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『Far Cry 3』発売10周年記念! 圧倒的悪役「ヴィラン」が描く、人間の暴力性の深部【今日からはじめる定番PCゲーム】
目次
ハロー、愛すべきGAMERS ZONE読者のみなさま!
今回は、ユービーアイソフトの看板シリーズの中から『Far Cry 3』(ファークライ3)をご紹介する。2013年の発売から10周年を迎え、今年再び注目を集めている。
『Far Cry』シリーズは『Far Cry 6』まで6作品がリリースされているが、『3』がシリーズの特徴を決定づけた最初の作品と言える。グラフィックやゲームシステムにはやや古さを感じる点は否めないものの、10年を経過した今でも十分にプレイ可能。PCゲームの中でもぜひ遊ぶべき作品として強烈にオススメしたい。
ゲームの魅力を語る前に、まずはこのスターティングトレーラーと、登場人物のひとりであるバースの以下の言葉を心にとどめながら、レビューをお読みいただきたい。
▲本作のヴィランであり、ソシオパスの「バース」
この「お前の狂気と向き替え」という言葉は、本作『Far Cry 3』全体を通したキャッチコピーとなっている。
南の島にバカンスに来た主人公「ジェイソン・ブロディ」とその兄弟・友人たちが降り立ったのは、実は海賊の支配下にある島だった。海賊たちに捕まったジェイソンは兄グラントとともに脱走を試みるも、目の前で兄を撃ち殺される。その後、からくも脱出に成功するが、川に落ちて意識を失ってしまった。
目を覚ますと、目の前にはジェイソンの左手にタトゥーを施している男がいた。朦朧とするジェイソンに、島のレジスタンス的存在である地元民「ラクヤット」の戦士になれとその男は言う。兄を失ったジェイソンは、まだ捕まったままの友人たちを救うために海賊と戦っていく──というのが大まかなストーリーだ。
ゲーム自体はオープンワールドのFPS。メインフィーチャーとして、島に設置されている「電波塔」の配電盤を直すことでマップ上の可視範囲が広がり、島の住民から感謝の気持ちとして武器が無料で入手できる(有料で購入することも可能)。そうやって、海賊たちから島を解放していくのがゲームの流れだ。
クラフト要素としては、島の野生動物を狩った皮でバッグやホルスターなどを作ることでインベントリを広げたり、銃弾の最大所持弾数を増やしたり、植物を使って回復・強化できる薬なども調合できる。
また、基地を奪還することで得られるスキルポイントを使って、「スライディング」や「連続ステルスキル」といったスキルが覚えられる。ゲーム中では、スキルを追加するたびに左手のタトゥーが増えるという演出も。ゲームの進行はミッションをクリアしていく形式のため、リニアなオープンワールドとなっているところも現代に通じる。
▲電波塔の上にある「スクランブラー」を無効化することで、周囲の状況が見えるようになる
さて、ここからが『Far Cry 3』がプレイヤーに強烈に投げかけ、問いかけるメッセージを紐解く時間だ。冒頭の「お前の狂気と向き合え」という言葉は、本作にとって一体どんな意味を持つのか。
ゾンビやモンスターではなく人間を相手とする『Far Cry 3』において、主人公は作中を通して大量殺戮をしていくことになる。それは、本作がFPSだから、そして現代劇のシューターだからだ。ゲームとしてのプレイヤー自身の行為に対して、自己批評性をもって迫るのが『Far Cry 3』なのだ。
本作を特徴づけているのは、のちの『Far Cry』シリーズにも採用されている「ヴィラン」の存在である。冒頭でバースという名のソシオパス(反社会的な行動を衝動的に行う人物のこと)を紹介したが、彼が本作のヴィランだ。
このようなことを言うと「危ない奴だな」と思われがちなのでなるべく言わないようにしているが、今回のレビューを書くにあたって、告白せざるを得ない感情が筆者の中にはあった。
それは、バースに対する感情移入。アンビバレントな両価性とも言うべき感情が、プレイ中の筆者の中にずっと付きまとっていた。
憎むべき敵であり、悪人であり、殺すべき人物であるバース。この悪役は、ゲーム史に残る人物だとすら思う。しかし、ゲームのパッケージにも描かれ、トレイラームービーでも出ずっぱり。ハッキリ言って主人公のジェイソンよりもずっと存在感がある。そんなバースに感情移入してしまうというのは、「バットマン」で言うと「ジョーカー」に魅力を感じることと似ている。
魅力的(悪い意味で)な人物と、感情移入できる人物には、実際は少し隔たりがある。つまり「こいつは俺だ」と多少なりとも感じるかどうか、または「俺はこいつになりたい」と思うかどうか、だ。
その意味で筆者は、バースという人物に自分の中にある狂気を垣間見た気持ちになったのだ。
バースは社会病質者だ。筆者自身はそうではないと思っている。しかし彼が常に発している暴力性に触れる中で、それは筆者の中にもあり、同時に、そんな自分から解き放たれたいとも思った。
ゲーム内でのバースの登場シーンは、実はそれほど多くはない。だが凄まじいまでの存在感がある。おそらく、ゲーム内で主人公=プレイヤーが行う“戦闘行為”という名の殺戮が、バースが行っていることと何ら変わりがないからだ。
ゲームを続ける限りは、プレイヤーはずっと殺戮を繰り返さざるを得ない。
筆者がバースのセリフで最も印象に残っているのが、こんな叫びだった。
「撃つんだ! もう終わらせてくれ!」
「救世主として俺を受け入れろ! 俺を十字架に掛けて生まれ変わらせてくれ!」
誤解しないでほしいのだが、これは主人公に対してバースが安っぽい同情を引こうとしたシーンのセリフではないし、この叫びによってバースという人物の中にもある良心を感じて何か救われた気持ちになったわけでもない。むしろ、邪悪の化身であるバースでさえ、このようなかたちで解放されたがっているということに、暗澹たる気持ちになってしまった。
これが、筆者が覚えたバースへの共感の正体だろう。悪には悪の事情があるだの、正義の反対はまた違う正義だの、そんな領域の話ではないのだ。半ば救済を死によって求めるバースの叫びは、死んでも達成されない。
このバースのセリフは、果たしてバース自身のセリフだったのか。あるいは、ジェイソンのの思いを投影したものだったのかもしれない。
海外製のゲーム、「洋ゲー」を指して、よくこんな言葉が使われる。
「海外のゲームは銃が出てきて殺し合うものばかりだ」と。
ほぼ批判の意味を込めて使われる言葉だが、海外のゲームは果たしてこの言葉に対して無自覚だろうか?
答えは「ノー」だ。「殺人」というテーマを扱うことに対して自覚的であるからこそ、このテーマに鋭く切り込んでいる海外作品はずっと多い。
むやみやたらに海外のゲームを礼賛したくはないし、日本のゲームが劣っているとも思ってはいない。しかし、“暴力”の取り扱いについては水をあけられているように思う。
続く『ファークライ4』でのヴィランは「パガン・ミン」という独裁者、『ファークライ5』では世界は週末を迎えると宣言するカルト宗教の教祖「ジョセフ・シード」、そして『ファークライ6』では権力と財力を持つ大統領「アントン・カスティロ」といった具合に、彼らには恒例のものとして暴力性が付与されている。
とあるレビューサイトが『Far Cry 3』をこう評した。
──「これは、大量殺戮を経た魂の行方を問う作品だ」と。
狂気と向き合う時、その狂気は我々プレイヤーの中にも宿る。ゲームだからというエクスキューズはあっても、ただ人の形を模しただけのデジタルデータを撃つ射的のようなものであったとしても、ゲーム内世界で起きていることは大量殺人であることは間違いない。物語の軸と演出によって、それが英雄的殺人であるか悪人的殺人であるかの違いがあるだけだ。
そして実際のところ、その両者を隔てている膜は極めて薄い。
ストーリーを進める中でジェイソンは南の島に突入し、潜入捜査のようなかたちでバースの雇い主「ホイト」の懐中に入り、ホイトの寝首を刈る作戦に身を投じることになる。
ここで起きることは極めてショッキングだ。ゲーム中で殺意を燃やし始めるジェイソンがその殺意に自覚的になる瞬間が、とある人物の“死”によってもたらされる。
だが、その死は伝聞であり、実際はとある人物はホイトの屋敷で監禁され生きていた。
ホイトに正体がバレないよう、とある人物に拷問を下すジェイソン。途中でホイトを追う潜入捜査官の「サム」の助けによって監視カメラを欺き、38秒間の猶予の間にとある人物に真実を告げて助けることを誓う。しかし再び、拷問をしなければならない。
当然、ジェイソンが拷問を行うためには、プレイヤーが操作しなければならない。マウスやキーボードのキーを推して、殴り、傷口に親指を強く押しつけるのだ。
悪魔のような尋問係と救いの神をわずかな時間の間に行き来するこのシーンは、「この拷問は助けるためだから仕方がない」というエクスキューズが何の気休めにもならないほど強烈な印象を残す。事が終わった後にジェイソンが呟く「俺は何をやっているんだ……」という空虚さがつらいシーンだ。
そして、ホイトと話した直後に「絶対に殺してやる……」と呟くのだ。
これは、友人を取り戻すための戦いなのか、それとも心の奥に宿った殺意と憎悪を消化するための戦いなのか。実は、結果的に大量殺戮を繰り返しているジェイソンは、バースと何ら変わらないのではないか。
そのような思いに駆られてしまうプレイヤーに対して、ある物語の一節が届く。
本作の中でたびたび引用される『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の一節。章立てやチャプターの冒頭に必ず入るのも何とも印象的だ。
『Far Cyr 3』には友人や協力者などの女性も登場するのだが、シトラという特殊な存在がいる。ラクヤットを率いる彼女が主人公に対して常に口にするのは「強い戦士になれ」という言葉。この殺し合いゲームの勝者となるには、皆殺しにしなければいけないことを明確に示唆してくる。
その一方で、このゲームから離れ、元の日常に戻ることを促すのが、ジェイソンの彼女であるリザだ。彼女は物語の終盤で幻覚として現れこう言う。「いつまで遊んでいるの!」と。
筆者はそこに、プレイヤーの母親を暗示しているように感じた。もしくは妻でもいい。ある意味で、プレイヤーの多くが男性であった時期の作品であることも感じさせる表現だ。
そして、この二人の女性との関係もまた、「お前の狂気と向き合え」という言葉が示唆する狂気の結末につながっていく。言葉で語ることは難しいが、シトラが提起するある条件を満たすと「YOU WON」という言葉をかけてくる。読者はその結末をどう感じるだろうか。
冒頭で書いたバースに向けた「これは俺だ」という筆者の共感は、最終的にはジェイソンへと向かっていく。
「自分の中にある怒りを感じている。モンスターになった自分はもう戻れない。だけどまだ、自分には人の心があると信じたい」、そうジェイソンは述べる。
ゲーム内で繰り返される大量虐殺行為は、現実世界からは切り離された“遊び”なのだというエクスキューズがあってこそ正当化できる。あくまでゲームの中での話であり、筆者はバースのような狂人でもないし、ジェイソンのように大量虐殺しているわけでは決してない。
しかし、『Far Cry 3』を遊んだことがなく、本記事で概要を知った人間に、「『Far Cry 3』は面白い」と語るあなたがどう映るか。──その批判的な視線が、ジェイソンの友人たちとしてゲーム内で常に描かれ、プレイヤーに正常な思考をもたらしてくれる。
この島で“正義の虐殺”を繰り返してきたジェイソンが、すべての戦いを終えて、暴力の世界から離れるか、それとも暴力の世界に戻るか──。
この結末は、いくら筆者がネタバレで説明してもおそらく本質は伝わらない。実際に『Far Cry 3』をプレイして、バースとジェイソンの心の動きを追体験しなければわからないだろう。
以上が、筆者が『Far Cry 3』を通して感じたことを述べてきた。
暴力表現が正当性を得るためには、暴力でしか表せない物語であるべきだという精神は、映画やドラマでも同様だ。それは『Far Cry 3』から始まるシリーズの根底にこびりついている。
開発者からの冷や水を浴びせられるような痛烈な批判意識が、プレイヤーにとって居心地が良いはずもない。残虐性を否定するために残虐表現を好むという、遠回しすぎる皮肉に対しての拒否反応もあるだろう。
ここより先、どこに行き着くのか。遠くにあり、程遠く、かけ離れているという意味の『Far Cry』という言葉が持つ意味は、最新作『Far Cry 6』でも、同様の批評性をもって体現されている。
ちなみに、「Deluxe Edition」にはサウンドトラックが付属しているが、その1曲目のタイトルがゲームのタイトルと同じ『Far Cry 3』、そして最終トラックの題名は『Further』(さらに遠くへ)である。
本記事が、『Far Cry』シリーズに対して二の足を踏んでいたり、誤解を持っていた方がプレイしてみようと思うきっかけになってくれたら幸いだ。
『Far Cry』シリーズとは、プレイヤーを裁くアンチゲームとも呼べる逸品なのだ。
Far Cry 3
https://www.ubisoft.co.jp/fc3/
Far Cry 3 UBSI Soft
https://www.ubisoft.com/ja-jp/game/far-cry/far-cry-3
Far Cry 3 Steam
https://store.steampowered.com/app/220240/Far_Cry_3/
今回は、ユービーアイソフトの看板シリーズの中から『Far Cry 3』(ファークライ3)をご紹介する。2013年の発売から10周年を迎え、今年再び注目を集めている。
『Far Cry』シリーズは『Far Cry 6』まで6作品がリリースされているが、『3』がシリーズの特徴を決定づけた最初の作品と言える。グラフィックやゲームシステムにはやや古さを感じる点は否めないものの、10年を経過した今でも十分にプレイ可能。PCゲームの中でもぜひ遊ぶべき作品として強烈にオススメしたい。
ゲームの魅力を語る前に、まずはこのスターティングトレーラーと、登場人物のひとりであるバースの以下の言葉を心にとどめながら、レビューをお読みいただきたい。
「“異常”の定義を知ってるか? 異常……同じ事を何度も何度も繰り返すこと。変化を信じてな。それが異常だ。そう教えられたとき、からかわれたと思い、そいつを殺した。
だが……だがな、違った。どこを見てもどっちを向いても、大勢のアホどもが、性懲りもなく同じ事を繰り返してる。何度も、何度も、何度も、何度もな。今度こそ必ず変わるから、と。頼む、今度は今度こそは、と。お前の、その目つきが……
何見てる、あ? アタマおかしいのか? 俺の言うことがでたらめだと? 殺すぞ! この、クソ野郎が!
まあいい、落ち着こう……つまり、だな……お前を1度殺した。だよな? 俺がおかしいわけじゃねえ、まあいい。もう過ぎたことだ。
“異常”の定義は知ってるか?」
──『Far Cry 3』よりヴィランである「バース」の発言から
▲本作のヴィランであり、ソシオパスの「バース」
「Face Your Insanity」(お前の狂気と向き合え)
この「お前の狂気と向き替え」という言葉は、本作『Far Cry 3』全体を通したキャッチコピーとなっている。
南の島にバカンスに来た主人公「ジェイソン・ブロディ」とその兄弟・友人たちが降り立ったのは、実は海賊の支配下にある島だった。海賊たちに捕まったジェイソンは兄グラントとともに脱走を試みるも、目の前で兄を撃ち殺される。その後、からくも脱出に成功するが、川に落ちて意識を失ってしまった。
目を覚ますと、目の前にはジェイソンの左手にタトゥーを施している男がいた。朦朧とするジェイソンに、島のレジスタンス的存在である地元民「ラクヤット」の戦士になれとその男は言う。兄を失ったジェイソンは、まだ捕まったままの友人たちを救うために海賊と戦っていく──というのが大まかなストーリーだ。
ゲーム自体はオープンワールドのFPS。メインフィーチャーとして、島に設置されている「電波塔」の配電盤を直すことでマップ上の可視範囲が広がり、島の住民から感謝の気持ちとして武器が無料で入手できる(有料で購入することも可能)。そうやって、海賊たちから島を解放していくのがゲームの流れだ。
クラフト要素としては、島の野生動物を狩った皮でバッグやホルスターなどを作ることでインベントリを広げたり、銃弾の最大所持弾数を増やしたり、植物を使って回復・強化できる薬なども調合できる。
また、基地を奪還することで得られるスキルポイントを使って、「スライディング」や「連続ステルスキル」といったスキルが覚えられる。ゲーム中では、スキルを追加するたびに左手のタトゥーが増えるという演出も。ゲームの進行はミッションをクリアしていく形式のため、リニアなオープンワールドとなっているところも現代に通じる。
▲電波塔の上にある「スクランブラー」を無効化することで、周囲の状況が見えるようになる
圧倒的“悪”として描かれるヴィラン
さて、ここからが『Far Cry 3』がプレイヤーに強烈に投げかけ、問いかけるメッセージを紐解く時間だ。冒頭の「お前の狂気と向き合え」という言葉は、本作にとって一体どんな意味を持つのか。
ゾンビやモンスターではなく人間を相手とする『Far Cry 3』において、主人公は作中を通して大量殺戮をしていくことになる。それは、本作がFPSだから、そして現代劇のシューターだからだ。ゲームとしてのプレイヤー自身の行為に対して、自己批評性をもって迫るのが『Far Cry 3』なのだ。
本作を特徴づけているのは、のちの『Far Cry』シリーズにも採用されている「ヴィラン」の存在である。冒頭でバースという名のソシオパス(反社会的な行動を衝動的に行う人物のこと)を紹介したが、彼が本作のヴィランだ。
このようなことを言うと「危ない奴だな」と思われがちなのでなるべく言わないようにしているが、今回のレビューを書くにあたって、告白せざるを得ない感情が筆者の中にはあった。
それは、バースに対する感情移入。アンビバレントな両価性とも言うべき感情が、プレイ中の筆者の中にずっと付きまとっていた。
憎むべき敵であり、悪人であり、殺すべき人物であるバース。この悪役は、ゲーム史に残る人物だとすら思う。しかし、ゲームのパッケージにも描かれ、トレイラームービーでも出ずっぱり。ハッキリ言って主人公のジェイソンよりもずっと存在感がある。そんなバースに感情移入してしまうというのは、「バットマン」で言うと「ジョーカー」に魅力を感じることと似ている。
魅力的(悪い意味で)な人物と、感情移入できる人物には、実際は少し隔たりがある。つまり「こいつは俺だ」と多少なりとも感じるかどうか、または「俺はこいつになりたい」と思うかどうか、だ。
その意味で筆者は、バースという人物に自分の中にある狂気を垣間見た気持ちになったのだ。
プレイヤーが強要させられる“正義の”大量殺戮行為
バースは社会病質者だ。筆者自身はそうではないと思っている。しかし彼が常に発している暴力性に触れる中で、それは筆者の中にもあり、同時に、そんな自分から解き放たれたいとも思った。
ゲーム内でのバースの登場シーンは、実はそれほど多くはない。だが凄まじいまでの存在感がある。おそらく、ゲーム内で主人公=プレイヤーが行う“戦闘行為”という名の殺戮が、バースが行っていることと何ら変わりがないからだ。
ゲームを続ける限りは、プレイヤーはずっと殺戮を繰り返さざるを得ない。
筆者がバースのセリフで最も印象に残っているのが、こんな叫びだった。
「撃つんだ! もう終わらせてくれ!」
「救世主として俺を受け入れろ! 俺を十字架に掛けて生まれ変わらせてくれ!」
誤解しないでほしいのだが、これは主人公に対してバースが安っぽい同情を引こうとしたシーンのセリフではないし、この叫びによってバースという人物の中にもある良心を感じて何か救われた気持ちになったわけでもない。むしろ、邪悪の化身であるバースでさえ、このようなかたちで解放されたがっているということに、暗澹たる気持ちになってしまった。
これが、筆者が覚えたバースへの共感の正体だろう。悪には悪の事情があるだの、正義の反対はまた違う正義だの、そんな領域の話ではないのだ。半ば救済を死によって求めるバースの叫びは、死んでも達成されない。
このバースのセリフは、果たしてバース自身のセリフだったのか。あるいは、ジェイソンのの思いを投影したものだったのかもしれない。
Definition of Insanity(狂気・異常の定義)
海外製のゲーム、「洋ゲー」を指して、よくこんな言葉が使われる。
「海外のゲームは銃が出てきて殺し合うものばかりだ」と。
ほぼ批判の意味を込めて使われる言葉だが、海外のゲームは果たしてこの言葉に対して無自覚だろうか?
答えは「ノー」だ。「殺人」というテーマを扱うことに対して自覚的であるからこそ、このテーマに鋭く切り込んでいる海外作品はずっと多い。
むやみやたらに海外のゲームを礼賛したくはないし、日本のゲームが劣っているとも思ってはいない。しかし、“暴力”の取り扱いについては水をあけられているように思う。
続く『ファークライ4』でのヴィランは「パガン・ミン」という独裁者、『ファークライ5』では世界は週末を迎えると宣言するカルト宗教の教祖「ジョセフ・シード」、そして『ファークライ6』では権力と財力を持つ大統領「アントン・カスティロ」といった具合に、彼らには恒例のものとして暴力性が付与されている。
とあるレビューサイトが『Far Cry 3』をこう評した。
──「これは、大量殺戮を経た魂の行方を問う作品だ」と。
狂気と向き合う時、その狂気は我々プレイヤーの中にも宿る。ゲームだからというエクスキューズはあっても、ただ人の形を模しただけのデジタルデータを撃つ射的のようなものであったとしても、ゲーム内世界で起きていることは大量殺人であることは間違いない。物語の軸と演出によって、それが英雄的殺人であるか悪人的殺人であるかの違いがあるだけだ。
そして実際のところ、その両者を隔てている膜は極めて薄い。
ジェイソン=バース=プレイヤー?
ストーリーを進める中でジェイソンは南の島に突入し、潜入捜査のようなかたちでバースの雇い主「ホイト」の懐中に入り、ホイトの寝首を刈る作戦に身を投じることになる。
ここで起きることは極めてショッキングだ。ゲーム中で殺意を燃やし始めるジェイソンがその殺意に自覚的になる瞬間が、とある人物の“死”によってもたらされる。
だが、その死は伝聞であり、実際はとある人物はホイトの屋敷で監禁され生きていた。
ホイトに正体がバレないよう、とある人物に拷問を下すジェイソン。途中でホイトを追う潜入捜査官の「サム」の助けによって監視カメラを欺き、38秒間の猶予の間にとある人物に真実を告げて助けることを誓う。しかし再び、拷問をしなければならない。
当然、ジェイソンが拷問を行うためには、プレイヤーが操作しなければならない。マウスやキーボードのキーを推して、殴り、傷口に親指を強く押しつけるのだ。
悪魔のような尋問係と救いの神をわずかな時間の間に行き来するこのシーンは、「この拷問は助けるためだから仕方がない」というエクスキューズが何の気休めにもならないほど強烈な印象を残す。事が終わった後にジェイソンが呟く「俺は何をやっているんだ……」という空虚さがつらいシーンだ。
そして、ホイトと話した直後に「絶対に殺してやる……」と呟くのだ。
これは、友人を取り戻すための戦いなのか、それとも心の奥に宿った殺意と憎悪を消化するための戦いなのか。実は、結果的に大量殺戮を繰り返しているジェイソンは、バースと何ら変わらないのではないか。
そのような思いに駆られてしまうプレイヤーに対して、ある物語の一節が届く。
「アオムシさん、すみません。説明はできません」
とアリスは答えました。
「私が私のことを分からなくなっているからです」
「ああ、それは仕方のないことさ」
と猫が言いました。
「ここでは皆おかしいから。私もあなたもおかしい」
「どうして私の事まで言えるの?」
とアリスは言いました。
「おかしいに決まってる」
と猫が答えました。
「でないとここに来ることもなかったから」
本作の中でたびたび引用される『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の一節。章立てやチャプターの冒頭に必ず入るのも何とも印象的だ。
暴力を肯定する女性と、否定する女性の存在
『Far Cyr 3』には友人や協力者などの女性も登場するのだが、シトラという特殊な存在がいる。ラクヤットを率いる彼女が主人公に対して常に口にするのは「強い戦士になれ」という言葉。この殺し合いゲームの勝者となるには、皆殺しにしなければいけないことを明確に示唆してくる。
その一方で、このゲームから離れ、元の日常に戻ることを促すのが、ジェイソンの彼女であるリザだ。彼女は物語の終盤で幻覚として現れこう言う。「いつまで遊んでいるの!」と。
筆者はそこに、プレイヤーの母親を暗示しているように感じた。もしくは妻でもいい。ある意味で、プレイヤーの多くが男性であった時期の作品であることも感じさせる表現だ。
そして、この二人の女性との関係もまた、「お前の狂気と向き合え」という言葉が示唆する狂気の結末につながっていく。言葉で語ることは難しいが、シトラが提起するある条件を満たすと「YOU WON」という言葉をかけてくる。読者はその結末をどう感じるだろうか。
試されているのは、ジェイソンではなくプレイヤー
冒頭で書いたバースに向けた「これは俺だ」という筆者の共感は、最終的にはジェイソンへと向かっていく。
「自分の中にある怒りを感じている。モンスターになった自分はもう戻れない。だけどまだ、自分には人の心があると信じたい」、そうジェイソンは述べる。
ゲーム内で繰り返される大量虐殺行為は、現実世界からは切り離された“遊び”なのだというエクスキューズがあってこそ正当化できる。あくまでゲームの中での話であり、筆者はバースのような狂人でもないし、ジェイソンのように大量虐殺しているわけでは決してない。
しかし、『Far Cry 3』を遊んだことがなく、本記事で概要を知った人間に、「『Far Cry 3』は面白い」と語るあなたがどう映るか。──その批判的な視線が、ジェイソンの友人たちとしてゲーム内で常に描かれ、プレイヤーに正常な思考をもたらしてくれる。
この島で“正義の虐殺”を繰り返してきたジェイソンが、すべての戦いを終えて、暴力の世界から離れるか、それとも暴力の世界に戻るか──。
この結末は、いくら筆者がネタバレで説明してもおそらく本質は伝わらない。実際に『Far Cry 3』をプレイして、バースとジェイソンの心の動きを追体験しなければわからないだろう。
『Far Cry』は暴力を肯定するゲームではない
以上が、筆者が『Far Cry 3』を通して感じたことを述べてきた。
暴力表現が正当性を得るためには、暴力でしか表せない物語であるべきだという精神は、映画やドラマでも同様だ。それは『Far Cry 3』から始まるシリーズの根底にこびりついている。
開発者からの冷や水を浴びせられるような痛烈な批判意識が、プレイヤーにとって居心地が良いはずもない。残虐性を否定するために残虐表現を好むという、遠回しすぎる皮肉に対しての拒否反応もあるだろう。
ここより先、どこに行き着くのか。遠くにあり、程遠く、かけ離れているという意味の『Far Cry』という言葉が持つ意味は、最新作『Far Cry 6』でも、同様の批評性をもって体現されている。
ちなみに、「Deluxe Edition」にはサウンドトラックが付属しているが、その1曲目のタイトルがゲームのタイトルと同じ『Far Cry 3』、そして最終トラックの題名は『Further』(さらに遠くへ)である。
本記事が、『Far Cry』シリーズに対して二の足を踏んでいたり、誤解を持っていた方がプレイしてみようと思うきっかけになってくれたら幸いだ。
『Far Cry』シリーズとは、プレイヤーを裁くアンチゲームとも呼べる逸品なのだ。
Far Cry 3
https://www.ubisoft.co.jp/fc3/
Far Cry 3 UBSI Soft
https://www.ubisoft.com/ja-jp/game/far-cry/far-cry-3
Far Cry 3 Steam
https://store.steampowered.com/app/220240/Far_Cry_3/
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