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『OPUS 星歌の響き』インディーゲームを育てる「メタゲーム」としてのプレイヤー【インディーゲームレビュー 第113回】
近年すっかり一般的になったクリエイターとファンのコミュニケーション。そこにはSNSなどに留まらない、さまざまな交流が存在する。ゲームクリアのご褒美として、ボーナスコンテンツを盛り込んだ本作もまた、新しい取り組みを行っている。
『OPUS 星歌の響き』をクリア後、何の気なしに再プレイをして、驚かされた。メインメニューに「舞台裏」という項目が追加されていたからだ。そこには代表のブライアン・リー氏によるボイスメッセージ11本が収録されており、ゲームの解説やスタジオの近況、プレイヤーに対する謝辞などが「日本語と英語と中国語」で述べられていた。筆者は『OPUS』シリーズがリリースされる前年の2015年に台湾でリー氏をインタビューした経験があり、懐かしく思い出された。
アメリカ留学経験があるリー氏にとって英語は問題ないだろう。しかし台湾人であるリー氏にとって、日本語でのボイスメッセージは、容易ではなかったと推察される(少なくとも2015年のインタビュー時は、日本語は不得手だった)。にもかかわらず、ゲーム中でリー氏の日本語の発音は完璧だった。今回で3作目を数える『OPUS』シリーズは日本語ローカライズの品質でも知られており、月並みなファンサービスを越えて、日本のゲーマーと関係性を築いていこうという意思が感じられた。
本作に限らず、ゲーム開発者がゲームをメディアとしてとらえ、その中でプレイヤーに直接メッセージを発信する行為が、徐々に増加中だ。本連載でも過去に取り上げた『Forager』は好例だろう。従来、こうした制作者と消費者を繋ぐ役割はゲームメディアが担ってきた。近年ではSNSがその役割を代替している。そこに新たにゲーム自身が加わってきた。しかも本作では、クリア後の追加コンテンツとしてだ。ゲームをクリアするような濃いファンにとって、嬉しいサプライズだろう。
ライトノベルで書評家による「解説」ではなく、作者が執筆する「あとがき」が求められるように、ファンはクリエイターの価値観や趣味嗜好を含めてコンテンツを消費している。言い換えればクリエイター自身も商品になっているのだ。こうした行為は現代アート界では当たり前で、インディーゲームでも本作のように作家性の強いジャンルでは、一般的になっていくと思われる。本作は内容もさることながら、そうしたファンとのコミュニケーションを新しいスタイルで進めている点で評価できる。
もっとも、本作は「舞台裏」コンテンツがなければ、今ひとつ難解な内容で終わった印象もぬぐえない。風水と龍脈をベースにしたSF的な世界観が特殊なうえ、固有名詞が難解だからだ(中には「瀛海(えいかい)」「燭龍(しょくりゅう)」など、読み方がわからない単語もあった)。しかも本作は、ゲームを進めながら徐々に世界観を提示していくスタイルをとっている。自己中心的で感情移入しにくいキャラクターも多く、ゲームの序盤ではストレスに感じられる点もあった。
ただし、それぞれのキャラクターの過去や行動原理、そしてゲームの基本的な進め方がわかってくると、がぜん面白くなっていく。『機動戦士ガンダム』に代表される、1980年代のリアルロボットアニメにも似たスタイルだ。『FTL: Faster Than Light』にも似た宇宙探索に、ビジュアルノベル的なストーリー要素、キャラクターの魅力、ユニークな世界観など、さまざまな要素が混在しており、ボーイミーツガールの青春ものが好きなプレイヤーにはおすすめだろう。
本作の主要キャラクターは「没落貴族の青年リバク」、「恒星間レーダーの能力を持つ巫女のエイダ」、「エイダを姉と慕うエンジニアの少女ラムダ」の3名で、ゲーム全体が年老いたリバクの回想で進んでいく。これが優れた伏線になっていると共に、ゲームならではの「死に戻り」の説明にもなっており、感心させられた。たとえゲームオーバーになっても、「ここで死んでしまったら、今こうして生きているわけがない……もう一度、思い出してみよう(=再挑戦してみよう)」というわけだ。
ゲーム中にプレイヤーが行うことは、宇宙船「紅楼」を操って太陽系「山塊」を移動し、膨大なエネルギーが眠る小惑星「龍脈」を探索していくことだ。「龍脈」を探索するとアイテムが入手でき、換金すると「紅楼」が強化できる。これを繰り返しながらストーリーを進めていくというわけだ。また、星間上での龍脈探知にエイダ、龍脈上での現地探索をリバクが担当し、それぞれサウンドを用いた異なるギミックが組み込まれている。サウンドトラックも秀逸で、癒されること請け合いだ。
このように本作ではゲームシステムとストーリーの融合に対する配慮が秀逸で、『OPUS 地球計画』『OPUS 魂の架け橋』に続く、本シリーズの特徴にもなっている。ストーリー上のつながりは乏しいが、世界観がゆるやかにつながっており、「東洋的なフレーバーを持つSF的な世界観」「少年と少女のバディもの」「主人公がゲームを通して内面と向き合う」などの共通項がある。本連載でも過去にレビュー済みなので、参考にして欲しい。
『OPUS 地球計画』真のゲーム体験を提供するのは誰か【インディーゲームレビュー 第3回】
『OPUS 魂の架け橋』コンテキストが生み出す彼岸の物語【インディーゲームレビュー 第42回】
その上で本作ではグラフィックに3D CGが多用され、表現力が格段に向上した。その違いは過去作のスクリーンショットを見れば自明だろう。スタジオも4名から二十数名にまで成長したという。言うまでもなく、ファンあってのことだ。インディーゲームの支援には、ゲームを購入するだけでなく、プレイ動画を配信する、ブログやイラストを書く、SNSで投稿するなど、さまざまなやり方がある。ここではゲームの支援を通してシリーズを育てるというメタゲーム的な関係性がみられるのだ。
『OPUS 地球計画』
『OPUS 魂の架け橋』
『OPUS 星歌の響き』
もっとも過去2作では雰囲気ゲームの要素が強かったのに対して、本作ではストーリー面が強化されている。その結果、ゲームの終盤でプレイヤーがゲーム世界から締め出されているようにも見える。
過去の連載で取り上げた例では『INMOST』に近いスタイルだ。そのうえで『INMOST』と同じく、「ハッピーエンドの呪い」からの脱却を試みている。この点については賛否両論があるだろう。個人的にも作り手側の意図は理解できたが、少々強引なようにも感じられた。
前述の通り本作には3名(+1名)の主要キャラクターが登場するが、中心となるのがリバクとエイダだ。リバクの行動指針は新しい龍脈を発見して、一族を復興させること。これに対してエイダは幻の龍脈「黒龍」を発見して、行方不明になった師匠に再会することを旅の目的にしている。ストーリーは7章構成で、ハリウッドの脚本術として知られる三幕構成をベースに進む。両者の望みはゲームを通して達成されるが、それでいて単純なハッピーエンドに終わらない点に本作の妙がある。
おそらく制作者は、ハリウッド的な「愛は宇宙を救う」結末ではリアリティに乏しいと考えたのではないだろうか。人間には時として、自分ではどうしようもない、大きな問題に翻弄されることがある。それでも、諦めずに進んでいれば、最後には道が開ける……。本作にはこうした、大河ドラマ的なメッセージが感じられる。そこに台湾そして大陸の文化が感じられる、といえばうがち過ぎかもしれないが、終盤に至る過程で、そうしたコンテキストが感じられた。
同じように日本では苦難に耐え忍ぶ物語に一定の需要がある。次から次に試練が襲いかかり、その過程で主人公が「自分だけの生き方や、小さな幸せ」をつかみ取る、というプロットだ。ポイントは主人公の心理や感情描写を重視し、事態の解決や課題の達成を軽視する点。昭和中期までの邦画に多く、「個人の努力で問題が解決し、幸せが訪れる」ことに現実感を得にくい時代が背景にあったと考えられる(※1)。同じように江戸時代に心中物が流行ったのも、身分制度と関係がある。
ただし、本作ではリバク、エイダ、ラムダ、年老いたリバクと、状況に応じてそれぞれの視点が入れ替わりながらゲームが進む。つまり物語的には三人称視点なのだが、キャラクターを操作しながら進める関係上、一人称視点の性格が紛れ込む。しかもゲームは小説と違って「地の文」がない。そのためゲームを遊びながら、しばしば自分が誰なのか、混乱におそわれた。このことは、特に強制イベントで問題の火種になる。「ゲームはプレイヤーの選択で進む」原則が阻害されるからだ。
この問題を防ぐには、主人公=プレイヤーキャラクターの視点を固定し、NPCを実質的な主役にする、などの手法が考えられる。近年の『ドラゴンクエスト』シリーズでは主人公にかわって、NPCがストーリーを牽引しているのは好例だ。一方で重要な選択については、主人公視点でプレイヤーに選ばせるのは、言うまでもない。本作ではこの視点がブレている上に、重要な決定にプレイヤーが関与できない点で、物足りなさが感じられた。
もっとも本作における評価は高く、この点を問題視するレビューは少ない。ゲームを実際にプレイするのではなく、実況プレイなどで「観て楽しむ」ユーザーからすれば、「ゲームはプレイヤーによる選択の連続で進む」という原則からして、ナンセンスだろう。ゲームのナラティブ(物語体験)演出については、いまだ確立した方法はなく、世界中で試行錯誤が続いている。今後も続くであろう、『OPUS』シリーズの挑戦に期待したい。
※1 沼田やすひろ『おもしろいストーリーをつくろう:画創り・インパクト・プロットで考えるストーリー構造論(仮説)マンガ・アニメ・ゲームのストーリー構築法 第三版:映像とストーリーの構造論』(沼books)参考
metacriticスコア:88
主な受賞歴:KOTAKU THE BEST VIDEO GAMES OF 2021、RPGFan EDITOR'S CHOICE、INDIE LIVE EXPO WINTER 2021 SHOWCASE 他
Steam『OPUS 星歌の響き』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1504500/OPUS/
SIGONO公式サイト
https://www.sigono.com/
『OPUS 星歌の響き』公式Twitterアカウント
https://twitter.com/sigonogames
クリア後に表示される制作者からのメッセージ
『OPUS 星歌の響き』をクリア後、何の気なしに再プレイをして、驚かされた。メインメニューに「舞台裏」という項目が追加されていたからだ。そこには代表のブライアン・リー氏によるボイスメッセージ11本が収録されており、ゲームの解説やスタジオの近況、プレイヤーに対する謝辞などが「日本語と英語と中国語」で述べられていた。筆者は『OPUS』シリーズがリリースされる前年の2015年に台湾でリー氏をインタビューした経験があり、懐かしく思い出された。
アメリカ留学経験があるリー氏にとって英語は問題ないだろう。しかし台湾人であるリー氏にとって、日本語でのボイスメッセージは、容易ではなかったと推察される(少なくとも2015年のインタビュー時は、日本語は不得手だった)。にもかかわらず、ゲーム中でリー氏の日本語の発音は完璧だった。今回で3作目を数える『OPUS』シリーズは日本語ローカライズの品質でも知られており、月並みなファンサービスを越えて、日本のゲーマーと関係性を築いていこうという意思が感じられた。
本作に限らず、ゲーム開発者がゲームをメディアとしてとらえ、その中でプレイヤーに直接メッセージを発信する行為が、徐々に増加中だ。本連載でも過去に取り上げた『Forager』は好例だろう。従来、こうした制作者と消費者を繋ぐ役割はゲームメディアが担ってきた。近年ではSNSがその役割を代替している。そこに新たにゲーム自身が加わってきた。しかも本作では、クリア後の追加コンテンツとしてだ。ゲームをクリアするような濃いファンにとって、嬉しいサプライズだろう。
ライトノベルで書評家による「解説」ではなく、作者が執筆する「あとがき」が求められるように、ファンはクリエイターの価値観や趣味嗜好を含めてコンテンツを消費している。言い換えればクリエイター自身も商品になっているのだ。こうした行為は現代アート界では当たり前で、インディーゲームでも本作のように作家性の強いジャンルでは、一般的になっていくと思われる。本作は内容もさることながら、そうしたファンとのコミュニケーションを新しいスタイルで進めている点で評価できる。
風水と「龍脈」をベースにした東洋的な世界観
もっとも、本作は「舞台裏」コンテンツがなければ、今ひとつ難解な内容で終わった印象もぬぐえない。風水と龍脈をベースにしたSF的な世界観が特殊なうえ、固有名詞が難解だからだ(中には「瀛海(えいかい)」「燭龍(しょくりゅう)」など、読み方がわからない単語もあった)。しかも本作は、ゲームを進めながら徐々に世界観を提示していくスタイルをとっている。自己中心的で感情移入しにくいキャラクターも多く、ゲームの序盤ではストレスに感じられる点もあった。
ただし、それぞれのキャラクターの過去や行動原理、そしてゲームの基本的な進め方がわかってくると、がぜん面白くなっていく。『機動戦士ガンダム』に代表される、1980年代のリアルロボットアニメにも似たスタイルだ。『FTL: Faster Than Light』にも似た宇宙探索に、ビジュアルノベル的なストーリー要素、キャラクターの魅力、ユニークな世界観など、さまざまな要素が混在しており、ボーイミーツガールの青春ものが好きなプレイヤーにはおすすめだろう。
本作の主要キャラクターは「没落貴族の青年リバク」、「恒星間レーダーの能力を持つ巫女のエイダ」、「エイダを姉と慕うエンジニアの少女ラムダ」の3名で、ゲーム全体が年老いたリバクの回想で進んでいく。これが優れた伏線になっていると共に、ゲームならではの「死に戻り」の説明にもなっており、感心させられた。たとえゲームオーバーになっても、「ここで死んでしまったら、今こうして生きているわけがない……もう一度、思い出してみよう(=再挑戦してみよう)」というわけだ。
ゲーム中にプレイヤーが行うことは、宇宙船「紅楼」を操って太陽系「山塊」を移動し、膨大なエネルギーが眠る小惑星「龍脈」を探索していくことだ。「龍脈」を探索するとアイテムが入手でき、換金すると「紅楼」が強化できる。これを繰り返しながらストーリーを進めていくというわけだ。また、星間上での龍脈探知にエイダ、龍脈上での現地探索をリバクが担当し、それぞれサウンドを用いた異なるギミックが組み込まれている。サウンドトラックも秀逸で、癒されること請け合いだ。
このように本作ではゲームシステムとストーリーの融合に対する配慮が秀逸で、『OPUS 地球計画』『OPUS 魂の架け橋』に続く、本シリーズの特徴にもなっている。ストーリー上のつながりは乏しいが、世界観がゆるやかにつながっており、「東洋的なフレーバーを持つSF的な世界観」「少年と少女のバディもの」「主人公がゲームを通して内面と向き合う」などの共通項がある。本連載でも過去にレビュー済みなので、参考にして欲しい。
『OPUS 地球計画』真のゲーム体験を提供するのは誰か【インディーゲームレビュー 第3回】
『OPUS 魂の架け橋』コンテキストが生み出す彼岸の物語【インディーゲームレビュー 第42回】
その上で本作ではグラフィックに3D CGが多用され、表現力が格段に向上した。その違いは過去作のスクリーンショットを見れば自明だろう。スタジオも4名から二十数名にまで成長したという。言うまでもなく、ファンあってのことだ。インディーゲームの支援には、ゲームを購入するだけでなく、プレイ動画を配信する、ブログやイラストを書く、SNSで投稿するなど、さまざまなやり方がある。ここではゲームの支援を通してシリーズを育てるというメタゲーム的な関係性がみられるのだ。
『OPUS 地球計画』
『OPUS 魂の架け橋』
『OPUS 星歌の響き』
そしてゲームのナラティブデザインに関する挑戦は続く
もっとも過去2作では雰囲気ゲームの要素が強かったのに対して、本作ではストーリー面が強化されている。その結果、ゲームの終盤でプレイヤーがゲーム世界から締め出されているようにも見える。
過去の連載で取り上げた例では『INMOST』に近いスタイルだ。そのうえで『INMOST』と同じく、「ハッピーエンドの呪い」からの脱却を試みている。この点については賛否両論があるだろう。個人的にも作り手側の意図は理解できたが、少々強引なようにも感じられた。
前述の通り本作には3名(+1名)の主要キャラクターが登場するが、中心となるのがリバクとエイダだ。リバクの行動指針は新しい龍脈を発見して、一族を復興させること。これに対してエイダは幻の龍脈「黒龍」を発見して、行方不明になった師匠に再会することを旅の目的にしている。ストーリーは7章構成で、ハリウッドの脚本術として知られる三幕構成をベースに進む。両者の望みはゲームを通して達成されるが、それでいて単純なハッピーエンドに終わらない点に本作の妙がある。
おそらく制作者は、ハリウッド的な「愛は宇宙を救う」結末ではリアリティに乏しいと考えたのではないだろうか。人間には時として、自分ではどうしようもない、大きな問題に翻弄されることがある。それでも、諦めずに進んでいれば、最後には道が開ける……。本作にはこうした、大河ドラマ的なメッセージが感じられる。そこに台湾そして大陸の文化が感じられる、といえばうがち過ぎかもしれないが、終盤に至る過程で、そうしたコンテキストが感じられた。
同じように日本では苦難に耐え忍ぶ物語に一定の需要がある。次から次に試練が襲いかかり、その過程で主人公が「自分だけの生き方や、小さな幸せ」をつかみ取る、というプロットだ。ポイントは主人公の心理や感情描写を重視し、事態の解決や課題の達成を軽視する点。昭和中期までの邦画に多く、「個人の努力で問題が解決し、幸せが訪れる」ことに現実感を得にくい時代が背景にあったと考えられる(※1)。同じように江戸時代に心中物が流行ったのも、身分制度と関係がある。
ただし、本作ではリバク、エイダ、ラムダ、年老いたリバクと、状況に応じてそれぞれの視点が入れ替わりながらゲームが進む。つまり物語的には三人称視点なのだが、キャラクターを操作しながら進める関係上、一人称視点の性格が紛れ込む。しかもゲームは小説と違って「地の文」がない。そのためゲームを遊びながら、しばしば自分が誰なのか、混乱におそわれた。このことは、特に強制イベントで問題の火種になる。「ゲームはプレイヤーの選択で進む」原則が阻害されるからだ。
この問題を防ぐには、主人公=プレイヤーキャラクターの視点を固定し、NPCを実質的な主役にする、などの手法が考えられる。近年の『ドラゴンクエスト』シリーズでは主人公にかわって、NPCがストーリーを牽引しているのは好例だ。一方で重要な選択については、主人公視点でプレイヤーに選ばせるのは、言うまでもない。本作ではこの視点がブレている上に、重要な決定にプレイヤーが関与できない点で、物足りなさが感じられた。
もっとも本作における評価は高く、この点を問題視するレビューは少ない。ゲームを実際にプレイするのではなく、実況プレイなどで「観て楽しむ」ユーザーからすれば、「ゲームはプレイヤーによる選択の連続で進む」という原則からして、ナンセンスだろう。ゲームのナラティブ(物語体験)演出については、いまだ確立した方法はなく、世界中で試行錯誤が続いている。今後も続くであろう、『OPUS』シリーズの挑戦に期待したい。
※1 沼田やすひろ『おもしろいストーリーをつくろう:画創り・インパクト・プロットで考えるストーリー構造論(仮説)マンガ・アニメ・ゲームのストーリー構築法 第三版:映像とストーリーの構造論』(沼books)参考
metacriticスコア:88
主な受賞歴:KOTAKU THE BEST VIDEO GAMES OF 2021、RPGFan EDITOR'S CHOICE、INDIE LIVE EXPO WINTER 2021 SHOWCASE 他
Steam『OPUS 星歌の響き』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1504500/OPUS/
SIGONO公式サイト
https://www.sigono.com/
『OPUS 星歌の響き』公式Twitterアカウント
https://twitter.com/sigonogames
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