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【FAV gaming sakoインタビュー(前編)】“プロゲーマー=副業”を本業に変えるまでの歩みを振り返る
「小学生のなりたい職業ランキング」で1位にランクインする「YouTuber」(=ストリーマー)という職業。その中でもゲーム実況者は、スーパープレイから素人配信まで子どもからの人気が高く楽しそうに見えるものの、実際の「仕事ぶり」についてはまだまだ知られていない。
そこで今回も、Twitchで活動しているストリーマーにインタビュー。第1回のClutch_Fiさんに続く第2回は、格闘ゲーム界の大ベテラン選手、FAV gaming所属 sako選手だ。妻でありマネージャーも務めるakikiさんにも同席いただき、20年以上にわたるプロゲーマー生活について、前後編にわたってお話をうかがった。
※インタビューは2021年12月にオンラインにて実施した。
──sakoさんと言えば、格闘ゲームがアーケードで流行っていた頃から活躍されていた大ベテランというイメージですが、ゲームと最初に出会ったのはいつ頃だったんですか?
sako:3歳くらいのときに、家の近くにあったゲームセンターに、5歳離れたお姉ちゃんに連れられてよく通っていました。
当時は『スペースインベーダー』などのすごく古いゲームや、10円でボールを飛ばして穴に入れたら景品をもらえるゲームとか、子どもでもできるゲームが多かったですね。そこからゲームが好きになりました。
──3歳からアーケードなんて、英才教育ですね(笑)。
sako:そのあと幼稚園のときに、親が「MSX」というパソコンゲーム機を買ってきました。初めてやったのは日本ファルコムの『ロマンシア』というゲーム。それを家族みんなでクリアしたのが初めての記憶です。
※MSX版がPC向けレトロゲーム販売プラットフォーム「プロジェクトEGG」にて配信中。
https://www.amusement-center.com/ja/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1429
──ファミコンにも移植された激ムズゲームとしても有名ですが、あれを幼稚園時代にクリアできたんですか?
sako:しました。たしか1年くらいかかりました。敵を倒すとカルマが溜まっていって、めちゃくちゃになっていくんです。それを何回も繰り返して攻略していきましたね。
──ということは、ご両親もかなりゲームをやられていたんですか?
sako:いえ、ゲーム自体に興味はあったけれど、途中からは「お前がやれや」みたいな感じで放ったらかしにされました。けれど、初めてのゲームだから、すごく熱中してやりましたね。文字もそんなに書けなかったから、説明書を読んでもらったりして覚えて。謎解きとかも全然わからないし、とりあえずわからないことはひたすらメモしていました。
──そこから、格闘ゲームと最初に出会ったのはいつ頃ですか?
sako:小学1年生のときに、初代『ストリートファイター』が出て、家の近くの駄菓子屋で初めて遊びました。練習したり教えてもらいながらクリアしました。とりあえず、昇竜拳が出せたらクリアできるゲームなので。
──昇竜拳、出にくいけどすごく強いんですよね。
sako:小学校高学年くらいになると『ストリートファイターII』(ストII)が出始めて。当時はどちらかというとコンピューター(CPU)と戦う一人用ばかりでしたが、攻略パターンとかを勉強していきました。結局『ストII』も対空さえ出ればコンピューターは倒せるということがわかったので、ひたすらその練習みたいな感じでした。
中学生くらいになって、『サムライスピリッツ』とか、『THE KING OF FIGHTERS』(KOF)が出てきて、多分そこで初めて、ゲーセンで知らない人と対戦しました。
──対人戦はSNK系が先だったんですね。
sako:そうですね。『ストII』系は知り合い同士で対戦はしていましたが、知らない人と50円なり100円なりを入れて対戦したのは、そこが初めてだと思います。
当時は中学生でしたが、何回も通っているうちに知り合った高校生や社会人にゲームを教えてもらったんです。ゲーム以外にも、麻雀やここでは言えないようないろいろな“人生経験”をさせてもらいました。
──やはり中学生の時から、強かったんですか?
sako:教えてもらううちにどんどん上達していって、高校生とか社会人の人たちにはほぼ負けなかったですね。この頃に『スーパーファミコン』とかでも格ゲーが出始めたので、家でコンボ練習をしたりもしました。ゲーセンで流行りの最新ゲームをやりつつ、家に帰ったらちょっと古いゲームでコンボ練習をずっとやっているような日々でした。
──中学生当時から強かったとのことですが、特に印象に残っているタイトルといったらなんでしょう?
sako:高校生くらいの時に出た『ヴァンパイアセイヴァー』がターニングポイントの1つでした。
地元のゲーセンでは、まあ、負け知らずだったんですが、ある日全然知らない子にボコボコにされたんです。それがKaji君という『ヴァンパイアセイヴァー』の中ではトップクラスのリリス使いのプレイヤーでした。マジで100回やって100回負けるくらい力の差がありましたね。そんなに負けたのは初めてだったので、自分でも衝撃を受けたんです。
その頃、対戦に負けても自分から声をかけに行くことはなかったんです。ちょっとプライドみたいなものがあったのかな。でも、「この子を倒すにはどうしたらいいんだろう?」と、初めて自分から声をかけたんです。
「普段どこでやってるの?」と聞いたら、2つくらい離れた駅の大きめのゲーセンでよくやっていますと言われたので、「じゃあ通うわ」って。
──負けたことがきっかけで「戦う」という意識に変わったんですね。
sako:そうですね。身内同士だったらガッツリやらなくてもわりと勝てていたのが、一切通用しない相手が出てきて、「今まで練習してきたものがパーになったのか?」と、考え方を変えさせられました。
ゲームへの取り組み方が根本的に違うということがわかって、彼が練習している以上のことを練習しないと絶対に追いつけないと思ったんです。異常なほどやりこみ始めたのはここからですね。
『ヴァンパイアセイヴァー』はセガサターンで発売されていたので、アケコンをひと通り揃えて、コンボ練習です。当時のアケコンってすぐに壊れてしまったので、何台くらいかな……5、6台くらい替えてました。高校卒業後に社会人になってからも、仕事をしながら稼いだお金を全部Kaji君につぎ込んでいました。
──つぎこんだのは、“Kaji君”に、ですか?
sako:そうです。勝てないのでいくらでもお金がかかっていくんですよ。1日1万円とか普通になくなっていましたね。そういう生活を1年くらい続けていたら、だんだんお金の減りが少なくなってきて、逆に向こうが頭を抱え出しました。
──すでに就職された上でゲーセンに通っていたわけですが、そこからプロゲーマーになるまでにはまだ結構ありますよね。
sako:まだ、めちゃくちゃ長いですよ(笑)。
僕が通っていたゲーセンは枚方のGIGAというゲーセンだったんですけど、Kaji君が「GIGAにすごく強いバレッタ使いがいるから、皆来てや」と言ってくれて、関西でも一番強い奴らがGIGAに遠征に来るようになったんです。
そこで強い奴らが他にもいるんだということを知り、遠征に行き始めたのもそこからですね。東京に行った時には、ヌキ(大貫晋也)というレジェンドプレイヤーと仲良くなったりしました。そのときに、梅原大吾(ウメハラ)とも初めて出会いました。
──まだ『ヴァンパイアセイヴァー』の時代ですね。
sako:セイヴァー時代ですね。2004年の「闘劇」での優勝を目指して頑張っていたんですが、結局3位か4位で終わってしまったんです。それで、いったんセイヴァーは区切りとしてもいいかな、と。
格ゲーは他にも『GUILTY GEAR』や『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』などもやっていたんです。やっぱりひとつのゲームで自信が出てくると、「このゲームではこういう戦略が使えるな」という感じで他のゲームでも応用が利くんです。そういうロジックを使って、他のゲームでも割と成績が残せるようになりました。
──当時はeスポーツ大会もまだなかったですが、やはりそういう大会での優勝を目指していたんですか?
sako:いや、僕自身は大会自体には全然興味はないです。今でもそうなんですけど、「ゲームが上手くなりたい」ということが一番優先で、大会自体は正直すごく低いです。
──今でも?
sako:そうですね。純粋に格ゲーが上手くなりたいだけでずっと練習していられる人間なので。大会があれば出ますし、なければ出なくてもいい。よく「変わっている」と言われるんですけど。
──そういう意味では、Twitchでの動画配信って、sakoさんにとっては天職ですよね。
sako:本当にそうですよね。ひたすら練習しながらお金をいただいていいのかなって、ちょっと思います。
──うまくなるためだけに格ゲーをやる生活から、プロになるターニングポイントはどこだったんでしょうか?
sako:『ストリートファイターIV』(ストIV)が2008年に出て、ゲーセンから家庭用メインになったんです。家庭用だとゲーセンの閉店時間を気にしなくても常に対戦相手がいるし、「こんな神みたいな環境があるんだ」ということで、夢中になってやりました。仕事から帰ったら『ストIV』をつけて、明け方までずっとやる、みたいな生活でしたね。
その時に、ゲーム内のランクマッチでよくウメハラ君と当たっていたんですよ。勝率も結構よくて、「これってあの有名な梅原大吾のアカウントじゃないの?」と僕もちょっと意識していたんです。そしたらある日、友達から電話がかかってきて、「ウメハラがsakoに連絡を取りたいって言ってる」と。
それまでの大会は「一先」と言って、一発勝負だったんです。勝っても負けても運がいい悪いがある大会。けれど、それとは違う趣旨で「本当に強い人だけを集めて長期戦で強い奴が誰か決めよう」というオファーがあって僕が選ばれたんです。
その大会、「GODSGARDEN Online」に出たことが、プロへのきっかけですね。第1回大会はウメハラ君とは対戦せず優勝。第2回ではウメハラ君との直接対決があって逆転勝利できました。当時のプラットフォームはUstreamでした。
akiki:「GODSGARDEN Online」には世界中の視聴が集まったんですが、そこでsakoがウメハラさんに逆転勝利したことで、「ウメハラキラーとして大会のゲストに来てほしい」というオファーが来たんです。「SoCal Regionals」(ソーカル リージョナル)というカリフォルニアの大会のアレックス・バイエという人からで、要は「ウメハラとウメハラ殺しを両方招待したいから来てくれ」と。
sako:それが初めての海外大会だったんですが、海外のオフライン大会は初めて、膝置きでプレイしたことがなかったんです。思ったようなプレイができず、初の海外大会はプール落ちでした。招待までされたんだけれど、何もできなかった。
その代わり、「sako組手」というイベントをやりました。こちらはテーブルに置けたので、かなり負け知らずな感じでしたね。そしてその後、バイエと友人とで「チームをつくりたいからそこにsakoも入ってくれないか」と言われたんです。それが「チームHORI」で、初めて所属したプロチームでした。
──チームHORI加入を機にプロゲーマーになったわけですが、そこからの流れも複雑でしたよね。
akiki:チームHORIはsako以外は全員アメリカ人で、その後いったん解散したのですが、日本のHORIさんから「プロゲーマーsakoという個人をスポンサードする」というかたちで直接契約になりました。これは今でも続いています。
──その当時はまだ会社員としてお仕事もされていて?
sako:もちろん、していました。プロゲーマー収入は副業でしたから。
『ストリートファイターV』(ストV)が出てオンラインで練習していた時に、「正直、このゲームはオフラインでないと強くなれない」と、東京に行きたいと嫁に持ち掛けたところ、二つ返事くらいで「じゃあ行こうか」と。ただ、いきなり東京に行っても生活できないので、「ゲームの仕事の収入を増やしてから行ったら、家族としても大冒険にならずに済むんじゃないか?」ということになりました。
大阪で暮らしながら東京に通って、ファミ通の知り合いにお願いして定期的に仕事をもらって、収入を得るついでに関東で練習してから帰る……そういうことをだいたい1年くらいやっていたのかな。
akiki:チームHORIの頃は本業9割、プロゲーマー1割くらいでしたが、だんだん逆転していって、プロゲーマー収入の方が完全に大きくなっていったんですよ。
もともとsakoが勤めていた会社にもプロゲーマー活動は相談してあって、たとえば、大会前の1週間とかはトレーニングしたいから休むけど、その分の給料は出ない。なのでその分をゲームで稼いで、トータルでは100%にするという計算でした。大会への招待やイベント出演もだんだんと多くなって、半年に1回が毎月になって、最後の方は6割くらいは会社を休んでいました。
ただ、このゲームの収入があれば生きていけるんだけれど、安定はしていないので、『ストV』最初の1年は安定したお仕事をいただく方の取り組みをしていました。そうやってあちこちにアプローチをかけたら、SCARZさんが声をかけてくれたんです。
sako:そもそもHORIさんはSCARZをスポンサードしていたので、SCARZオーナーの友利(洋一)さんにご挨拶したところ、友利さんから「せっかくのご縁だし、ストV部門をつくろうと思っているからSCARZに入らない?」とお声がけをいただいたんです。
SCARZからの収入と、ファミ通から定期的にいただいていた仕事を合わせたら、元の仕事と同じくらいの収入は必ずもらえるから、「よし、じゃあ東京に行こうか」と。それで、2017年3月にSCARZに加入し、「専業プロになった」という宣言をしました。
──プロとしての収入は確保されていったわけですが、配信を始めたのはいつ頃からでしたか?
sako:個人配信は、SCARZに入る前の2016年に『ストV』をPS4のTwitch配信機能でやってみたのが最初です。アールさんが当時Twitchに勤めていたこともあり、「配信面白いよ。やってみたら」って勧めてくれたんです。Twitchでの収益化はSCARZに所属した2017年からスタートしていました。同時に、嫁がちゃんとしたマネージャーになってくれました。
──その後、現在の主な収入はどうでしょうか。eスポーツプロとしての活動と、タレント的な活動と、単純なストリーマーとしての活動など……。
sako:主な収入はチーム(FAV gaming)からのサポートで、僕個人についているスポンサー様のサポート、ストリーマーとしての収益、番組出演やイベント出演の出演費などですね。配信は、大会以外の普段のsakoというプレイヤーを知ってもらうために重要視しています。
特にTwitchは世界中に見てくれる人がいるのが嬉しいですよね。多分、僕の言葉なんか何一つわからないんだろうけど、個人配信は見てくれるという人が結構な人数いるので、「やっていてよかったな」と常々思っています。
──世界とつながれるメディアなんですね。
sako:そうですね。大会だけだと普段は何をしているのか、なかなか見えづらいですが、個人配信だったら割と来てくれますから。
前編はここまで。後編では、Twitchでのストリーマー活動のきっかけとその裏側に迫る。
ストリートファイターリーグ 2021 Pro-JP プレイオフの詳細
https://sf.esports.capcom.com/playoff/
ストリートファイターリーグ 2021 Pro-JP グランドファイナルの詳細
https://sf.esports.capcom.com/final/
sakoのTwitch
https://www.twitch.tv/sakonoko_game
sakoのTwitter
https://twitter.com/sakonoko
sakoのYouTube
https://www.youtube.com/c/sakonokogame
そこで今回も、Twitchで活動しているストリーマーにインタビュー。第1回のClutch_Fiさんに続く第2回は、格闘ゲーム界の大ベテラン選手、FAV gaming所属 sako選手だ。妻でありマネージャーも務めるakikiさんにも同席いただき、20年以上にわたるプロゲーマー生活について、前後編にわたってお話をうかがった。
※インタビューは2021年12月にオンラインにて実施した。
ゲーセン通いは3歳から!? 最初にクリアしたゲームはMSX版『ロマンシア』!
──sakoさんと言えば、格闘ゲームがアーケードで流行っていた頃から活躍されていた大ベテランというイメージですが、ゲームと最初に出会ったのはいつ頃だったんですか?
sako:3歳くらいのときに、家の近くにあったゲームセンターに、5歳離れたお姉ちゃんに連れられてよく通っていました。
当時は『スペースインベーダー』などのすごく古いゲームや、10円でボールを飛ばして穴に入れたら景品をもらえるゲームとか、子どもでもできるゲームが多かったですね。そこからゲームが好きになりました。
──3歳からアーケードなんて、英才教育ですね(笑)。
sako:そのあと幼稚園のときに、親が「MSX」というパソコンゲーム機を買ってきました。初めてやったのは日本ファルコムの『ロマンシア』というゲーム。それを家族みんなでクリアしたのが初めての記憶です。
※MSX版がPC向けレトロゲーム販売プラットフォーム「プロジェクトEGG」にて配信中。
https://www.amusement-center.com/ja/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1429
──ファミコンにも移植された激ムズゲームとしても有名ですが、あれを幼稚園時代にクリアできたんですか?
sako:しました。たしか1年くらいかかりました。敵を倒すとカルマが溜まっていって、めちゃくちゃになっていくんです。それを何回も繰り返して攻略していきましたね。
──ということは、ご両親もかなりゲームをやられていたんですか?
sako:いえ、ゲーム自体に興味はあったけれど、途中からは「お前がやれや」みたいな感じで放ったらかしにされました。けれど、初めてのゲームだから、すごく熱中してやりましたね。文字もそんなに書けなかったから、説明書を読んでもらったりして覚えて。謎解きとかも全然わからないし、とりあえずわからないことはひたすらメモしていました。
──そこから、格闘ゲームと最初に出会ったのはいつ頃ですか?
sako:小学1年生のときに、初代『ストリートファイター』が出て、家の近くの駄菓子屋で初めて遊びました。練習したり教えてもらいながらクリアしました。とりあえず、昇竜拳が出せたらクリアできるゲームなので。
──昇竜拳、出にくいけどすごく強いんですよね。
sako:小学校高学年くらいになると『ストリートファイターII』(ストII)が出始めて。当時はどちらかというとコンピューター(CPU)と戦う一人用ばかりでしたが、攻略パターンとかを勉強していきました。結局『ストII』も対空さえ出ればコンピューターは倒せるということがわかったので、ひたすらその練習みたいな感じでした。
中学生くらいになって、『サムライスピリッツ』とか、『THE KING OF FIGHTERS』(KOF)が出てきて、多分そこで初めて、ゲーセンで知らない人と対戦しました。
──対人戦はSNK系が先だったんですね。
sako:そうですね。『ストII』系は知り合い同士で対戦はしていましたが、知らない人と50円なり100円なりを入れて対戦したのは、そこが初めてだと思います。
当時は中学生でしたが、何回も通っているうちに知り合った高校生や社会人にゲームを教えてもらったんです。ゲーム以外にも、麻雀やここでは言えないようないろいろな“人生経験”をさせてもらいました。
──やはり中学生の時から、強かったんですか?
sako:教えてもらううちにどんどん上達していって、高校生とか社会人の人たちにはほぼ負けなかったですね。この頃に『スーパーファミコン』とかでも格ゲーが出始めたので、家でコンボ練習をしたりもしました。ゲーセンで流行りの最新ゲームをやりつつ、家に帰ったらちょっと古いゲームでコンボ練習をずっとやっているような日々でした。
初めてボコボコにされたライバル、Kaji君
──中学生当時から強かったとのことですが、特に印象に残っているタイトルといったらなんでしょう?
sako:高校生くらいの時に出た『ヴァンパイアセイヴァー』がターニングポイントの1つでした。
地元のゲーセンでは、まあ、負け知らずだったんですが、ある日全然知らない子にボコボコにされたんです。それがKaji君という『ヴァンパイアセイヴァー』の中ではトップクラスのリリス使いのプレイヤーでした。マジで100回やって100回負けるくらい力の差がありましたね。そんなに負けたのは初めてだったので、自分でも衝撃を受けたんです。
その頃、対戦に負けても自分から声をかけに行くことはなかったんです。ちょっとプライドみたいなものがあったのかな。でも、「この子を倒すにはどうしたらいいんだろう?」と、初めて自分から声をかけたんです。
「普段どこでやってるの?」と聞いたら、2つくらい離れた駅の大きめのゲーセンでよくやっていますと言われたので、「じゃあ通うわ」って。
──負けたことがきっかけで「戦う」という意識に変わったんですね。
sako:そうですね。身内同士だったらガッツリやらなくてもわりと勝てていたのが、一切通用しない相手が出てきて、「今まで練習してきたものがパーになったのか?」と、考え方を変えさせられました。
ゲームへの取り組み方が根本的に違うということがわかって、彼が練習している以上のことを練習しないと絶対に追いつけないと思ったんです。異常なほどやりこみ始めたのはここからですね。
『ヴァンパイアセイヴァー』はセガサターンで発売されていたので、アケコンをひと通り揃えて、コンボ練習です。当時のアケコンってすぐに壊れてしまったので、何台くらいかな……5、6台くらい替えてました。高校卒業後に社会人になってからも、仕事をしながら稼いだお金を全部Kaji君につぎ込んでいました。
──つぎこんだのは、“Kaji君”に、ですか?
sako:そうです。勝てないのでいくらでもお金がかかっていくんですよ。1日1万円とか普通になくなっていましたね。そういう生活を1年くらい続けていたら、だんだんお金の減りが少なくなってきて、逆に向こうが頭を抱え出しました。
──すでに就職された上でゲーセンに通っていたわけですが、そこからプロゲーマーになるまでにはまだ結構ありますよね。
sako:まだ、めちゃくちゃ長いですよ(笑)。
僕が通っていたゲーセンは枚方のGIGAというゲーセンだったんですけど、Kaji君が「GIGAにすごく強いバレッタ使いがいるから、皆来てや」と言ってくれて、関西でも一番強い奴らがGIGAに遠征に来るようになったんです。
そこで強い奴らが他にもいるんだということを知り、遠征に行き始めたのもそこからですね。東京に行った時には、ヌキ(大貫晋也)というレジェンドプレイヤーと仲良くなったりしました。そのときに、梅原大吾(ウメハラ)とも初めて出会いました。
──まだ『ヴァンパイアセイヴァー』の時代ですね。
sako:セイヴァー時代ですね。2004年の「闘劇」での優勝を目指して頑張っていたんですが、結局3位か4位で終わってしまったんです。それで、いったんセイヴァーは区切りとしてもいいかな、と。
格ゲーは他にも『GUILTY GEAR』や『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』などもやっていたんです。やっぱりひとつのゲームで自信が出てくると、「このゲームではこういう戦略が使えるな」という感じで他のゲームでも応用が利くんです。そういうロジックを使って、他のゲームでも割と成績が残せるようになりました。
──当時はeスポーツ大会もまだなかったですが、やはりそういう大会での優勝を目指していたんですか?
sako:いや、僕自身は大会自体には全然興味はないです。今でもそうなんですけど、「ゲームが上手くなりたい」ということが一番優先で、大会自体は正直すごく低いです。
──今でも?
sako:そうですね。純粋に格ゲーが上手くなりたいだけでずっと練習していられる人間なので。大会があれば出ますし、なければ出なくてもいい。よく「変わっている」と言われるんですけど。
──そういう意味では、Twitchでの動画配信って、sakoさんにとっては天職ですよね。
sako:本当にそうですよね。ひたすら練習しながらお金をいただいていいのかなって、ちょっと思います。
「GODSGARDEN Online」をきっかけに北米のチームHORIからスポンサード
──うまくなるためだけに格ゲーをやる生活から、プロになるターニングポイントはどこだったんでしょうか?
sako:『ストリートファイターIV』(ストIV)が2008年に出て、ゲーセンから家庭用メインになったんです。家庭用だとゲーセンの閉店時間を気にしなくても常に対戦相手がいるし、「こんな神みたいな環境があるんだ」ということで、夢中になってやりました。仕事から帰ったら『ストIV』をつけて、明け方までずっとやる、みたいな生活でしたね。
その時に、ゲーム内のランクマッチでよくウメハラ君と当たっていたんですよ。勝率も結構よくて、「これってあの有名な梅原大吾のアカウントじゃないの?」と僕もちょっと意識していたんです。そしたらある日、友達から電話がかかってきて、「ウメハラがsakoに連絡を取りたいって言ってる」と。
それまでの大会は「一先」と言って、一発勝負だったんです。勝っても負けても運がいい悪いがある大会。けれど、それとは違う趣旨で「本当に強い人だけを集めて長期戦で強い奴が誰か決めよう」というオファーがあって僕が選ばれたんです。
その大会、「GODSGARDEN Online」に出たことが、プロへのきっかけですね。第1回大会はウメハラ君とは対戦せず優勝。第2回ではウメハラ君との直接対決があって逆転勝利できました。当時のプラットフォームはUstreamでした。
akiki:「GODSGARDEN Online」には世界中の視聴が集まったんですが、そこでsakoがウメハラさんに逆転勝利したことで、「ウメハラキラーとして大会のゲストに来てほしい」というオファーが来たんです。「SoCal Regionals」(ソーカル リージョナル)というカリフォルニアの大会のアレックス・バイエという人からで、要は「ウメハラとウメハラ殺しを両方招待したいから来てくれ」と。
sako:それが初めての海外大会だったんですが、海外のオフライン大会は初めて、膝置きでプレイしたことがなかったんです。思ったようなプレイができず、初の海外大会はプール落ちでした。招待までされたんだけれど、何もできなかった。
その代わり、「sako組手」というイベントをやりました。こちらはテーブルに置けたので、かなり負け知らずな感じでしたね。そしてその後、バイエと友人とで「チームをつくりたいからそこにsakoも入ってくれないか」と言われたんです。それが「チームHORI」で、初めて所属したプロチームでした。
SCARZ加入を機に兼業から専業ゲーマーへ
──チームHORI加入を機にプロゲーマーになったわけですが、そこからの流れも複雑でしたよね。
akiki:チームHORIはsako以外は全員アメリカ人で、その後いったん解散したのですが、日本のHORIさんから「プロゲーマーsakoという個人をスポンサードする」というかたちで直接契約になりました。これは今でも続いています。
──その当時はまだ会社員としてお仕事もされていて?
sako:もちろん、していました。プロゲーマー収入は副業でしたから。
『ストリートファイターV』(ストV)が出てオンラインで練習していた時に、「正直、このゲームはオフラインでないと強くなれない」と、東京に行きたいと嫁に持ち掛けたところ、二つ返事くらいで「じゃあ行こうか」と。ただ、いきなり東京に行っても生活できないので、「ゲームの仕事の収入を増やしてから行ったら、家族としても大冒険にならずに済むんじゃないか?」ということになりました。
大阪で暮らしながら東京に通って、ファミ通の知り合いにお願いして定期的に仕事をもらって、収入を得るついでに関東で練習してから帰る……そういうことをだいたい1年くらいやっていたのかな。
akiki:チームHORIの頃は本業9割、プロゲーマー1割くらいでしたが、だんだん逆転していって、プロゲーマー収入の方が完全に大きくなっていったんですよ。
もともとsakoが勤めていた会社にもプロゲーマー活動は相談してあって、たとえば、大会前の1週間とかはトレーニングしたいから休むけど、その分の給料は出ない。なのでその分をゲームで稼いで、トータルでは100%にするという計算でした。大会への招待やイベント出演もだんだんと多くなって、半年に1回が毎月になって、最後の方は6割くらいは会社を休んでいました。
ただ、このゲームの収入があれば生きていけるんだけれど、安定はしていないので、『ストV』最初の1年は安定したお仕事をいただく方の取り組みをしていました。そうやってあちこちにアプローチをかけたら、SCARZさんが声をかけてくれたんです。
sako:そもそもHORIさんはSCARZをスポンサードしていたので、SCARZオーナーの友利(洋一)さんにご挨拶したところ、友利さんから「せっかくのご縁だし、ストV部門をつくろうと思っているからSCARZに入らない?」とお声がけをいただいたんです。
SCARZからの収入と、ファミ通から定期的にいただいていた仕事を合わせたら、元の仕事と同じくらいの収入は必ずもらえるから、「よし、じゃあ東京に行こうか」と。それで、2017年3月にSCARZに加入し、「専業プロになった」という宣言をしました。
この度、sakoが日本のe-sportsチーム『SCARZ(スカーズ)』に加入することになりました!HORIさんとのダブルスポンサードとなります。
— FAV | あきき (akiki) (@akikiwww) March 7, 2017
そしてこれを期に専業プロゲーマーになります。今後ともsakoを宜しくお願い致します!https://t.co/uBnqyCyf5z pic.twitter.com/JOvrP3co7o
Twitch配信はsakoというプレイヤーを知ってもらうためのツール
──プロとしての収入は確保されていったわけですが、配信を始めたのはいつ頃からでしたか?
sako:個人配信は、SCARZに入る前の2016年に『ストV』をPS4のTwitch配信機能でやってみたのが最初です。アールさんが当時Twitchに勤めていたこともあり、「配信面白いよ。やってみたら」って勧めてくれたんです。Twitchでの収益化はSCARZに所属した2017年からスタートしていました。同時に、嫁がちゃんとしたマネージャーになってくれました。
──その後、現在の主な収入はどうでしょうか。eスポーツプロとしての活動と、タレント的な活動と、単純なストリーマーとしての活動など……。
sako:主な収入はチーム(FAV gaming)からのサポートで、僕個人についているスポンサー様のサポート、ストリーマーとしての収益、番組出演やイベント出演の出演費などですね。配信は、大会以外の普段のsakoというプレイヤーを知ってもらうために重要視しています。
特にTwitchは世界中に見てくれる人がいるのが嬉しいですよね。多分、僕の言葉なんか何一つわからないんだろうけど、個人配信は見てくれるという人が結構な人数いるので、「やっていてよかったな」と常々思っています。
──世界とつながれるメディアなんですね。
sako:そうですね。大会だけだと普段は何をしているのか、なかなか見えづらいですが、個人配信だったら割と来てくれますから。
※ ※ ※ ※ ※
前編はここまで。後編では、Twitchでのストリーマー活動のきっかけとその裏側に迫る。
ストリートファイターリーグ 2021 Pro-JP プレイオフの詳細
https://sf.esports.capcom.com/playoff/
ストリートファイターリーグ 2021 Pro-JP グランドファイナルの詳細
https://sf.esports.capcom.com/final/
sakoのTwitch
https://www.twitch.tv/sakonoko_game
sakoのTwitter
https://twitter.com/sakonoko
sakoのYouTube
https://www.youtube.com/c/sakonokogame
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