ彼らが実家から出て来る交通費などは会社が出しているので、やっぱり出ていくお金のほうが大きくて。もちろん、人は財産なので、彼らがいること自体が会社としては財産なんですけど、かなり最近になるまでは具体的なマネタイズは何もできていませんでしたね。
後編では、会社設立や結婚、昨今のeスポーツシーンについてなど、より深いところまで話を伺っているので、じっくりとお読みいただきたい。
チョコブランカ夫人との出会い
――奥様であるチョコブランカさんの話が出てきたので、少しそのあたりもお聞きします。出会いは名古屋時代ですよね?ももち:そうです。『ストIV』が出たくらいのタイミングですね。チョコが大学の友人と一緒になんとなく『ストIV』をプレイしたらハマったらしいんですよ。チョコは名前のとおりブランカを使っていたのですが、ローリングアタックを出していれば初心者相手ならかなり強かったので、それでハマってしまったようで。好きすぎてそのままゲーセンの店員になってしまいました。で、僕がそのゲーセン主催の大会に出場したのがきっかけで出会いました。
――突っ込んだこと聞きますが(笑)、ゲーセンに行っているうちに仲良くなってお付き合いに発展、みたいな流れですか?
ももち:まあ、そうですね。割とすんなりでしたね。ご飯1回食べに行って、もう気づいたら付き合っていたぐらいです。
――ビビッとくる瞬間があった、みたいな感じなんですか。
ももち:いやー、そんなロマンチックなものでもなく(笑)。共通の趣味があって、親しく話してるうちに、お互いこういう人間だよねってわかっていって、みたいな。何がきっかけなんですかね?(笑)
付き合って半年で自分が住んでいたマンションで同棲していたんですが……向こうの親はもう……ブチギレてましたよね……。チョコは学生のうちにマツダのディーラーとして内定を決めてちゃんと就職したのに、そこを半年で辞めて僕のところに転がり込んできたので。どこのウマの骨ともわからなくて、ゲームしかやらん男に捕まった、みたいな。ホント、認めてもらえたのもゴリ押しでしたからね。かなりストロングスタイルでガチって。
――上京してくる前に結婚はされていたんですか?
ももち:いえ、していないです。「これで駄目だったら引退してちゃんと働いて、お前を食わしていくから。ただ、この1年はちょっと一緒に来てくれ」ってちゃんと約束をして、2014年にふたりで上京しました。
忍ism設立と結婚
――上京した翌年には、会社設立とご結婚をされましたよね。ももち:そうですね。上京した年の2014年12月に「カプコンカップ」で優勝、2015年の「EVO」で優勝して、11月に「忍ism」を立ち上げました。で、翌月の12月に『ストIV』シリーズではラストとなる『ウルトラストリートファイターIV』での「カプコンカップ」があって、そこでは負けてしまったんですが、その後にプロポーズして婚姻届、という流れです。
――会社設立はどちらが言い出したのでしょう?
ももち:お互いに「将来どうしよう」という漠然とした不安を話し合って出てきた案ですね。2014年に、もう最後になるかもしれないけど結果が出るかどうか挑戦してみようとガムシャラに出てきたんですけど、どうにか結果が出てしまって。「あ、生き残っちゃったね。じゃあ、2015年以降はどうしようか?」と話し合いました。
なんとなく自分たちの地位も築けて方向性も見えて、どうにか仕事としてやっていけそうな流れにはなったんです。でもプロゲーマーはいつまで出来るんだろう? と。世間的にもまだ「eスポーツ」という言葉もなかったですしね。「そもそもプロゲーマーって何? 職業なの?」という感じの中で。
――なるほど。何だかわからない肩書きでは仕事の話がしにくいから法人化しよう、みたいな感じなんですかね。
ももち:そうです。チョコがイベントを企画するのが好きだったこともあって、もともと自分たちでいろいろやっていたんです。ただメーカーと許諾の話をすると、個人よりも法人のほうがやりやすいんですよね。それが理由のひとつです。
ゲーム業界の中なのか、それ以外でも通用するのかはわからないですけど、セカンドキャリアを考えたときに、今の内から会社を作って企業間のやり取りとかいろいろな経験をして、自分たちの糧になる種をまいておいたほうがいいだろう、というのもありましたし。
あとは、プロゲーマーとしてのブランディングの意味合いもあります。ずっとプロ活動をしていく中で、他との差別化というのは大事になってくるなと感じていたので、現役をやりながら法人を立ち上げることのブランド価値というのはあるんじゃないかなと。
――弟子を取ったりもしましたよね。
ももち:『ストリートファイターV』発売前に弟子を募集しました。『ストV』は2016年2月に発売されますが、その前の1月くらいに弟子面接してますね。「TOPANGA TV」の番組内企画などでは弟子企画もありましたけど、プロゲーマーとして弟子をとって育成する、というのはまだ誰も手をつけていないところだと思ったので。
――そうですね。その頃は格ゲーシーンを長期的に捉えている人は、今より全然少なかったと思います。採用時は何を見て採用したんですか?
ももち:人間性ですね、真面目そうな子。そこで取ったのが「ヤマグチ」、「ジョニィ」、「ハク」(現在のプレイヤーネームは「ひぐち」)の3人です。最終の候補には「はつめ」ちゃんや「竹内ジョン」くんとかもいたんですけど「この2人はうちじゃなくても絶対伸びるな」と思って見送りました。
――「ウチじゃなくても伸びるな」ですか。すごい採用基準ですね!?
ももち:ジョニィはうちで面倒みないと……僕らが見捨てるとこの子はそのまま格ゲーからいなくなるんじゃないかと思いましたから(笑)。ヤマグチとハクはすぐ決まったんですよ。当時14歳で、ライバル関係になるから切磋琢磨して高め合えて、理想じゃないですか。当初は4人にしようと思ったんです。ヤマグチ、ハクに加えて、ジョニィ、ジョンだったんです。でも4人は面倒見きれない気がしたので、2人か3人かで悩みました。ジョンはどこでもやっていけるだろうと判断し、ジョニィを取りましたね。
――忍ismには欠かせないキャラになりましたね。
ももち:その他にも女子部とか、いろいろ挑戦したり畳んだりしながらです。まだまだぜんぜん、試行錯誤中ですね。
「ウメハラになろうとしていた」自分からの変革
――なるほど。経営は順風満帆とは言えない時期も?ももち:それこそ、会社がいよいよヤバいな、というタイミングもありましたよ。基本的に最初の1年はすべて持ち出しで、「カプコンカップ」や「EVO」で優勝した賞金も会社の活動費として当てられていたんですが、対戦イベントも赤字だったり、弟子にしても月謝とかをもらっているわけではないので。むしろ彼らが実家から出て来る交通費などは会社が出しているので、やっぱり出ていくお金のほうが大きくて。もちろん、人は財産なので、彼らがいること自体が会社としては財産なんですけど、かなり最近になるまでは具体的なマネタイズは何もできていませんでしたね。
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