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『There Is No Game: Wrong Dimension』「ここにゲームはない」とはどういう意味なのか?【インディーゲームレビュー 第114回】
ゲームはメタフィクションと相性が良い。この性質を十二分に活かしたゲームが『There Is No Game: Wrong Dimension』だ。作り手が自ら「ここにゲームはない」を標榜する本作は、ゲームの可能性を大いに広げようとしている。
魔物との戦いに敗れて死んでしまい、ラダトームの城に戻ってきた勇者(主人公)に国王はこう告げる。初代『ドラゴンクエスト』の有名なメッセージだ。
良く知られているとおり、このメッセージはダブルミーニングとなっている。一つはミスをした主人公(ゲーム中のキャラクター)への叱責。もう一つは画面の外にいるプレイヤーへの情報提供だ(この後、国王から「戦いで傷ついたら宿屋で回復しろ」とアドバイスが得られる)。このメッセージはリアルタイムで本作を遊んだプレイヤーにとって、衝撃的だった。ゲーム中のキャラクターが、画面の外にいるプレイヤーに対して直接、話しかけてきたように感じられたからだ。
本作が発売された1986年当時、RPGは多くの子ども達にとって「まったく新しい遊び」だった。ゲーム開始直後の名前入力画面で、自分の名前を入力した人も多かったとされる。こうしたプレイヤーが魔物と戦い、(ゲーム中で)傷つき倒れた後に、国王から前述のように告げられたら、どのように感じるだろうか。今となっては、もはや想像すら難しいかもしれない。しかし、確かに当時のプレイヤーは、ゲームと現実世界の境界が曖昧になる体験に驚愕したのだ。
この例に限らず、ゲームは本質的にメタフィクションの要素を備えている。本コラムでも繰り返し説明しているように、ゲームは「繰り返し(=死に戻り)」の構造を持つ珍しいエンターテインメントだ。そのため、自身が有するフィクション性を意図的に(しばしば自己言及的に)プレイヤーに気付かせる情報やメッセージと相性が良い。演出が露骨すぎると興ざめだが、ゲームならではの可能性が秘められていることは間違いないだろう。
本作『There Is No Game: Wrong Dimension』は、こうしたゲームのメタフィクション性を最大限に活用したタイトルだ。
ゲームはポイント&クリック方式のアドベンチャーで、プレイヤー(=ユーザー)は画面上をクリックし、パズルを解きながらストーリーを進めていく。それと並行して、ゲームの進行を止めさせようとする、「ゲーム」自身によるナレーションが再生される。ユーザーがナレーションを無視してゲームを進めていくと、バグプログラム「グリッチ」の陰謀により、別のゲーム世界に連れ去られてしまう。ユーザーは「ゲーム」と共にゲームを進めながら、脱出の手段を探していく……という筋立てだ。
ユーザーが「ゲーム」と共に挑戦することになるゲームは、「シャーロック・ホームズとワトソンが登場する古典的なポイント&クリックアドベンチャー」「『ゼルダの伝説』風のアクションRPG」「『ゼルダの伝説』風のアクションRPGだが、F2Pに改造された世界」などだ。後半ではゲームの元の開発者である「クリエイター」(作者のパスカル・キャミソット氏自身)や、ゲームの恋人プログラムである「ジジ(グローバル・ゲームプレイの意味)」も登場し、ストーリーが斜め上の方向に進んでいく。
ゲームの進め方も独特だ。大半のポイント&クリック方式では、パズルを解いたり、イベントを進めたりするうえで、鍵となる要素(イベントトリガー)が画面上に存在する。本作もこの点では同じなのだが、HUD(※1)をはじめ多くの場合、ゲーム外世界のオブジェクトに鍵が仕込まれているのだ。ゲーム冒頭で「There Is No Game」のタイトルロゴをクリックし、『ブロック崩し』の要領で破壊して進むパズルは好例で、クリアするには、ちょっとした発想の転換が必要になる。
このように本作はゲームの古典的な文脈を踏まえた上で、さまざまなパロディや仕掛けを組み込み、あの手この手でゲームを超越したメッセージを提示してくる点が特徴だ(『三目並べ』や「ゲーム&ウォッチ」をモチーフにしたパズルもある)。また、ヒントシステムが内蔵されており、時にはパズルの答えが直接、提示されることもある。これもゲームのパズル性を自ら解体し、再構築しようとする試みだろう(もっとも筆者はそれでも詰まってしまい、実況動画を参照した箇所があったが……)。
ゲームの開発経緯もユニークだ。「『ゲームなんてものはない』とプレイヤーに思って欲しいゲームの物語をデザインしたい」というコンセプトのもと、2015年に開催されたConstruct Jamで開発され、みごと優勝。これを契機に本開発が始まった。途中、Kickstarterによる資金調達の失敗などがあったものの(この経験もゲーム中でネタにされている)、2020年にリリースにこぎつけた。以後、さまざまなアップデートを経て、2021年12月に日本語対応がなされた(※2)。
余談だが本作のローカライズは非常に秀逸で、中でもゲーム後半でジジが歌を歌う(この歌も映画『007』シリーズにおける主題歌のパロディだ)シーンの字幕は必見だ。原文の意味に即しつつ、メロディにのって口ずさめるように工夫されている(しかも歌詞の中にパズルのヒントまで隠されている)。実は筆者も英語版を途中まで遊び、意味がわからずに、ほったらかしていた経緯がある。あらためて日本語版を遊び直し、なるほどこういう内容だったのかと膝を打った次第だ。
最後に本作のパズルギミックについて補足しておこう。ゲーム研究家のAlexander R.Gallowayは著書『Gaming: Essays On Algorithmic Culture』で、ゲームを「ダイジェティックと非ダイジェティック」「プレイヤーと機械」の二軸で分析する方法を提唱している。
ダイジェティックは映画研究の用語で、「物語世界」を意味する。一例をあげれば、ダイジェティック・サウンドは映画内で俳優が喋るセリフなどを指し、非ダイジェティック・サウンドはナレーションなどを指している。
そのうえでGallowayによれば、「ダイジェティック=プレイヤー」はゲーム内世界でプレイヤーが主人公などを直接操作する行為。「非ダイジェティック=プレイヤー」は、メニューやオプション画面など、ゲーム外世界におけるプレイヤーの操作行為。
「ダイジェティック=機械」は敵キャラクターなど、ゲーム内世界でハードウェアやソフトウェアが操作する行為。「非ダイジェティック=機械」はバグによるフリーズなど、ハードウェアやソフトウェアがゲーム外で影響を与える行為を指す。
例としてアクションRPGで強力な敵に立ち向かうため、主人公の装備を強化する所作を見てみよう。プレイヤーはアイテム画面を開いてアイテムを主人公に装備させる。この時、アイテム画面を開いている間は時間の進行が停止する。アイテム画面はゲーム内世界とは別の存在だからだ。ここから、アイテム装備は「非ダイジェティック=プレイヤー」による操作であることがわかる。その後、アイテム画面を閉じて主人公を操作し、敵を攻撃する。再びゲーム内世界の出来事に戻り、「ダイジェティック=プレイヤー」による操作となる。
このように多くのゲームでは、ゲーム内世界の「ダイジェティック=プレイヤー」が主、ゲーム外世界の「非ダイジェティック=プレイヤー」が従の関係で進んでいく。
これに対して本作のパズルは、ゲーム外世界の「非ダイジェティック=プレイヤー」によるパズルで構成されている。前述したとおり、「ダイジェティック=プレイヤー」はゲーム外世界のHUD類をクリックしたり、オブジェクトをぶつけたりすることはない。これらは通常、操作できないものだからだ。このように本作では、ゲームでおなじみのダイジェティックと非ダイジェティックの関係性が逆転している。
そのうえで本作では「非ダイジェティック=機械」による操作……すなわち「ゲーム」自身によるナレーション……がガイド役となり、ストーリーが進んでいく。実際、ゲームの中盤以降からは、「ゲーム」が実質的な主人公となり、プレイヤーは「ゲーム」の支援者としての立場に追いやられていく。この関係性の逆転が、ゲームの古典的な文脈の上で展開されていく点が、本作の最大の特徴であり、メタフィクション性をより強く意識させる効果に繋がっているのだ。
もっとも、本作における「非ダイジェティック=機械」の操作は限定的だ。「登録ずみメールアドレス宛にパスワードが配信され、入力しなければ先に進めない」「ゲームを終了している間にサーバ上で勝手にストーリーが進行する」などのイベントは避けられている。こうした点が加われば、さらに本作のメタフィクション性が高まっただろう。繰り返しになるが、ゲームはメタフィクション性を内包したエンターテインメントであり、その可能性はまだまだ眠っている。制作者の次回作に期待したい。
※1:Head Up Displayの略。ゲームの情報をプレイヤーに説明するために、画面上に表示される文字やアイコンなどの総称で、スコア、ヘルスバー、ミニマップなどが好例。
※2:ゲームジャム版は2020年3月に『There Is No Game: Jam Edition 2015』として無償配信された。
metacriticスコア:89
主な受賞歴:IGF2021 Excellence in Design ノミネート、PEGASES2021 BEST GAME DESIGN、POCKET GAMER AWARDS 2021 BEST GAME NARRATIVEなど
Steam『There Is No Game: Wrong Dimension』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1240210/There_Is_No_Game_Wrong_Dimension/
Steam『There Is No Game: Jam Edition 2015』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1241700/There_Is_No_Game_Jam_Edition_2015/
ドラクエのメッセージにみるダブルミーニング
「おお 〇〇〇〇! しんでしまうとは なにごとだ!」魔物との戦いに敗れて死んでしまい、ラダトームの城に戻ってきた勇者(主人公)に国王はこう告げる。初代『ドラゴンクエスト』の有名なメッセージだ。
良く知られているとおり、このメッセージはダブルミーニングとなっている。一つはミスをした主人公(ゲーム中のキャラクター)への叱責。もう一つは画面の外にいるプレイヤーへの情報提供だ(この後、国王から「戦いで傷ついたら宿屋で回復しろ」とアドバイスが得られる)。このメッセージはリアルタイムで本作を遊んだプレイヤーにとって、衝撃的だった。ゲーム中のキャラクターが、画面の外にいるプレイヤーに対して直接、話しかけてきたように感じられたからだ。
本作が発売された1986年当時、RPGは多くの子ども達にとって「まったく新しい遊び」だった。ゲーム開始直後の名前入力画面で、自分の名前を入力した人も多かったとされる。こうしたプレイヤーが魔物と戦い、(ゲーム中で)傷つき倒れた後に、国王から前述のように告げられたら、どのように感じるだろうか。今となっては、もはや想像すら難しいかもしれない。しかし、確かに当時のプレイヤーは、ゲームと現実世界の境界が曖昧になる体験に驚愕したのだ。
この例に限らず、ゲームは本質的にメタフィクションの要素を備えている。本コラムでも繰り返し説明しているように、ゲームは「繰り返し(=死に戻り)」の構造を持つ珍しいエンターテインメントだ。そのため、自身が有するフィクション性を意図的に(しばしば自己言及的に)プレイヤーに気付かせる情報やメッセージと相性が良い。演出が露骨すぎると興ざめだが、ゲームならではの可能性が秘められていることは間違いないだろう。
有名ゲームのパロディや仕掛けが満載
本作『There Is No Game: Wrong Dimension』は、こうしたゲームのメタフィクション性を最大限に活用したタイトルだ。
ゲームはポイント&クリック方式のアドベンチャーで、プレイヤー(=ユーザー)は画面上をクリックし、パズルを解きながらストーリーを進めていく。それと並行して、ゲームの進行を止めさせようとする、「ゲーム」自身によるナレーションが再生される。ユーザーがナレーションを無視してゲームを進めていくと、バグプログラム「グリッチ」の陰謀により、別のゲーム世界に連れ去られてしまう。ユーザーは「ゲーム」と共にゲームを進めながら、脱出の手段を探していく……という筋立てだ。
ユーザーが「ゲーム」と共に挑戦することになるゲームは、「シャーロック・ホームズとワトソンが登場する古典的なポイント&クリックアドベンチャー」「『ゼルダの伝説』風のアクションRPG」「『ゼルダの伝説』風のアクションRPGだが、F2Pに改造された世界」などだ。後半ではゲームの元の開発者である「クリエイター」(作者のパスカル・キャミソット氏自身)や、ゲームの恋人プログラムである「ジジ(グローバル・ゲームプレイの意味)」も登場し、ストーリーが斜め上の方向に進んでいく。
ゲームの進め方も独特だ。大半のポイント&クリック方式では、パズルを解いたり、イベントを進めたりするうえで、鍵となる要素(イベントトリガー)が画面上に存在する。本作もこの点では同じなのだが、HUD(※1)をはじめ多くの場合、ゲーム外世界のオブジェクトに鍵が仕込まれているのだ。ゲーム冒頭で「There Is No Game」のタイトルロゴをクリックし、『ブロック崩し』の要領で破壊して進むパズルは好例で、クリアするには、ちょっとした発想の転換が必要になる。
このように本作はゲームの古典的な文脈を踏まえた上で、さまざまなパロディや仕掛けを組み込み、あの手この手でゲームを超越したメッセージを提示してくる点が特徴だ(『三目並べ』や「ゲーム&ウォッチ」をモチーフにしたパズルもある)。また、ヒントシステムが内蔵されており、時にはパズルの答えが直接、提示されることもある。これもゲームのパズル性を自ら解体し、再構築しようとする試みだろう(もっとも筆者はそれでも詰まってしまい、実況動画を参照した箇所があったが……)。
ゲームの開発経緯もユニークだ。「『ゲームなんてものはない』とプレイヤーに思って欲しいゲームの物語をデザインしたい」というコンセプトのもと、2015年に開催されたConstruct Jamで開発され、みごと優勝。これを契機に本開発が始まった。途中、Kickstarterによる資金調達の失敗などがあったものの(この経験もゲーム中でネタにされている)、2020年にリリースにこぎつけた。以後、さまざまなアップデートを経て、2021年12月に日本語対応がなされた(※2)。
余談だが本作のローカライズは非常に秀逸で、中でもゲーム後半でジジが歌を歌う(この歌も映画『007』シリーズにおける主題歌のパロディだ)シーンの字幕は必見だ。原文の意味に即しつつ、メロディにのって口ずさめるように工夫されている(しかも歌詞の中にパズルのヒントまで隠されている)。実は筆者も英語版を途中まで遊び、意味がわからずに、ほったらかしていた経緯がある。あらためて日本語版を遊び直し、なるほどこういう内容だったのかと膝を打った次第だ。
非ダイジェティック=プレイヤーの構造を利用したパズル群
最後に本作のパズルギミックについて補足しておこう。ゲーム研究家のAlexander R.Gallowayは著書『Gaming: Essays On Algorithmic Culture』で、ゲームを「ダイジェティックと非ダイジェティック」「プレイヤーと機械」の二軸で分析する方法を提唱している。
ダイジェティックは映画研究の用語で、「物語世界」を意味する。一例をあげれば、ダイジェティック・サウンドは映画内で俳優が喋るセリフなどを指し、非ダイジェティック・サウンドはナレーションなどを指している。
そのうえでGallowayによれば、「ダイジェティック=プレイヤー」はゲーム内世界でプレイヤーが主人公などを直接操作する行為。「非ダイジェティック=プレイヤー」は、メニューやオプション画面など、ゲーム外世界におけるプレイヤーの操作行為。
「ダイジェティック=機械」は敵キャラクターなど、ゲーム内世界でハードウェアやソフトウェアが操作する行為。「非ダイジェティック=機械」はバグによるフリーズなど、ハードウェアやソフトウェアがゲーム外で影響を与える行為を指す。
例としてアクションRPGで強力な敵に立ち向かうため、主人公の装備を強化する所作を見てみよう。プレイヤーはアイテム画面を開いてアイテムを主人公に装備させる。この時、アイテム画面を開いている間は時間の進行が停止する。アイテム画面はゲーム内世界とは別の存在だからだ。ここから、アイテム装備は「非ダイジェティック=プレイヤー」による操作であることがわかる。その後、アイテム画面を閉じて主人公を操作し、敵を攻撃する。再びゲーム内世界の出来事に戻り、「ダイジェティック=プレイヤー」による操作となる。
このように多くのゲームでは、ゲーム内世界の「ダイジェティック=プレイヤー」が主、ゲーム外世界の「非ダイジェティック=プレイヤー」が従の関係で進んでいく。
これに対して本作のパズルは、ゲーム外世界の「非ダイジェティック=プレイヤー」によるパズルで構成されている。前述したとおり、「ダイジェティック=プレイヤー」はゲーム外世界のHUD類をクリックしたり、オブジェクトをぶつけたりすることはない。これらは通常、操作できないものだからだ。このように本作では、ゲームでおなじみのダイジェティックと非ダイジェティックの関係性が逆転している。
そのうえで本作では「非ダイジェティック=機械」による操作……すなわち「ゲーム」自身によるナレーション……がガイド役となり、ストーリーが進んでいく。実際、ゲームの中盤以降からは、「ゲーム」が実質的な主人公となり、プレイヤーは「ゲーム」の支援者としての立場に追いやられていく。この関係性の逆転が、ゲームの古典的な文脈の上で展開されていく点が、本作の最大の特徴であり、メタフィクション性をより強く意識させる効果に繋がっているのだ。
もっとも、本作における「非ダイジェティック=機械」の操作は限定的だ。「登録ずみメールアドレス宛にパスワードが配信され、入力しなければ先に進めない」「ゲームを終了している間にサーバ上で勝手にストーリーが進行する」などのイベントは避けられている。こうした点が加われば、さらに本作のメタフィクション性が高まっただろう。繰り返しになるが、ゲームはメタフィクション性を内包したエンターテインメントであり、その可能性はまだまだ眠っている。制作者の次回作に期待したい。
※1:Head Up Displayの略。ゲームの情報をプレイヤーに説明するために、画面上に表示される文字やアイコンなどの総称で、スコア、ヘルスバー、ミニマップなどが好例。
※2:ゲームジャム版は2020年3月に『There Is No Game: Jam Edition 2015』として無償配信された。
metacriticスコア:89
主な受賞歴:IGF2021 Excellence in Design ノミネート、PEGASES2021 BEST GAME DESIGN、POCKET GAMER AWARDS 2021 BEST GAME NARRATIVEなど
Steam『There Is No Game: Wrong Dimension』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1240210/There_Is_No_Game_Wrong_Dimension/
Steam『There Is No Game: Jam Edition 2015』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1241700/There_Is_No_Game_Jam_Edition_2015/
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