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対戦格闘ゲームの登場と全国大会の開催【石井ぜんじの「eスポーツのルーツを求めて」第2回】
目次
1人用のゲームから対戦格闘ゲームの時代へ
前回説明したように、1980年代はアーケードゲーム、つまりゲームセンターのゲームがゲーム業界の最先端を走っていた。そして当時のアーケードゲームは、シューティングなどの1人で遊ぶゲームが一般的だった。腕自慢のプレイヤーはゲーム雑誌で集計されるハイスコアでその技量を競い、全国のトップを目指し日々研究にいそしんでいた。しかし、そんなゲームセンターの状況を一変させるタイトルが登場する。それが1991年に発売されたカプコンの『ストリートファイターII』(略称:ストII)である。この作品によって対戦格闘ゲームは広く認知され、全国のゲームセンターで多くのプレイヤーが対戦を楽しむようになった。この流れが、現在のeスポーツにも受け継がれている。
そこで今回は、対戦格闘ゲームというジャンルを確立した『ストII』と、その発売直後のゲームセンターの状況について説明していこう。
必殺技コマンドと6ボタンコンパネを生み出した
元祖『ストリートファイター』
対戦格闘ブームを生み出した『ストII』はナンバリングタイトルであり、シリーズの2作目にあたる。シリーズ第1作である『ストリートファイター』の発売は1987年で、これも人気が高かった作品だ。▲『ストリートファイター』(写真は『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より)
『ストリートファイター』はボタンを叩いた強さを技の威力に反映するという、斬新なアイデアを採用している。ボタンに特殊な圧力センサーを使っているため、アップライトの専用筐体で発売された。後にテーブル筐体版も作られたが、テーブル筐体では圧力センサーが使えなかったため、技の威力を6つのボタンで選択することにした。この6ボタンシステムは『ストII』に採用され、以降の『ストリートファイター』シリーズのスタンダードとなっている。
『ストリートファイター』には、隆(後のリュウ)や拳(後のケン)、サガットなど、シリーズで活躍するキャラクターたちが初登場している。また波動拳などのコマンド必殺技を最初に採用したのもこの作品だ。このアイデアは、素晴らしい発想だったと思う。
また『ストリートファイター』では、人対人の対戦プレイも可能だった。対戦で使えるキャラクターは隆と拳の2キャラのみで、その性能はほぼ同じである。今思えば異なる性能のキャラで対戦ができないのは残念だったが、当時はそこまでなかなか想像が及ばなかった。プレイヤーの率直な印象は「オマケで対戦もできるんだ」という程度であった。
しかし対戦で遊んでいた人がまったくいなかった、というわけではない。筆者は当時、上京してきたゲームマニアが『ストリートファイター』の対戦相手を求めて、しつこく対戦プレイの勧誘をしていたところを見ている。地元であまり対戦相手がいないので、都内のマニアの中で対戦できる相手を探していたのではないかと思われる。
またこれはあとから聞いた話だが、北米では日本よりはるかに対戦プレイが楽しまれていたとのことだ。「1人でプレイしていると他人が勝手に乱入してくる」という話を聞いて、「アメリカ人ってすごいな」と思ったものであった。そのときは「日本では絶対にありえない」と思っていたのだが……。
荒削りだった『ストリートファイター』の対戦プレイ
それでは、ここで元祖『ストリートファイター』の対戦の駆け引きについて、少しだけ紹介しておこう。『ストリートファイター』の対人戦では、波動拳が大きなキーポイントだ。威力がとても高いので、ガードせずに当てられると体力が7割ほど削られ、ほぼ負けとなってしまう。しかしガードすれば硬直が長いので波動拳を撃ち返すことができ、一気に逆転できる。
▲『ストリートファイター』(写真は『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より)
お互いにそれを警戒している場合は、うかつに波動拳を撃つことはできない。その場合は、近づいてしゃがみパンチを打つなどという戦法が有効だった。とにかく今の対戦格闘ゲームの駆け引きと比べると、かなりおおざっぱなものだったことは確かだ。
このように『ストリートファイター』のゲーム性には荒削りなところがあり、多くの人が対戦プレイを楽しむにはまだ足りないところが多かったように思う。しかし国内外で対戦していた人がいなかったわけではなく、そこに可能性の芽が存在していたのも確かだろう。この『ストリートファイター』を土台として、本格的な対戦プレイが楽しめる『ストリートファイターII』(以下『ストII』)の開発が始まっていく。
最初は1人用で遊ばれていた『ストII』
1991年、日本のビデオゲーム史に大きなインパクトをもたらした名作が発売される。それがカプコンの『ストリートファイターII』であった。▲『ストリートファイターII』(写真は『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より)
『ストII』は、現在のeスポーツに採用される対戦格闘ゲームの原型を作った作品だ。その内容は、異なる性能の8人のキャラクターの中から1人を選び、1対1で戦うというもの。それ以前の1対1格闘ゲームと決定的に違うところは、対戦ゲームとしてのクオリティを突き詰めたところにあった。
しかし『ストII』の開発スタッフは、日本で対戦プレイはそれほど流行しないと思っていたらしい。ビデオゲームが登場して以来、ゲームセンターで対戦ゲームが流行した事例はほとんどなかった。ゲームは1人で遊ぶのが当たり前であり、ゲーセンで見知らぬ人と対戦するなんて、シャイな日本人にはできるわけがない。ゲームの作り手も、ゲーセンのゲーマーたちも、みんなそう思っていたのである。
それでも『ストII』は、発売されると同時に日本中のゲームセンターで大人気となった。しかしそれは、対戦が盛り上がったからではなかった。対コンピューター戦の、1人プレイで皆が遊んでいたのである。キャラクターやグラフィックに優れ、ゲーム性も非常に高い。すべてにおいて完成された作品で、『ストII』は対戦という要素を除いても、人々を魅了する力を持っていた。
『ストII』が発売された90年代の前半は、まだ地方の駅前商店街が栄えていた時代である。そんな商店街には、必ずといっていいほどゲームセンターがあった。メーカーの直営店だけでなく個人経営の小さな店も多く、それらのゲームセンターはまたたく間に『ストII』で埋め尽くされた。学生は学校帰りに、サラリーマンは仕事の合間にゲーセンで『ストII』を楽しんでいた。
当時筆者はアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』の編集長をしていたが、『ストII』が発売されてから部数は急増した。アーケードゲームについての情報が詳しく載っている雑誌は、ゲーメスト以外になかったのである。雑誌は売れに売れ、それにしたがって会社の規模は大きくなっていった。
これほどの人気を得た『ストII』だが、それでもゲーセンで対戦プレイをしている人を見かけることはなかった。みんな黙々と、1人でコンピューターを相手にプレイしていた。この状況は、発売から半年くらい続くことになる。
▲ゲーメスト1991年5月号表紙
対戦プレイの潜在的パワーを見せつけた
マルゲ屋のストII大会
この時期、対戦プレイの面白さに気づいた人たちは、仲間同士で対戦プレイを楽しんでいたと思われる。しかしこの時代は、まだインターネットも、携帯電話も存在しない。他のゲームセンターでどれだけ対戦が遊ばれているか、どのキャラが強いのかといった情報は、まったく表に出てこなかった。しかし対戦プレイに対するプレイヤーの熱気が、明らかになる事件が起こる。それがマルゲ屋で行われた、『ストII』の対戦イベントであった。
当時ゲーメストの発行元である新声社は、マルゲ屋というゲームグッズを売る店舗を持っていた。このマルゲ屋には『ストII』の筐体が1台置かれており、あるときお店で客寄せに『ストII』の対戦イベントを行おうということになった。対戦イベントといっても、参加人数が十人前後の、ごく小規模のものである。「8人参加者が来ればなんとかトーナメントが成り立つだろう」というくらいの、気楽な考えで始めたように思う。当時のマルゲ屋は、人が十人も入ればいっぱいといった感じの小さな店であった。
▲『ストリートファイターII』(写真は『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より)
しかしふたを開けてみると、対戦イベントへの参加権利を求めて、プレイヤーが店の前に行列を作る騒ぎになった。なんと店の前に、百人以上の参加希望者が押し寄せたのである。筆者はこれを実際に目撃したのだが、休日のサラリーマンが去った神田の街中に、対戦を求めるプレイヤーが長蛇の列となっていた。それは異様な光景であり、いまだに脳裏に残っている。
このころゲーメスト編集部には『ストII』の筐体が置かれており、ライターのあいだで対戦がよく行われていた。だから対戦プレイが面白いことはわかっていたが、しょせんそれは身内同士の遊びである。ゲーセンでは対戦プレイをほとんど見かけなかったため、記事にしようとは考えていなかった。しかしこの事件をきっかけに、ゲーメスト編集部では対戦に対する考え方が、かなり変わったように思う。
初めての格ゲー全国大会
「全日本ストIIチャンピオンシップ大会」
マルゲ屋のイベントにあれだけ人が集まったのは、世間に対戦に餓えている人が多かったのだと思う。当時はまだ、ゲームセンター単位での対戦大会はほとんど行われていなかった。みんながそれほど対戦をやりたいなら、ゲーメストが率先してイベントを開けばいい。筆者はそう思い、全国大会の開催を、会社に提案した記憶がある。今思えばこれは画期的なことだったが、当時はその発想に何の疑問も持っていなかった。1対1で勝負できる形式のゲームであれば、イベントとして成り立ちやすいことが自然に想像できたからである。
新声社は良くも悪くも軽いノリで、面白そうなことならなんでもやってみようという社風があった。この企画にはみんなノリノリで、トントン拍子に『ストII』全国イベントが具体化し、進行していった。
このようにして始まったのが、第1回ゲーメスト杯の「全日本ストIIチャンピオンシップ」である。このイベントは1991年の夏、池袋のサンシャインシティにおいて行われた。奇しくも2018年春に行われた「EVO Japan 2018」と同じ場所である。
このイベントでは、全国から応募したプレイヤーを、抽選によって選抜して参加者を決めている。後のゲーメスト杯は全国のゲームセンターで予選を行っているが、今回はまだその形にはなっていなかった。
筆者は当時ゲーメストの編集長という扱いだったため、会場では司会進行を担当することになった。それはいいのだが、なぜか柔道着を着てリュウのコスプレをすることに……。まだ世にコスプレという言葉が浸透していなかった時代に、こんな体験をするとは夢にも思わなかった次第である。
大会イベントはカプコンのスタッフも加わって、大いに盛り上がった。全国からの応募で選んだ形とはいえ、イベント参加者のレベルは高く、白熱した戦いが繰り広げられた。少なくとも1回戦を勝ち抜いた者たちは、みな地元のゲーセンを代表する猛者たちだったと思う。優勝したのは関西を主戦場とするガイル使いで、当時の対戦の、最高レベルの技量を備えていた。
この大会の模様は、ゲーメストで特集記事となり、全国にその結果が報告された。そしてこの大会を契機に、ゲーメストは『ストII』の対戦攻略記事に力を入れるようになる。それと同時に全国のゲームセンターでも対戦プレイを楽しむ人が少しずつ増え、対戦プレイで遊ぶ人を見るのも珍しくなくなっていった。
対戦台の普及が
対戦ブームを加速する
『ストII』から始まった対戦格闘ゲームのブームを加速したのが、ゲーセンにおける“対戦台”の普及である。ここでいう対戦台とは、ゲームセンターにある汎用筐体を背中合わせに2台設置し、ケーブルでつなげて対戦しやすくさせた台のことだ。プレイヤーは向かい合う形で座り、お互いに目の前の画面を見ながら対戦する。横並びに座ってプレイしたときのように相手に肘がぶつかることもなく、自分のペースでプレイすることできる。この対戦台が普及することで、ゲーセンの対戦熱は一気に加速した。対戦台は対戦専用とあらかじめうたわれているため、プレイヤーは知らない相手でも気軽に乱入できる。また、対戦相手が直接見えず、距離感があるため、対戦慣れしていない日本人には入りやすかった。
対戦台が普及してきたのは、1991年の暮れくらいだったと記憶している。その由来は諸説あり、判然としない。大手のメーカー主導で行われたわけではなく、基板を扱う業者のどこかが行ったのではないかと思われる。
『ストII』が発売されて約1年後、カプコンから新たに『ストリートファイターIIダッシュ』が発売される。この作品がゲーセンで稼動するころには、多くのゲーセンには対戦台が設置され、皆が対戦に夢中になる光景が当たり前となっていた。1人で遊ぶという、それまでのゲーセンでの当たり前の遊び方を、『ストII』はたった1年で変えてしまったのである。
▲『ストリートファイターIIダッシュ』(写真は『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より)
ガチ勢とライトゲーマー、永遠の課題
ゲームを遊ぶとき、いつの時代にも問題になるのが、コアゲーマー(いわゆるガチ勢)とライトゲーマーの関係である。ガチ勢は「ゲームは本気で遊んでこそ楽しい」と思っていて、他のプレイヤーにもそれを強制する傾向がある。いっぽうライトゲーマーは「ゲームは楽しむためにあるもの」で、楽しむのにマイナスとなる行為を嫌がる傾向がある。『ストII』の対戦ブームが始まったころにも、この両者の対立軸は存在していた。ガチ勢は、基本的には勝つために手段を選ばない。即死につながる連続技や「投げハメ」と呼ばれるハメ技はガチ勢のあいだでも忌避されたが、わざと手を抜くといったような遊び方はしなかった。
いっぽうライトゲーマーは、嫌な気分になる戦法を使われることに我慢がならない。みんなゲームを楽しく遊びたいはずなのに、なんで卑怯な戦法を使ってくるのか。そうまでして勝って楽しいのか、と思うのである。
これは対戦ゲームの永遠の課題であり、どちらかが正しいとはいえない、と筆者は思っている。しかし筆者の印象では、対戦ブームが始まったころは、ガチ勢のほうが主流を占めていたように思う。これはなぜなのだろうか。
それは『ストII』が、ゲームセンター発のタイトルだったということが大きいのではないかと思う。『ストII』以前のゲーセンの1人用ゲームは、100円1プレイという形で遊ばれていた。メーカーはより稼げるゲームを目指し、難度を上げてくる。長く遊んで楽しむには、うまくならなければならない。
つまり本気で取り組み、ゲームがうまくならないとゲーセンのゲームはすぐ終わってしまう。ゲーセンではゲームを楽しむために、ガチで攻略することが求められたのだ。この点は、ソフトの購入に数千円を先払いする家庭用ゲームと比べて、大きな違いがあったと思う。
「ガチでやらないとゲームが楽しめない」という“80年代ゲーセンの掟”は、ゲーセンに入り浸るプレイヤーの心に、しっかりと根付いていた。そのため、新たに対戦という遊び方が提唱されたときも、ガチ勢の考え方が優勢だったのではないかと思われる。
このように、ガチ勢が多く存在していたというのは、eスポーツの原点としてとても大事なことだと筆者は考える。
ゲーム大会を成り立たせ、その動画を楽しく見るためには、うまいプレイヤーへの理解と敬意が必要になる。ゲームをガチでやりこんだ経験がある人ほど、トッププレイヤーのすごさは理解できる。それが根底になって、eスポーツ系のゲームイベントを支えていくのではないかと思うのである。
▲『ストリートファイターIIダッシュ』(写真は『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より)
イベントの必要がないほど
ゲーセンでは対戦が盛り上がっていた
『ストII』が発売されて約1年。新宿や池袋といった繁華街のゲーセンでは、腕自慢のプレイヤーが終結し、つねにレベルの高い対戦が繰り広げられていた。筆者は関東に住んでいるが、これは関西でも同様だったと思う。ゲームセンター単位でのゲーム大会はそれほど行われていなかったが、対戦台では毎日勝ち抜きイベントが行われているようなものである。その盛り上がりは継続しており、衰える気配はまったくなかった。ゲーセンの対戦台で連勝できる人たちは注目され、多くのプレイヤーの憧れとなった。そして強豪プレイヤーを求め、対戦が盛んなゲーセンに遠征する人たちも増えていった。インターネットが存在しない時代は動画が見られないので、本当に自分が強いのか、井の中の蛙なのか判断がしにくい。実際にその場に行って対戦してみないと、なかなか自分のレベルがわからなかったのである。
このようなゲームセンターの状況は、ゲーム大会を主催するのに十分すぎる下地となっていた。以降ゲーメストは毎年のように格闘ゲームの全国大会を開催し、どの大会も盛況のうちに終了している。プレイヤー目線で見れば、この時代は現在よりeスポーツを根付かせるのに、ずっと適した環境だったと思う。
しかし残念なことに、さまざまな要因から現在のようなeスポーツの形には発展しなかった。その経緯については、この連載でおいおい語っていきたいと思う。
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ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル今回の記事の画面写真は、『ストリートファイター30th アニバーサリーコレクション インターナショナル』より使用。本作は1987年に登場した『ストリートファイター』や『ストリートファイターII』、『ストリートファイターZERO』、『ストリートファイターIII』などシリーズ12タイトル+海外版12タイトルを収録。一部タイトルはオンライン対戦にも対応しており、イラストや楽曲も堪能できる「ミュージアムモード」など盛りだくさんな内容で、シリーズ30周年に相応しい一作となっている。
対応ハード:PlayStation 4/Nintendo Switch/Xbox One/Steam
ジャンル:対戦格闘
発売日:発売中(2018年10月25日発売)
プレイ人数:1~2人(オンライン2~4人)
CEROレーティング:B
価格:
パッケージ版:PS4/Nintendo Switch 4,990円+税
ダウンロード版:PS4/Nintendo Switch/Xbox One/Steam 4,500円+税
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公式サイト:
http://www.capcom.co.jp/sf30ac/
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