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『Thumper』光と音が暴力的にうずまくゲームにコンティニューボタンが存在しない理由【インディーゲームレビュー 第9回】
サイケデリックなビジュアルとサウンドが眩暈にも似た快感をもたらす
スーパーマリオとの意外な関係
ゲームは光と音のシンセサイズだ。適切なゲームデザインとプログラミングで、時に暴力的なまでの体験をもたらす。スペースビートルとなってレールを疾走する『Thumper』もその一つだ。リズムに合わせてコントローラを操作する「リズムゲーム」がベースだが、その爽快感と疾走感、サイケデリックなビジュアルなどから「リズム・バイオレンスゲーム」を標榜している。両者の違いは鮮明だ。リズムゲームの多くはダンスや楽器演奏をメタファーとしている。画面上をアイコンが流れる様を、楽譜と音符に見立てて操作するのだ。しかし本作はレール上を疾走しながらボタン操作で障害物を避け、コーナーにあわせて左右の操作を行うといった具合に、ランゲームの文脈でデザインされている。そして、これらの操作がインタラクティブサウンドに還元されるのだ。
これを象徴するのが本作のライフシステムだ。スペースビートルの外見が体力ゲージを表し、1回ミスすると甲羅がはがれ、2回ミスするとゲームオーバーだ。開発者はメールインタビューを通して「『スーパーマリオブラザーズ』で、スーパーマリオが一回ミスするとマリオになり、再度ミスすると死んでしまうのと似ている」と回答した。このことからも、アクションゲームからの引用であることがわかる。
実際にプレイすると、神経を研ぎ澄ませながら画面に集中し、気がつけば時間を忘れて遊んでいる自分に気がつくだろう。美しくもグロテスクなビジュアルや、強烈なビート音がプレイヤーを暴力的なまでにゆさぶり、ゲームの中に引きずり込んでしまうのだ。パワーアップなどの要素が存在しない点も、ゲーム体験をストイックなものにすることに貢献している。
タイミングにあわせて右にカーブ。わずかな操作ミスが命取りだ
物足りなさが自然なコンティニューを誘う
もっとも本作の没入感には別の仕掛けも関係している。それが「2ミスでゲームオーバー」と、「強制コンティニュー」システムだ。多くのゲームでは、なかば無批判に「3ミスでゲームオーバー」システムを採用している。そのため本作の「2ミスでゲームオーバー」は、やや物足りなく感じられる。一方で本作には多くのゲームに見られる「コンティニュー(Y/N)」といったメニューがない。ゲームオーバー時にボタンを押すと、強制的にゲームが再開してしまうのだ。つい止め時を見失ってしまう理由がここにある。
余談だがビデオゲームの前身となった“エレメカ”では「一定時間に一定スコアを上げるとプレイ時間が加算される」「景品がもらえる」などの仕組みが主流だった。「3ミスでゲームオーバー」システムもまた、ビデオゲームで生まれた発明だったのだ。『Thumper』でも同様で、過去の常識を無批判に踏襲せず、自分たちなりの工夫を加えたことがユニークなゲーム体験につながっている。
ビートル(甲虫)がモチーフの自機デザインは、最初期に決まったアート要素の一つ
自作ゲームエンジンで究極の最適化を実施
本作はまた、プログラム担当のマーク・フルーリーとアート&オーディオ担当のブライアン・ギブソンの2人が、7年をかけて開発したタイトルでもある。本作の開発までマークはゲームのUIプログラマー、ブライアンはエフェクトデザイナーで、ゲーム音楽の経験はゼロ。開発中にマークは韓国に移住しており、その多くがリモートで行われた点もユニークだ。そのうえ、ゲームエンジンの自作まで行われている。こうした制約から、本作では複雑なライティングやシェーダー、ノーマルマップ、パーティクルシステムといった、多くのゲームで普通に見られる仕様は省かれている。その一方で鉛筆を極限まで尖らせるように、極限までの最適化が可能になった。しかもVRゲームにまで対応している(Play Station VR・Oculus VR・Steam VR)で販売済み。まさにインディーゲーム界の革命児であり、突然変異だと言えるのではないだろうか。
© Drool LLC 2013 - 2017
■関連リンク
「GDC2017」講演ビデオ
http://www.gdcvault.com/play/1024291/Seven-Years-in-Alpha-Thumper
『Thumper』
https://thumpergame.com/
Steam『Thumper』のページ
http://store.steampowered.com/app/356400/
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