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『Ministry of Broadcast』操作性の悪さは何を物語るのか?【インディーゲームレビュー 第96回】
ジョージ・オーウェルの小説『1984』を彷彿とさせる全体主義国家で、リアリティショーの出演者として死のゲームに挑戦する『Ministry of Broadcast』(ミニストリーオブブロードキャスト)。本作は世界観、グラフィック、ストーリーなどが評価された半面、操作性の悪さが批判された。では、この操作性の悪さは何を意味するのだろうか?
あえて極端な例をあげると、作り手が狙って作ったクソゲーであれば、そのクソゲーぶりを愛でるのが前者のスタイルだ。これに対して後者のスタイルでは、クソゲーであることに意味はない、と一刀両断する。これは批評者の視点の違いであり、どちらが良い悪いという話ではないことに注意して欲しい。これまで何度も主張してきたように、ゲームの評価は人それぞれなのだから。違う評価を見ても、「そういう考え方もあるのだな」くらいに捉えることが重要だ。
わざわざこの話を枕としたのも、今回レビューする『Ministry of Broadcast』が、この点について考察する興味深いテキストだからだ。
ゲームの舞台は壁によって分断された全体主義国家で、プレイヤーは赤毛の男「オレンジ」となり、壁の向こう側でのみ放映される「ウォール・ショー」の出演者となって、死のゲームに挑戦していく。すべての試練を達成すれば、壁の向こう側に亡命し、家族と再会できるという設定だ。開発はチェコのインディーデベロッパー、Ministry of Broadcast Studiosで、テレビでベルリンの壁を巡るドキュメンタリーを見たことが、開発のきっかけになったという。
ゲームは横スクロール型のアクションアドベンチャーで、ステージには警官、犬、ピラニアといった敵キャラクターや、同じようにリアリティショーに挑戦する出演者、そして行く手を遮るさまざまなパズルが存在する。ユニークなのは、他の出演者を義性にしながら進めるパズルが多いことだ。そこには、家族と再会するためなら、他人を傷つけても良いのか、その模様を娯楽として楽しんでいる壁の向こう側の世界は、本当に幸せなのかといった、さまざまなメッセージが込められているのだ。
ただし、この「操作性の悪さ」が意図されたものだったとしたら、どうだろうか。そもそも、本作をアクションゲームの文脈で評価することは正当なのだろうか?
『Torquel』のレビューで論じたように、アクションゲームはアクションの面白さや新規性によって差別化される。その点でみれば、本作に目立った特徴はない。横スクロール型のプラットフォーマーアクションで、オレンジの動作は歩く・走る・ジャンプする・梯子を上り下りする・仕掛けを作動させる・話すなど、一般的なものばかりだ。その上で操作性が悪いのだから、なにをかいわんや、だ。世界観が良いだけの駄作だとする見方も、あながち間違いではないだろう。
ただし、制作チームはVisiongameのインタビュー「FPI: Sanja Čežek, Petr Škorňok I Ministry of Broadcast」(原文はチェコ語)で、本作はAPPLE II時代の名作ゲーム『プリンス・オブ・ペルシャ』に影響を受けたと明言している。プリンスを操作して制限時間内に迷宮を踏破し、プリンセスと再開するゲームで、ジャンルとしてはパズル要素のあるアクション・アドベンチャー。内容もさることながら、ロトスコープを用いて描かれた、ヌルヌル動くキャラクターが絶賛された。
実際、『プリンス・オブ・ペルシャ』のゲーム体験は『Ministry of Broadcast』とよく似ている。横スクロール視点・迷宮・時間制限・敵・パズル・死にゲー・そして操作性の悪さだ。
もっとも、『プリンス・オブ・ペルシャ』はアクション要素のあるアドベンチャーゲームであって、純粋なアクションゲームではない。アクションゲームではプレイヤーとアバターの一体感を演出するために、操作性を極限まで追求する。これに対してアドベンチャーゲームで重視されるのは、アクション性よりも世界観やストーリーテリングだ。操作性もまた、テーマに奉仕するための要素の一つというわけだ。
制作チームのペトル・スコーノック(Petr Škorňok)氏も前述のインタビューで「『プリンス・オブ・ペルシャ』にはキーを押してからキャラクターが動くまでタイムラグがあり、これによってプレイヤーが人形師になって人形を操り、自分ではできないようなことをさせている感覚があった。この感覚は本作のテーマとも合致していた」と語っている。その上で制作段階では操作性がもっと悪く、工夫をこらしたという。このように本作の操作性は、作り手によって意図されたものだったのだ。
もちろん、筆者のこうした評価は押し付けるものではない。「世界観がいいだけで、操作性の悪いクソゲー」だと一刀両断する見方があってもいい。ゲームは娯楽であり、プレイヤーに奉仕するもので、クリエイターのエゴには意味がない、という指摘ももっともだろう。ただし、そうした完全なゲームを求めるのであれば、AAAゲームを遊んだほうがいい。そうしたAAAゲームには見られない、ある種の「不完全さ」を愛でることが、インディーゲームを楽しむということではないだろうか。
metacriticスコア:67
主な受賞歴:Game Access 2018 Best Gameplay Winner & Best Art Nominee、Indie Cade Santa Monica and Paris Official Selection、Game Connection 2018 in Paris Best Desktop, Most Original Game & Best Story
Steam『Ministry of Broadcast』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/874040/Ministry_of_Broadcast/
『Ministry of Broadcast』日本語版公式ホームページ
https://ministryofbroadcast-asia.net/
制作チームのインタビュー「FPI: Sanja Čežek, Petr Škorňok I Ministry of Broadcast」(チェコ語)
https://visiongame.cz/fpi-sanja-cezek-petr-skornok-i-ministry-of-broadcast/
ゲームレビューに作り手の意図は必要か?
前回の『Sea of Solitude』のレビューで筆者は、「完成したゲームが企画時のコンセプトをどの程度、反映しているか」を検証し、論ずるという批評のスタイルについて解説した。これはゲームに限らず、あらゆるエンターテインメントの批評に適用できる考え方だ。一方でエンターテインメントには、「作り手の意図に関係なく、内容がすべて」だとする考え方もある。前者はクリエイター視点、後者はユーザー視点の批評だといえるだろう。あえて極端な例をあげると、作り手が狙って作ったクソゲーであれば、そのクソゲーぶりを愛でるのが前者のスタイルだ。これに対して後者のスタイルでは、クソゲーであることに意味はない、と一刀両断する。これは批評者の視点の違いであり、どちらが良い悪いという話ではないことに注意して欲しい。これまで何度も主張してきたように、ゲームの評価は人それぞれなのだから。違う評価を見ても、「そういう考え方もあるのだな」くらいに捉えることが重要だ。
わざわざこの話を枕としたのも、今回レビューする『Ministry of Broadcast』が、この点について考察する興味深いテキストだからだ。
ゲームの舞台は壁によって分断された全体主義国家で、プレイヤーは赤毛の男「オレンジ」となり、壁の向こう側でのみ放映される「ウォール・ショー」の出演者となって、死のゲームに挑戦していく。すべての試練を達成すれば、壁の向こう側に亡命し、家族と再会できるという設定だ。開発はチェコのインディーデベロッパー、Ministry of Broadcast Studiosで、テレビでベルリンの壁を巡るドキュメンタリーを見たことが、開発のきっかけになったという。
ゲームは横スクロール型のアクションアドベンチャーで、ステージには警官、犬、ピラニアといった敵キャラクターや、同じようにリアリティショーに挑戦する出演者、そして行く手を遮るさまざまなパズルが存在する。ユニークなのは、他の出演者を義性にしながら進めるパズルが多いことだ。そこには、家族と再会するためなら、他人を傷つけても良いのか、その模様を娯楽として楽しんでいる壁の向こう側の世界は、本当に幸せなのかといった、さまざまなメッセージが込められているのだ。
アクションゲームとアドベンチャーゲームを隔てるもの
もっとも、本作の評価はポジティブなものばかりではない。ここでは英語版Wikipediaの「キャラクター、映画風のレイアウト、アートスタイル、ストーリーなどが主に評価されたが、ゲームプレイのメカニズム(=操作性)が批評家やプレイヤーから批判された」という一節を引用しておこう。この指摘は的確で、遊んでいてイライラさせられる点が少なくない。パズルの解き方がわかっているのに、操作ミスで何度も失敗してしまうことも多く、そのたびにゲームパッドを投げつけそうになった。ただし、この「操作性の悪さ」が意図されたものだったとしたら、どうだろうか。そもそも、本作をアクションゲームの文脈で評価することは正当なのだろうか?
『Torquel』のレビューで論じたように、アクションゲームはアクションの面白さや新規性によって差別化される。その点でみれば、本作に目立った特徴はない。横スクロール型のプラットフォーマーアクションで、オレンジの動作は歩く・走る・ジャンプする・梯子を上り下りする・仕掛けを作動させる・話すなど、一般的なものばかりだ。その上で操作性が悪いのだから、なにをかいわんや、だ。世界観が良いだけの駄作だとする見方も、あながち間違いではないだろう。
ただし、制作チームはVisiongameのインタビュー「FPI: Sanja Čežek, Petr Škorňok I Ministry of Broadcast」(原文はチェコ語)で、本作はAPPLE II時代の名作ゲーム『プリンス・オブ・ペルシャ』に影響を受けたと明言している。プリンスを操作して制限時間内に迷宮を踏破し、プリンセスと再開するゲームで、ジャンルとしてはパズル要素のあるアクション・アドベンチャー。内容もさることながら、ロトスコープを用いて描かれた、ヌルヌル動くキャラクターが絶賛された。
実際、『プリンス・オブ・ペルシャ』のゲーム体験は『Ministry of Broadcast』とよく似ている。横スクロール視点・迷宮・時間制限・敵・パズル・死にゲー・そして操作性の悪さだ。
もっとも、『プリンス・オブ・ペルシャ』はアクション要素のあるアドベンチャーゲームであって、純粋なアクションゲームではない。アクションゲームではプレイヤーとアバターの一体感を演出するために、操作性を極限まで追求する。これに対してアドベンチャーゲームで重視されるのは、アクション性よりも世界観やストーリーテリングだ。操作性もまた、テーマに奉仕するための要素の一つというわけだ。
制作チームのペトル・スコーノック(Petr Škorňok)氏も前述のインタビューで「『プリンス・オブ・ペルシャ』にはキーを押してからキャラクターが動くまでタイムラグがあり、これによってプレイヤーが人形師になって人形を操り、自分ではできないようなことをさせている感覚があった。この感覚は本作のテーマとも合致していた」と語っている。その上で制作段階では操作性がもっと悪く、工夫をこらしたという。このように本作の操作性は、作り手によって意図されたものだったのだ。
AAAゲームとインディーゲームの違い
こうした視点でゲームをプレイすると、評価もまた変わってくる。ゲームを通して何度も受ける理不尽な体験も、全体主義国家の暗喩ではないか……とすら感じられるようになってくるのだ。オレンジにつきまとい、死ぬたびに辛辣な言葉を吐くカラスも、実はカラスの方が主人公なのでは……と思われるほど(前述のインタビューでも、カラスが空想上の存在である可能性が示唆されている)。「操作性の悪さも含めて『味』である」とみなせれば、本作は唯一無二の存在になるだろう。もちろん、筆者のこうした評価は押し付けるものではない。「世界観がいいだけで、操作性の悪いクソゲー」だと一刀両断する見方があってもいい。ゲームは娯楽であり、プレイヤーに奉仕するもので、クリエイターのエゴには意味がない、という指摘ももっともだろう。ただし、そうした完全なゲームを求めるのであれば、AAAゲームを遊んだほうがいい。そうしたAAAゲームには見られない、ある種の「不完全さ」を愛でることが、インディーゲームを楽しむということではないだろうか。
metacriticスコア:67
主な受賞歴:Game Access 2018 Best Gameplay Winner & Best Art Nominee、Indie Cade Santa Monica and Paris Official Selection、Game Connection 2018 in Paris Best Desktop, Most Original Game & Best Story
Steam『Ministry of Broadcast』販売ページ
https://store.steampowered.com/app/874040/Ministry_of_Broadcast/
『Ministry of Broadcast』日本語版公式ホームページ
https://ministryofbroadcast-asia.net/
制作チームのインタビュー「FPI: Sanja Čežek, Petr Škorňok I Ministry of Broadcast」(チェコ語)
https://visiongame.cz/fpi-sanja-cezek-petr-skornok-i-ministry-of-broadcast/
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