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『Mecha Ritz: Steel Rondo』「難易度自動調整機能」がもたらす未来のゲーム体験【インディーゲームレビュー 第130回】
あらゆるコンテンツはビジネスモデルによって規定される。ゲームのサブスクリプションモデルが広がる中、難易度の自動調整機能を備えた縦スクロールSTG『Mecha Ritz: Steel Rondo』(メカリッツ:スティールロンド)は、新しいゲーム体験のあり方を示している。
縦スクロールシューティングゲーム『Mecha Ritz: Steel Rondo』Ver2.0が2022年11月2日にSteamに登場した。フリーゲーム投稿サイト「ふりーむ!」で2015年にリリースされていたものの改訂版で、本作で完成を見たと言えるだろう。
事前にインディーゲーム展示会で目にしていた筆者は、興味本位で本作を購入し、プレイしてみた。ゴキゲンな破壊衝動に身を委ねつつ、次第に混乱が生じてきた。
「それで、このゲームはいつ終わるんだろうか……?」
もともと筆者はシューティングゲームが得意ではない。数分間も遊べばゲームオーバーになるのが常だ。ところが本作は残機がつきるまで、たっぷり20分以上はプレイが続いた。難易度の自動調整機能が備わっていることを知ったのは、何度かプレイしてマニュアルを読んだ後のことだ。初心者から上級者まで最適なゲーム体験を提供することが狙いだという。おかげで筆者も十分にゲームを楽しめた。
幸か不幸か、本作の難易度自動調整機能は完璧ではない。そのため、ある程度のスキルがなければ本作をクリアすることはできない(筆者もその一人だ)。
では、仮にゲームがあらゆるスキルのプレイヤーに対して最適な難易度を提供できる未来が到来するとしたら、ゲーム体験はどのように変化するだろうか。誰もが必ず初見プレイでクリアできるゲームが登場したとして、それはゲームなのだろうか。
ゲームは天才少女のヴェローチェによって機械化された世界が舞台だ。全人類が消去された中、プレイヤーは人類最後の希望「Mecha」を操り、敵の大軍に攻撃を仕掛けていく。
核となるシステムはシールドを備えたボンバーシューティングで、連打と押しっぱなしでショットの種類と自機の速度が切り替わる。他にプレイヤーのスキルによってランクが増減し、アイテムの出現率や敵の攻撃などが変化する点が特徴だ。
『Night in the Woods』のレビューで論じたように、ゲームには「目標」「障害」「手段」の三要素がある。つまりゲームは、プレイヤーに何度も障害を提示し、失敗させた上で、再挑戦を強いるメディアだと言い換えられる。
この時、障害のレベルが高すぎると、プレイヤーはゲームをやめてしまう。一方で最適な難易度はプレイヤーのスキルによって変わる。この課題に多くの開発者が挑戦してきた。
ここから生まれたのが難易度の自動調整というアイデアだ。シューティングゲームの『ザナック』をはじめ、ゲームの黎明期から試行錯誤が続けられてきた。現在、こうした自動調整のアルゴリズムは「メタAI」という用語にまとめられ、ホットな研究分野になっている。『Left 4 Dead』のように、ゲームの展開に応じてゾンビの出現率を調整するなどの実装例も出始めている。
そのため、結論からいうと「誰もがクリアできるゲーム」も立派なゲームだ。難易度調整とは無関係だが、音楽ゲームのように、プレイヤーのスキルに関係なく最後まで曲が流れるジャンルもある。選択肢が存在しないノベルゲームも、この範疇に入れられるだろう。
そのうえで今、難易度の自動調整に関する取り組みが、さまざまなゲームで進んでいるのだ。本作もその一環と位置づけられる。
このような状況を踏まえて議論を深めると、こうした難易度調整の技術はゲームのソフトウェアロボット化を進展させると言い換えられる。
もともとゲームは「究極の一人遊び」として進化してきた。ゲームのプログラムやアルゴリズムはプレイヤーをもてなすためにデザインされる。「プレイヤーはゲームで遊んでいるのではなく、ゲーム開発者が作った環境下で遊ばされているにすぎない」という見方もできるだろう。
もっとも、こうした状況を露悪的に捉える必要はない。遊んだゲームがつまらなければ、プレイヤーにはゲームをやめる自由があるからだ。そうなれば困るのは作り手側になる。つまりゲームのおもしろさとは、プレイヤーとゲーム(そして開発者)が協力しながら創り上げるものだと考えられる。このように考えれば、難易度調整機能は、近い将来ゲームに必須の要素になることがわかるだろう。
ただし、アーケードゲームのビジネスモデルは、難易度の自動調整とマッチしにくい。何度もコインを落としてもらわなければ、オペレーター(ゲームセンターなどの店舗)の売上が上がらないからだ。
逆に一度ゲームを購入すれば何度でも再プレイができる家庭用ゲームも、自動調整の意味が低下する。多くのゲームメーカーが「いかにクリアさせるか」よりも、「いかに買わせるか」に力を入れているように見えることも、そのことを暗示している。
それでは、難易度の自動調整がより求められるのは、どのようなビジネスモデルだろうか。
マイクロソフトの「Xbox Game Pass」に代表される、一定の課金で遊び放題になるサブスクリプションモデルはそのひとつだろう。このモデルで重要なのはゲーム機やプラットフォームの継続率だ。そのためにはプレイヤーごとに個別最適化されたゲーム体験の提供が重要になり、難易度の自動調整が求められる。このように考えると、『Mecha Ritz: Steel Rondo』は過渡的な状況にあるゲームだと言える。
今回は省略したが、今後ゲームコントローラーに(スマートウォッチのように)多彩なセンサーが搭載されるのは既定路線のように思われる。そうなれば、よりプレイヤーの状況が可視化され、最適な難易度調整が可能になるだろう。そうした未来に向けて、さらなるゲームの改善に期待したい。
主な受賞歴:なし
Metacriticスコア:74(Switch版)
Steam『Mecha Ritz: Steel Rondo』販売サイト
https://store.steampowered.com/app/463070/Mecha_Ritz_Steel_Rondo/
Hanaji Games公式サイト
https://www.hanaji.com/?lang=ja
『MECHA Ritz』(ふりーむ!版)
https://www.freem.ne.jp/win/game/8513
誰もが必ずクリアできるゲームはゲームなのか?
縦スクロールシューティングゲーム『Mecha Ritz: Steel Rondo』Ver2.0が2022年11月2日にSteamに登場した。フリーゲーム投稿サイト「ふりーむ!」で2015年にリリースされていたものの改訂版で、本作で完成を見たと言えるだろう。
事前にインディーゲーム展示会で目にしていた筆者は、興味本位で本作を購入し、プレイしてみた。ゴキゲンな破壊衝動に身を委ねつつ、次第に混乱が生じてきた。
「それで、このゲームはいつ終わるんだろうか……?」
もともと筆者はシューティングゲームが得意ではない。数分間も遊べばゲームオーバーになるのが常だ。ところが本作は残機がつきるまで、たっぷり20分以上はプレイが続いた。難易度の自動調整機能が備わっていることを知ったのは、何度かプレイしてマニュアルを読んだ後のことだ。初心者から上級者まで最適なゲーム体験を提供することが狙いだという。おかげで筆者も十分にゲームを楽しめた。
幸か不幸か、本作の難易度自動調整機能は完璧ではない。そのため、ある程度のスキルがなければ本作をクリアすることはできない(筆者もその一人だ)。
では、仮にゲームがあらゆるスキルのプレイヤーに対して最適な難易度を提供できる未来が到来するとしたら、ゲーム体験はどのように変化するだろうか。誰もが必ず初見プレイでクリアできるゲームが登場したとして、それはゲームなのだろうか。
プレイヤーのスキルにあわせてアイテム出現率などが変化
ゲームは天才少女のヴェローチェによって機械化された世界が舞台だ。全人類が消去された中、プレイヤーは人類最後の希望「Mecha」を操り、敵の大軍に攻撃を仕掛けていく。
核となるシステムはシールドを備えたボンバーシューティングで、連打と押しっぱなしでショットの種類と自機の速度が切り替わる。他にプレイヤーのスキルによってランクが増減し、アイテムの出現率や敵の攻撃などが変化する点が特徴だ。
『Night in the Woods』のレビューで論じたように、ゲームには「目標」「障害」「手段」の三要素がある。つまりゲームは、プレイヤーに何度も障害を提示し、失敗させた上で、再挑戦を強いるメディアだと言い換えられる。
この時、障害のレベルが高すぎると、プレイヤーはゲームをやめてしまう。一方で最適な難易度はプレイヤーのスキルによって変わる。この課題に多くの開発者が挑戦してきた。
ここから生まれたのが難易度の自動調整というアイデアだ。シューティングゲームの『ザナック』をはじめ、ゲームの黎明期から試行錯誤が続けられてきた。現在、こうした自動調整のアルゴリズムは「メタAI」という用語にまとめられ、ホットな研究分野になっている。『Left 4 Dead』のように、ゲームの展開に応じてゾンビの出現率を調整するなどの実装例も出始めている。
そのため、結論からいうと「誰もがクリアできるゲーム」も立派なゲームだ。難易度調整とは無関係だが、音楽ゲームのように、プレイヤーのスキルに関係なく最後まで曲が流れるジャンルもある。選択肢が存在しないノベルゲームも、この範疇に入れられるだろう。
そのうえで今、難易度の自動調整に関する取り組みが、さまざまなゲームで進んでいるのだ。本作もその一環と位置づけられる。
サブスクリプション時代に求められるゲームデザイン
このような状況を踏まえて議論を深めると、こうした難易度調整の技術はゲームのソフトウェアロボット化を進展させると言い換えられる。
もともとゲームは「究極の一人遊び」として進化してきた。ゲームのプログラムやアルゴリズムはプレイヤーをもてなすためにデザインされる。「プレイヤーはゲームで遊んでいるのではなく、ゲーム開発者が作った環境下で遊ばされているにすぎない」という見方もできるだろう。
もっとも、こうした状況を露悪的に捉える必要はない。遊んだゲームがつまらなければ、プレイヤーにはゲームをやめる自由があるからだ。そうなれば困るのは作り手側になる。つまりゲームのおもしろさとは、プレイヤーとゲーム(そして開発者)が協力しながら創り上げるものだと考えられる。このように考えれば、難易度調整機能は、近い将来ゲームに必須の要素になることがわかるだろう。
ただし、アーケードゲームのビジネスモデルは、難易度の自動調整とマッチしにくい。何度もコインを落としてもらわなければ、オペレーター(ゲームセンターなどの店舗)の売上が上がらないからだ。
逆に一度ゲームを購入すれば何度でも再プレイができる家庭用ゲームも、自動調整の意味が低下する。多くのゲームメーカーが「いかにクリアさせるか」よりも、「いかに買わせるか」に力を入れているように見えることも、そのことを暗示している。
それでは、難易度の自動調整がより求められるのは、どのようなビジネスモデルだろうか。
マイクロソフトの「Xbox Game Pass」に代表される、一定の課金で遊び放題になるサブスクリプションモデルはそのひとつだろう。このモデルで重要なのはゲーム機やプラットフォームの継続率だ。そのためにはプレイヤーごとに個別最適化されたゲーム体験の提供が重要になり、難易度の自動調整が求められる。このように考えると、『Mecha Ritz: Steel Rondo』は過渡的な状況にあるゲームだと言える。
今回は省略したが、今後ゲームコントローラーに(スマートウォッチのように)多彩なセンサーが搭載されるのは既定路線のように思われる。そうなれば、よりプレイヤーの状況が可視化され、最適な難易度調整が可能になるだろう。そうした未来に向けて、さらなるゲームの改善に期待したい。
主な受賞歴:なし
Metacriticスコア:74(Switch版)
Steam『Mecha Ritz: Steel Rondo』販売サイト
https://store.steampowered.com/app/463070/Mecha_Ritz_Steel_Rondo/
Hanaji Games公式サイト
https://www.hanaji.com/?lang=ja
『MECHA Ritz』(ふりーむ!版)
https://www.freem.ne.jp/win/game/8513
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