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『Train Valley』『Train Valley 2』ファンの期待を受けた「正しい」進化のあり方とは?【インディーゲームレビュー 第78回】
同じテーマのゲームでもペルソナによって求めるメカニクスが変わる。約30年の時を超えて日本と欧州でリリースされた2つの鉄道ゲームのシリーズは、ファンが求めるゲームの形について興味深い問いかけを行っている。
1985年にアートディンクから発売されたゲーム『A列車で行こう』は、その斬新なゲーム内容でPCゲーマーの注目を集めた。鉄道会社の社長となり、一年間で東海岸から西海岸まで大陸横断鉄道を敷設し、大統領特別列車を運行させるという内容だ。プレイヤーは利益をあげつつ、線路を敷設して列車を走らせ、かつ期限内に工事を終わらせなければいけない。特別列車が事故にあったり、無理な経営で資金が尽きたり、期限をオーバーしたりするとゲームオーバーだ。経営ゲームにパズル要素を加味した異色作として、長くファンの記憶に残る作品になっている。
『A列車で行こうIV』(PC-9801版)
もっとも本シリーズの方向性を決定したのは、1990年に発売された『III』だろう。目的地に向けて鉄道を敷設していくパズル的な要素がなくなり、鉄道経営をメインとしたシミュレーションゲームに刷新された。画面もクォータービューになり、ニョキニョキと高層ビルが建ち並んでいく画面デザインに、多くのゲーマーはCADの画面を見るような新鮮さを覚えた。1993年に発売された『IV』は、海外展開やPlayStation版への移植展開などをはたし、シリーズの代名詞的な存在になった。これ以降、本シリーズは大きな変更を遂げることなく、息の長い続編展開を続けている。
なぜ本シリーズは経営シミュレーションに舵を切ったのだろうか。本作の開発にたずさわった河西克重氏は「鉄道模型のような閉じた世界をコンピュータ上で再現したかった」とインタビューで述べている(※)。その一方で本作はゲームファンだけでなく、鉄道ファンをも惹きつけた。彼らの多くは、鉄道模型のように線路を敷設し、列車を走らせながら、鉄道模型では不可能だった「街の発展」という要素をシリーズに求めた。このように、クリエイター視点でもユーザー視点でも、経営シミュレーションに内容が絞られたのは正解だったのだ。
『Train Valley』
しかし、本作を遊んでいて、しばしばイライラさせられたのも事実だ。リアルタイム要素があるにもかかわらず、列車の進行を制御するUIが操作しにくい点は、理由の一つだ。肝心なところで操作ミスが発生し、衝突事故につながったことも、一度や二度ではなかった。ゲームの進行速度を調整する機能はあるが、いちど衝突ルートに列車が乗ってしまえば、回避方法がない点も疑問だ。もっとも、これらはあくまでも筆者の感想でしかない。針の穴を通すような采配に快感を覚えたユーザーもまた、少なくなかったことと思われる。本作のヒットは、そのことを雄弁に物語っている。
『Train Valley 2 - Passenger Flow』
制作陣もまた、本作の方向性に疑問を感じていたようだ。続編『Train Valley 2 - Passenger Flow』では、線路を敷設して鉄道を走らせる要素はそのままに、アクションパズル的な要素がなくなったからだ。そのかわりに加わったのが、需要と供給をベースとした、簡易的な経営要素だ。他にグラフィックがクォータービューになり、マップが立体的になったことで、トンネルや橋を敷設することが可能になった。また、自作のマップをネット上で共有できるようにもなった。もっとも、これらはあくまで付随的な変更点にすぎないだろう。それくらい核となるゲーム体験が異なっているのだ。
一例をあげれば、レンガを作るには砂と作業者が必要だ。砂を採集するには作業者が必要で、そのためには線路を敷設して、施設に作業者を送り届ける必要がある。このように本作では、線路をつなげながら施設間の需要と供給を満たしていくことになる。そのうえでマップごとに決められた要件を満たせばクリアだ。これにともない、駅舎がポコポコと新設されたり、こちらの操作を無視して列車が出発したりといった要素はなくなった。衝突事故は発生するが、プレイヤーが進路やポイントの切り替えを間違えた時だけだ。これらの変更により、総じて理不尽な経験が減少している。
とはいえ、本作の評価は人によってさまざまだろう。特に前作のアクションパズル的な要素を好んだユーザーにとって、本作は肩透かしだったに違いない。ランダム性がほぼ皆無で、ゲームの進行時間も自由に変えられるため、マップを見ながら施設間の需要と供給を満たしていけば、誰でもクリアできるからだ。一応本作にも、クリアタイムやクリア条件で報酬が異なるなどの要素がある。ただし、前作のファンを納得させられるか否かは別だ。的確なマウスさばきで衝突事故を回避させていく前作の楽しさが、本作では消えてしまっているからだ。
前作のアクションパズル的な要素を発展させるべきだったのか。それとも本作のドラスチックな改革を評価するのか。作り手側の論理からすれば「よりヒットした方が正解」となるのは明らかだ。しかし、プレイヤー視点で見れば、それぞれに違う答えがあるだろう。中には『1』にも『2』にも満足できず、理想の鉄道ゲームを作りたい/遊びたいと考えるファンもいるはずだ(そして実際にさまざまな鉄道ゲームがある)。個人的には『2』の方向性を支持したいが、評価はプレイヤーによってまちまちだろう。そのうえで、今後もさまざまな鉄道ゲームが登場することを期待したい。
※引用元:多摩豊『SLG解体新書』(光栄)
PROJECT EGG『A列車で行こう』販売ページ
https://www.amusement-center.com/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1286
PROJECT EGG『A列車で行こうIV』販売ページ
https://www.amusement-center.com/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1192
Steam『Train Valley』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/353640/Train_Valley/?l=japanese
Steam『Train Valley 2- Passenger Flow』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1154780/Train_Valley_2__Passenger_Flow/
パズルから経営シミュレーションへ……A列車で行こう
『A列車で行こう』(FM-7版)1985年にアートディンクから発売されたゲーム『A列車で行こう』は、その斬新なゲーム内容でPCゲーマーの注目を集めた。鉄道会社の社長となり、一年間で東海岸から西海岸まで大陸横断鉄道を敷設し、大統領特別列車を運行させるという内容だ。プレイヤーは利益をあげつつ、線路を敷設して列車を走らせ、かつ期限内に工事を終わらせなければいけない。特別列車が事故にあったり、無理な経営で資金が尽きたり、期限をオーバーしたりするとゲームオーバーだ。経営ゲームにパズル要素を加味した異色作として、長くファンの記憶に残る作品になっている。
『A列車で行こうIV』(PC-9801版)
もっとも本シリーズの方向性を決定したのは、1990年に発売された『III』だろう。目的地に向けて鉄道を敷設していくパズル的な要素がなくなり、鉄道経営をメインとしたシミュレーションゲームに刷新された。画面もクォータービューになり、ニョキニョキと高層ビルが建ち並んでいく画面デザインに、多くのゲーマーはCADの画面を見るような新鮮さを覚えた。1993年に発売された『IV』は、海外展開やPlayStation版への移植展開などをはたし、シリーズの代名詞的な存在になった。これ以降、本シリーズは大きな変更を遂げることなく、息の長い続編展開を続けている。
なぜ本シリーズは経営シミュレーションに舵を切ったのだろうか。本作の開発にたずさわった河西克重氏は「鉄道模型のような閉じた世界をコンピュータ上で再現したかった」とインタビューで述べている(※)。その一方で本作はゲームファンだけでなく、鉄道ファンをも惹きつけた。彼らの多くは、鉄道模型のように線路を敷設し、列車を走らせながら、鉄道模型では不可能だった「街の発展」という要素をシリーズに求めた。このように、クリエイター視点でもユーザー視点でも、経営シミュレーションに内容が絞られたのは正解だったのだ。
『Train Valley』
2つのゲームシリーズにみる進化の相似形
2015年にリリースされた『Train Valley』も同様だ。プレイヤーは鉄道会社の社長となり、鉄道を敷設し、列車を運行して、収益を上げていく。とはいえ、本作はじっくり腰を落ち着けて遊ぶタイプのゲームではない。ゲームの展開に応じてマップ上に駅舎がポコポコと新設されたり、列車が自動的に出発したりするからだ。そのため、うまく線路を敷設したり、ポイントを切り替えたり、列車を一時停止させたり、時には進行方向を反転させたりしながら、ステージごとに決められた条件をクリアしていくことになる。『テトリス』にも似た、あたふたとした体験が身上のゲームなのだ。しかし、本作を遊んでいて、しばしばイライラさせられたのも事実だ。リアルタイム要素があるにもかかわらず、列車の進行を制御するUIが操作しにくい点は、理由の一つだ。肝心なところで操作ミスが発生し、衝突事故につながったことも、一度や二度ではなかった。ゲームの進行速度を調整する機能はあるが、いちど衝突ルートに列車が乗ってしまえば、回避方法がない点も疑問だ。もっとも、これらはあくまでも筆者の感想でしかない。針の穴を通すような采配に快感を覚えたユーザーもまた、少なくなかったことと思われる。本作のヒットは、そのことを雄弁に物語っている。
『Train Valley 2 - Passenger Flow』
制作陣もまた、本作の方向性に疑問を感じていたようだ。続編『Train Valley 2 - Passenger Flow』では、線路を敷設して鉄道を走らせる要素はそのままに、アクションパズル的な要素がなくなったからだ。そのかわりに加わったのが、需要と供給をベースとした、簡易的な経営要素だ。他にグラフィックがクォータービューになり、マップが立体的になったことで、トンネルや橋を敷設することが可能になった。また、自作のマップをネット上で共有できるようにもなった。もっとも、これらはあくまで付随的な変更点にすぎないだろう。それくらい核となるゲーム体験が異なっているのだ。
一例をあげれば、レンガを作るには砂と作業者が必要だ。砂を採集するには作業者が必要で、そのためには線路を敷設して、施設に作業者を送り届ける必要がある。このように本作では、線路をつなげながら施設間の需要と供給を満たしていくことになる。そのうえでマップごとに決められた要件を満たせばクリアだ。これにともない、駅舎がポコポコと新設されたり、こちらの操作を無視して列車が出発したりといった要素はなくなった。衝突事故は発生するが、プレイヤーが進路やポイントの切り替えを間違えた時だけだ。これらの変更により、総じて理不尽な経験が減少している。
とはいえ、本作の評価は人によってさまざまだろう。特に前作のアクションパズル的な要素を好んだユーザーにとって、本作は肩透かしだったに違いない。ランダム性がほぼ皆無で、ゲームの進行時間も自由に変えられるため、マップを見ながら施設間の需要と供給を満たしていけば、誰でもクリアできるからだ。一応本作にも、クリアタイムやクリア条件で報酬が異なるなどの要素がある。ただし、前作のファンを納得させられるか否かは別だ。的確なマウスさばきで衝突事故を回避させていく前作の楽しさが、本作では消えてしまっているからだ。
前作のアクションパズル的な要素を発展させるべきだったのか。それとも本作のドラスチックな改革を評価するのか。作り手側の論理からすれば「よりヒットした方が正解」となるのは明らかだ。しかし、プレイヤー視点で見れば、それぞれに違う答えがあるだろう。中には『1』にも『2』にも満足できず、理想の鉄道ゲームを作りたい/遊びたいと考えるファンもいるはずだ(そして実際にさまざまな鉄道ゲームがある)。個人的には『2』の方向性を支持したいが、評価はプレイヤーによってまちまちだろう。そのうえで、今後もさまざまな鉄道ゲームが登場することを期待したい。
※引用元:多摩豊『SLG解体新書』(光栄)
PROJECT EGG『A列車で行こう』販売ページ
https://www.amusement-center.com/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1286
PROJECT EGG『A列車で行こうIV』販売ページ
https://www.amusement-center.com/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1192
Steam『Train Valley』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/353640/Train_Valley/?l=japanese
Steam『Train Valley 2- Passenger Flow』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/1154780/Train_Valley_2__Passenger_Flow/
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