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『A Musical Story』ゲームデザインと身体の関係性【インディーゲームレビュー 第120回】

目次
  1. アナログレコードはなぜ右回りなのか
  2. 1970年代のロック界を扱ったロードムービー
  3. 音楽ゲームではなく旗揚げゲーム
  4. 上手から下手へのスクロールは何を物語るのか
  5. 国産マンガと海外マンガ、物語の多様性の違い
リズムにあわせてコントローラーを操作すれば、それは音楽ゲームなのだろうか? ゲームオーバーの存在しない『A Musical Story』(ア ミュージカル ストーリー)は、音楽ゲームの皮を被った旗揚げゲームとしてユニークな存在感を示している。


アナログレコードはなぜ右回りなのか


食べた人全員が「美味い」と唸る料理を作ることは可能だろうか。おそらく不可能だろう。人には好みがあるからだ。では、逆に食べた人全員が「不味い」という料理なら? 塩味をなくすのは一つのやり方だ。人は塩がなければ生きていけない。ローマ帝国で兵士の給料が岩塩で支払われたのは好例だ。

商品やサービスの評価は、人間の身体的な特性と関係がある。そして優れたデザイナーは、その意味をよく理解して製品を設計しているのだ。

例としてアナログレコードのプレイヤーを考えてみよう。レコードプレイヤーのターンテーブルは右回り、左回り、どちらだろうか。答えは右回りで、右利きの人間が多いからだ。右利きにとって、トーンアームはプレイヤーの右側にあった方が操作がしやすい。その際にターンテーブルが左回りだと、レコードの溝や針に余計な負荷がかかってしまう。

このようにモノの構造には理由がある。優れたゲームも同様で、プレイヤーに対して特定の体験を促すように、細部まで注意が払われている。

今回レビューする『A Musical Story』も同様で、プレイヤーに提供したいゲーム体験とゲームデザインが深いレベルで結びついた作品の一つだ。ただし、かすかに違和感が感じられる点もある。無意識のうちに過去のスタイルを踏襲してしまったのではないか、と疑問に感じられる要素があるのだ。

1970年代のロック界を扱ったロードムービー



ゲームは音楽青年ガブリエルの記憶を探る旅を縦糸、音楽ゲームを横糸として進んでいく。

缶詰工場で機械のように働くガブリエルは、同じく地元でくすぶっている仲間たちとバンドを結成し、ロックフェスティバルの開催地「PINEWOOD」に向けて中古のバンで旅を始める。その過程で音楽ゲームが挟まるという仕組みだ。

1970年代の音楽シーンを彷彿とさせるノスタルジックなアニメーションと楽曲が、ガブリエルの記憶を探るシチュエーションと相まって、本作ならではの効果を上げている。

音楽と共にユニークな存在感を示しているのがグラフィックデザインだ。

インタビュー記事によると、本作のグラフィックはハンドドローイングで描かれ、毎秒8フレームでアニメーションする。その際、3フレームずつ同じ絵を、わずかに線を変えて繰り返しているのだという。これによる線のぶれが、サイレント映画に似た効果を生み出し、プレーヤーにノスタルジックな気持ちを与えているのだ。手描きだからこそのアナログ感がうまく活用されている例だろう。

音楽ゲームではなく旗揚げゲーム



その上で本作を興味深いものにしている点に、音楽ゲームの範疇を超えたゲームシステムがある。

本作では音楽ゲームのノーツにあたるアイコンが円周上に配置され、リズムにあわせてコントローラーのLボタンとRボタンを押し、楽器を奏でていく。楽曲はフレーズごとに分割され、プレイヤーがすべてのノーツで正しく操作するまで、繰り返し再生される。プレイヤーはゲームを通してフレーズをよく聞き、リズムを覚えて、再現することを要求されるのだ。

このように本作は一見すると音楽ゲームだが、実際は「旗揚げゲーム」の亜種だといえる。「赤上げて、白上げて……」といった具合に、提示されたお題を記憶して再現していくもので、『スペースチャンネル5』や音楽玩具の『SIMON』などがある。

そして、この「記憶して、再現する」という行為が、「ガブリエルの記憶をたどる」というストーリーと合致しているのだ。実際、インタビュー記事を読むと、制作者が意図してこのゲームシステムを採用したことがわかる。

われわれは音楽ゲームというと、反射的に「移動するノーツにタイミングをあわせてタップする」内容を連想する。本作も同じように見えながら、まったく違うゲームになっているのだ。

このことは他の音楽ゲームと違い、明示的なゲームオーバーが存在しない点にもつながっている。たとえ失敗したとしても、何度でも同じフレーズをやり直せるのだ。ゲームのストーリーも同様で、たとえ人生に失敗したように感じたとしても、何度でもやり直せるというメッセージを発しているように感じられる。

上手から下手へのスクロールは何を物語るのか





ただし、気になる点もある。それは上手と下手の演出だ。スクリーンショットを見ればわかるように、本作では画面の背景が上手(右側)から下手(左側)にスクロールすることで、画面中央に固定されているキャラクターが右方向に進んでいるように見せている。キャラクターが移動するシーンでも、バンが移動するシーンでも、みな上手から下手にスクロールするのだ。

同じようにゲームのノーツも左回転をする。仮にゲーム画面がレコードプレイヤーのアナロジーだとすると、右回転をした方が良いようにも思える。これは偶然だろうか。それとも何かの意味が込められているのだろうか。

画面が上手から下手にスクロールするスタイルは、『スーパーマリオ』シリーズをはじめ、多くのゲームで見られる。これには「左手でコントローラーの十字キー、右手でアクションボタンを操作する際、キャラクターが画面の左側から右側に移動する方が操作しやすい」「多くのゲーム機では画面上でX軸の左端がゼロになるにため、キャラクターが左側から右側に移動する方が、座標計算がしやすい」など、キャラクターが移動する向きと関係がある。

一方で、画面が逆向きにスクロールするゲームもある。ファミコン版『バルーンファイト』で追加された、障害物を避けながら進む「バルーントリップ」モードなどだ。本モードの目的はミスせずにアイテムを集め続けることで、このことがスクロールの向きに関係している。『A YEAR OF SPRINGS』のレビューで論じたように、画面の上手は安定すなわち過去、下手は不安すなわち未来を意味している。つまり、画面を逆向きにスクロールさせることで、「未知の記録に挑戦する」効果を生んでいるのだ。

『バルーンファイト』の「バルーントリップ」モード (C)Nintendo

国産マンガと海外マンガ、物語の多様性の違い


同じように本作でも、キャラクターの移動や画面のスクロール方向が、ゲームの世界観と合致している。

前述したように本作のストーリーは青年ガブリエルの記憶を探る旅がベースだ。そのため、画面が上手から下手にスクロールする(=キャラクターが画面の右方向に移動する)ことが、プレイヤーに対してガブリエルの記憶を掘り起こし、追体験しているような意味合いを与えている。ただし、一方でこれが本作に、どこか後ろ向きな印象を与えているようにも見える。

それでは、なぜ本作はそのようになっているのだろうか。一つの解釈として考えられるのが、アメコミをはじめとした海外マンガの存在だ。これらのマンガはセリフが横書きのため、日本のマンガと違いコマが左から右に向けて配置される。時間が下手から上手に流れていくのだ。

これに対して国産マンガはセリフが縦書きであることから、コマが右から左に配置される。マンガ研究家の夏目房之助は、このことが国産マンガにおける展開の多様性を生んでいるのではないか、と考察している。

本作を開発したのはフランスのインディーゲーム会社、Glee-Cheese Studioで、本作がデビュー作だ。そのため、知らず知らずのうちにバンド・デシネ(フランス語圏で出版されたビジュアルコミック)の影響を受けたと推察される。本作においても、スクロールの向きを切り替えることで、また違った体験を提供できたのではないだろうか。

もっとも、画面が意味もなく上手から下手にスクロールしていくゲームは日本にも数多く見られる。上手と下手の必然性について、改めて考えていきたい。

Metacriticスコア:68
主な受賞歴:IGF 2022 Excellence in Audioノミネート、Excellence in Visual Art ノミネートなど

Steam『A Musical Story』Steam配信ページ
https://store.steampowered.com/app/1546100/A_Musical_Story/
A Musical Story : Notre interview avec Charles Bardin et Alexandre Rey de Glee-Cheese Studio
https://www.actugaming.net/a-musical-story-interview-agfd-442486/
夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』(NHK出版)
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000840661997.html
【コラム】小野憲史のインディーゲームレビュー

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