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『環願 Devotion』問題に見る現実とゲームの接続……ゲームはなぜ社会問題化するのか【インディーゲームレビュー 第48回】
台湾のインディーゲーム『還願 Devotion』問題がゲーム業界を震撼させている。ゲーム内で不適切な表現があったとして配信が停止し、現在遊べなくなっているだけでなく、中国市場におけるSteamの存在まで巻き込んで、政治問題化しているのだ。その背景には現実とゲームの抜きがたい関係性がある。
https://twitter.com/lioking77/status/1099920344914128896/photo/1
本作は1980年代の台湾における集合住宅の一室を舞台にした3Dホラーアドベンチャーだ。脚本家の夫、元映画スターの妻、娘の3人家族を巡る家庭生活が崩壊した理由は何か……? プレイヤーは夫の過去をさかのぼり、住居を探索しながら、哀しみの記憶を追体験していく。過去にレビューした『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』と同じ構造を持つ、過去探索型のナラティブゲームだ。
本作で問題とされたのは、とある一室に張られた道教の符籙(符呪)だ。その中の一枚に「習近平くまのプーさん(習近平小熊維尼)」を意味する赤い印が記されていた。また、符呪の周りにある4文字が「你媽白痴(お前の母ちゃんは馬鹿)」のアナグラムになっていた。同社は2月21日に別のアセットに差し替え、公式に謝罪したが、中国本土のユーザーから猛抗議にさらされ、Steamでの販売を自粛した。
今や中国はアメリカや日本を抜いて、世界最大のゲーム市場を抱える。もっとも2018年8月に『モンスターハンター:ワールド』の中国版がリリース後、わずか数日で販売停止処分を受けたように、中国でのゲームビジネスは相応のリスクをはらむ。これが本件で当局の締め付けが厳しくなると、全世界のゲーム産業に影響が及びかねない。バタフライ効果ではないが、たった一本のインディーゲームが世界のゲーム市場に影響を与えるまでに、社会は高度に接続され、相互依存を深めるまでになっているのだ。
なお、一連の経緯はIGN.jpの連載コラムに詳しい。
IGN.jp「中華娯楽週報 超特大番外編:徹底分析!台湾製の人気PCゲーム『還願 DEVOTION』が政治的な大問題に――事件の核心は何か?(前編)」
IGN.jp「中華娯楽週報 超特大番外編:徹底分析!台湾製の人気PCゲーム『還願 DEVOTION』が政治的な大問題に――中国や世界のゲーム業界への影響は?(後編)」
また、『返校 Detention』の日本語ローカライズを担当したアクティブゲーミングメディアが運営するAUTOMATONでも、この問題を報じると共に、開発元のRed Candle Gamesが苦境に立たされていると伝えている。
AUTOMATON「台湾ホラーゲーム『還願』が、高い評価を受けたのち厳しい批判に晒される。ゲーム内のひとつの張り紙が大きな問題に」
AUTOMATON「台湾ホラー『還願 Devotion』がSteamから姿を消し、現在購入不可に。傑作と評されたゲームとスタジオの混迷の時続く」
実は当初、筆者はこの問題を表現の自由と創造性に絡めて論評するつもりだった。しかし、それを覆す出来事が日本でも発生したことで、内容を修正せざるを得なくなった。俳優・ミュージシャンのピエール瀧容疑者によるコカイン使用疑惑と、それに伴う出演作品の自粛騒動だ。ゲームでも『JUDGE EYES:死神の遺言』が販売自粛となり、『KINGDOM HEARTS III』オラフ役の声優が交代し、アップデートが行われる旨が発表されている。
他に電気グルーヴの楽曲や、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のオンデマンド配信も停止されるなど、ゲームの枠を越えた波紋を呼んでいる。大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』では、逮捕直後の3月16日に再放送予定だった第10話で、瀧容疑者の出演シーンをカット。映画では『居眠り磐音』 が俳優を変えて再撮影する一方、4月公開予定の『麻雀放浪記2020』はそのまま上映する予定など、対応が分かれている。朝日新聞は3月16日の天声人語で「出演した作品にまでフタをするのは行き過ぎではないか」と苦言を呈した。
おそらく本件を巡る一連の騒動について、海外では滑稽に見えているだろう。ちょうど我々が『還願 Devotion』問題の理由がわからないように、だ。『還願 Devotion』では中国ユーザーの義憤が対外的に吹き出し、社会問題化した。日本では関係者の内向きの精神が過剰反応を招いているともいえる。その意味で両者はコインの表裏の関係にあたる。コーランの一節をゲーム内アセットに使用したため、全世界で回収が発生したゲーム『格闘超人』が日本で開発されたことも、我々は忘れるわけにはいかないだろう。
SteamのRed Candle Gamesページでは前作『返校 Detention』のみが販売されている(2019年3月16日現在)
一部ユーザーのネガティブコメントは、Steamにおける『返校 Detention』のユーザーレビューにまで飛び火している
これにはゲームが本質的に現実世界の抽象化と誇張化をベースにしていることと、現実世界と異なり各々のプレイヤーが各々の幸福感を追求できるという、2つの要因が考えられる。『PONG』がテニスやピンポンの抽象化と誇張化、『スーパーマリオブラザーズ』がアスレチックの抽象化と誇張化をベースにしているように、ゲームには現実世界の写し絵という側面がある。その上で現実とは違い、ゲームは個々のプレイヤーに最適な難易度を提供できる可能性がある。立命館大学映像学部の渡辺修司准教授のように、こうした関係を「ゲームデッサン」という概念で説明しようとする研究者も現れ始めている。
一方で現実世界の抽象化と誇張化で成立しているメディアにマンガがある。そして、マンガが本質的に批評的要素を含むように、ゲームもまた存在自体が批評たり得る。開発者にそうした意図がなくても、ユーザーが批評的文脈をゲームから勝手に見いだしてしまうのだ。
『還願 Devotion』でいえば、前作『返校 Detention』が1960年代の台湾における白色テロをテーマとしており、国民党批判ともとられかねない内容だったことが、中国ユーザーの過剰反応の背景にあったとも考えられる。
それではゲーム開発者はこうした風潮を恐れて、さしさわりのないゲームだけを作るべきなのだろうか。筆者はそうは思わない。ゲームはユーザーや社会との関係性の中で成立しており、そこから何を見いだすかは、プレイヤー次第だからだ。その上で市場の拡大とネットワーク社会の進展は、1本のマッチで世界を燃え尽くせるほどにリスクを抱え込む事態を生むまでになった。すべてのゲーム開発者にとって、そうした事態に向き合うだけの覚悟が求められるようになったといえる。
Red Candle Gamesの共同創始者、楊適維(Vincent Yang)氏(E3 2017で筆者撮影)
■関連リンク
SteamのRed Candle Gamesのページ(『還願 Devotion』は2019年3月16日現在配信されていない)
https://store.steampowered.com/developer/redcandlegames
Red Candle Games公式サイト
https://redcandlegames.com/
Red Candle Gamesの謝罪文(Facebook内)
https://www.facebook.com/redcandlegames/posts/2016776218624329
「習近平とくまのプーさん」が招いた社会問題
『還願 Devotion』問題がゲーム業界を震撼させている。処女作『返校 Detention』で一躍注目を浴びた台湾のインディーゲーム会社、Red Candle Gamesから2019年2月19日にリリースされた本作は、当初台湾・中国の両ユーザーから圧倒的な支持を集めたが、わずか数日で評価が急落した。ゲーム中のビジュアルアセットに、中国の最高指導者である習近平を揶揄する表現が見つかったからだ。台湾ゲーマーによって撮られたスクリーンショットは瞬く間にネット上で拡散され、激しい炎上をもたらした。https://twitter.com/lioking77/status/1099920344914128896/photo/1
本作は1980年代の台湾における集合住宅の一室を舞台にした3Dホラーアドベンチャーだ。脚本家の夫、元映画スターの妻、娘の3人家族を巡る家庭生活が崩壊した理由は何か……? プレイヤーは夫の過去をさかのぼり、住居を探索しながら、哀しみの記憶を追体験していく。過去にレビューした『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』と同じ構造を持つ、過去探索型のナラティブゲームだ。
本作で問題とされたのは、とある一室に張られた道教の符籙(符呪)だ。その中の一枚に「習近平くまのプーさん(習近平小熊維尼)」を意味する赤い印が記されていた。また、符呪の周りにある4文字が「你媽白痴(お前の母ちゃんは馬鹿)」のアナグラムになっていた。同社は2月21日に別のアセットに差し替え、公式に謝罪したが、中国本土のユーザーから猛抗議にさらされ、Steamでの販売を自粛した。
中国のゲーム許認可問題を巻き込み政治問題化
もっとも、話はこれだけで終わらない。というのも本作が台湾と中国の微妙な関係をつまびらかにしてしまったからだ。台湾ユーザーの中には本作をネタに、おもしろおかしくネット上で盛り上がる者が続出。これに対して、同胞から裏切られたと感じた中国ユーザーは大反発し、数の暴力で反対運動を展開した。これが折からの中国ゲーム市場における検閲問題や、グレーゾーンの状態が続く中国でのSteamの存在にもつながり、収拾がつかない事態になっている。今や中国はアメリカや日本を抜いて、世界最大のゲーム市場を抱える。もっとも2018年8月に『モンスターハンター:ワールド』の中国版がリリース後、わずか数日で販売停止処分を受けたように、中国でのゲームビジネスは相応のリスクをはらむ。これが本件で当局の締め付けが厳しくなると、全世界のゲーム産業に影響が及びかねない。バタフライ効果ではないが、たった一本のインディーゲームが世界のゲーム市場に影響を与えるまでに、社会は高度に接続され、相互依存を深めるまでになっているのだ。
なお、一連の経緯はIGN.jpの連載コラムに詳しい。
IGN.jp「中華娯楽週報 超特大番外編:徹底分析!台湾製の人気PCゲーム『還願 DEVOTION』が政治的な大問題に――事件の核心は何か?(前編)」
IGN.jp「中華娯楽週報 超特大番外編:徹底分析!台湾製の人気PCゲーム『還願 DEVOTION』が政治的な大問題に――中国や世界のゲーム業界への影響は?(後編)」
また、『返校 Detention』の日本語ローカライズを担当したアクティブゲーミングメディアが運営するAUTOMATONでも、この問題を報じると共に、開発元のRed Candle Gamesが苦境に立たされていると伝えている。
AUTOMATON「台湾ホラーゲーム『還願』が、高い評価を受けたのち厳しい批判に晒される。ゲーム内のひとつの張り紙が大きな問題に」
AUTOMATON「台湾ホラー『還願 Devotion』がSteamから姿を消し、現在購入不可に。傑作と評されたゲームとスタジオの混迷の時続く」
ピエール瀧容疑者を巡る自粛騒動との相似性
筆者は偶然にも配信が停止される前日に本作を購入することができた。プレイ後に感じたのは、同社が『返校 Detention』でヒットを飛ばしたのは、決してフロックではなかったということだ。プレイ前は2Dから3Dにゲームのビジュアルが変わったことで、前作で感じられた演劇的な良さが失われることを懸念していた。しかし本作はウォーキングアドベンチャーの文法をもとに、台湾固有の文化を大胆に取り入れて制作された、他に類を見ない作品になっている。なお、言うまでもなく政治的なメッセージは皆無だった。実は当初、筆者はこの問題を表現の自由と創造性に絡めて論評するつもりだった。しかし、それを覆す出来事が日本でも発生したことで、内容を修正せざるを得なくなった。俳優・ミュージシャンのピエール瀧容疑者によるコカイン使用疑惑と、それに伴う出演作品の自粛騒動だ。ゲームでも『JUDGE EYES:死神の遺言』が販売自粛となり、『KINGDOM HEARTS III』オラフ役の声優が交代し、アップデートが行われる旨が発表されている。
他に電気グルーヴの楽曲や、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』のオンデマンド配信も停止されるなど、ゲームの枠を越えた波紋を呼んでいる。大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』では、逮捕直後の3月16日に再放送予定だった第10話で、瀧容疑者の出演シーンをカット。映画では『居眠り磐音』 が俳優を変えて再撮影する一方、4月公開予定の『麻雀放浪記2020』はそのまま上映する予定など、対応が分かれている。朝日新聞は3月16日の天声人語で「出演した作品にまでフタをするのは行き過ぎではないか」と苦言を呈した。
おそらく本件を巡る一連の騒動について、海外では滑稽に見えているだろう。ちょうど我々が『還願 Devotion』問題の理由がわからないように、だ。『還願 Devotion』では中国ユーザーの義憤が対外的に吹き出し、社会問題化した。日本では関係者の内向きの精神が過剰反応を招いているともいえる。その意味で両者はコインの表裏の関係にあたる。コーランの一節をゲーム内アセットに使用したため、全世界で回収が発生したゲーム『格闘超人』が日本で開発されたことも、我々は忘れるわけにはいかないだろう。
SteamのRed Candle Gamesページでは前作『返校 Detention』のみが販売されている(2019年3月16日現在)
一部ユーザーのネガティブコメントは、Steamにおける『返校 Detention』のユーザーレビューにまで飛び火している
ゲームは現実世界の写し絵だからこそ炎上リスクをはらむ
では、ゲームはなぜここまで社会の注目を集める存在になったのだろうか。実際に世界のゲーム産業は映画産業と音楽産業の合計値よりも上回っており、さらに成長を続けている。現在はアジア太平洋地域に続いて南アメリカ市場が成長期に入っており、今後はスマートフォンやストリーミング配信を媒介役に、西アジアとアフリカが成長期に入ると見なされている。これにより市場規模が拡大する一方で、本作のようなリスク要因も増すと考えられる。これにはゲームが本質的に現実世界の抽象化と誇張化をベースにしていることと、現実世界と異なり各々のプレイヤーが各々の幸福感を追求できるという、2つの要因が考えられる。『PONG』がテニスやピンポンの抽象化と誇張化、『スーパーマリオブラザーズ』がアスレチックの抽象化と誇張化をベースにしているように、ゲームには現実世界の写し絵という側面がある。その上で現実とは違い、ゲームは個々のプレイヤーに最適な難易度を提供できる可能性がある。立命館大学映像学部の渡辺修司准教授のように、こうした関係を「ゲームデッサン」という概念で説明しようとする研究者も現れ始めている。
一方で現実世界の抽象化と誇張化で成立しているメディアにマンガがある。そして、マンガが本質的に批評的要素を含むように、ゲームもまた存在自体が批評たり得る。開発者にそうした意図がなくても、ユーザーが批評的文脈をゲームから勝手に見いだしてしまうのだ。
『還願 Devotion』でいえば、前作『返校 Detention』が1960年代の台湾における白色テロをテーマとしており、国民党批判ともとられかねない内容だったことが、中国ユーザーの過剰反応の背景にあったとも考えられる。
それではゲーム開発者はこうした風潮を恐れて、さしさわりのないゲームだけを作るべきなのだろうか。筆者はそうは思わない。ゲームはユーザーや社会との関係性の中で成立しており、そこから何を見いだすかは、プレイヤー次第だからだ。その上で市場の拡大とネットワーク社会の進展は、1本のマッチで世界を燃え尽くせるほどにリスクを抱え込む事態を生むまでになった。すべてのゲーム開発者にとって、そうした事態に向き合うだけの覚悟が求められるようになったといえる。
Red Candle Gamesの共同創始者、楊適維(Vincent Yang)氏(E3 2017で筆者撮影)
■関連リンク
SteamのRed Candle Gamesのページ(『還願 Devotion』は2019年3月16日現在配信されていない)
https://store.steampowered.com/developer/redcandlegames
Red Candle Games公式サイト
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Red Candle Gamesの謝罪文(Facebook内)
https://www.facebook.com/redcandlegames/posts/2016776218624329
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